「みんな丸く仲良く」参院のドンの哲学 青木幹雄氏の心の内

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記者会見で首相臨時代理として小渕内閣の総辞職を発表する青木幹雄官房長官(当時)=首相官邸で2000年4月4日、山下浩一撮影
記者会見で首相臨時代理として小渕内閣の総辞職を発表する青木幹雄官房長官(当時)=首相官邸で2000年4月4日、山下浩一撮影

 自民党の青木幹雄元官房長官が「参院のドン」と言われていた小泉純一郎政権時代の2003年12月、政治部の後輩を交え、青木氏と3人で食事をしたことを思い出す。

 同年9月、自民総裁選での小泉氏再選を巡り、「平成研究会(旧経世会)」内で、「小泉支持」の青木氏と「反小泉」の野中広務元幹事長との激烈な権力闘争が繰り広げられたばかりだった。

 青木氏は依然、参院自民をガッチリ押さえているという自負心からか、悠然とした表情で、舌も滑らかだったのを覚えている。

 この時、青木氏との間で話題になったのは、当時、小党・自由党を捨て、民主党に潜り込んだばかりの小沢一郎氏との思い出話だった。

 本来、小沢氏は竹下登内閣の官房副長官で、小沢氏の元妻の妹は竹下氏の弟の妻。青木氏は竹下氏の秘書だった。しかし、1992年の経世会分裂で、竹下、小沢両氏は敵対関係に陥り、青木氏は参院への「小沢介入」を阻止した。

 03年当時は小沢氏の自民離党から10年、自自公連立も破綻して3年。2人の関係は疎遠になっていたはずだが、「小沢には何のわだかまりもない。小沢は…

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