上映時間約3時間半の大作ドキュメンタリー映画「私のはなし 部落のはなし」が、21日、東京と大阪、京都で封切られる。20~80代の被差別部落出身者だけでなく、部落の周辺で暮らす住民や差別意識をむき出しにする人物まで、部落を巡るさまざまな人の言葉を拾い集めて、現代の部落問題を浮き彫りにした。満若勇咲監督(35)に作品の意図などを聞いた。【聞き手・鈴木英生】
しつこい性格だから
――満若さんは、大阪芸大の学生だった2007年に兵庫県の食肉処理場を舞台にしたドキュメンタリー映画「にくのひと」を撮りました。部落解放同盟兵庫県連に「部落差別を助長しかねない内容だ」といった抗議を受けて、お蔵入りさせています。「懲りずに」部落問題の映画を撮ったことに驚きました。
◆しつこい性格ですから(笑い)。あの時の挫折を抱えたままでは、監督として次に進めないという気持ちはずっとありました。
よく勘違いされるのですが、あの映画は抗議を受けて封印したわけではありません。解放同盟側との話し合いは平行線でしたが、舞台となった地域の人間関係にひびが入り、出演者との関係が壊れてしまったことが直接の原因です。きちんとした信頼関係を出演者と作りきれなかった僕の落ち度です。それに、自分自身の部落問題への認識も甘かったと反省しています。
「にくのひと」にまつわる一連の出来事の後は、部落問題に関わるのが嫌になったというよりも、どうアプローチすればいいのかわからなくなっていました。そうこうしているうちに、「にくのひと」の撮影で特にお世話になった方が亡くなったうえに、自分も30歳を過ぎて、監督として生きていくにはそろそろ次作を撮るべきだと思った。そんな時に、全国部落調査裁判が始まりました。
――部落の地名リストの復刻版を出そうとしたり、インターネットに公開したりした人物が、プライバシー権の侵害などで訴えられた裁判ですね。
◆裁判を傍聴し始めたのですが、法廷は撮影できないから、これだけでは映画になりません。他にわかりやすい題材を探そうにも、今どき、誰の目にも明らかな差別事件はそんなに多くないし、プライバシーの問題もあるので描きにくい。「わかりやすい差別がない」のはこれまでの部落解放運動の成果でもあり、もちろんよいことです。一方で、映画を撮る対象としては、部落問題はとても難しい。
部落問題とは「言葉の問題」だ
――この映画にも出てくる大阪府箕面市の北芝は、先進的なまちづくりでメディアがよく取りあげます。こうした特定の部落に密着取材する手法はありますよね。
◆その手法も、いったんは考えました。ですが、それだと特定の地域の話を部落問題の総体に直結させることになり、問題の全体像をつかみ損ねる気がしました。そうこう悩みつつ取材を重ねるうちに見えてきたのは、部落問題とは「言葉の問題」だということです。
――言葉、ですか?
◆僕に新たな視点を与えてくれたのは、部落史を研究する黒川みどり静岡大教授の「部落は部落外のまなざしによって形作られてきた」という話です。明治初期の「解放令」で、旧賤民身分が平民に組み入れられて以降、部落と部落出身者を指す言葉がおびただしく生まれては消えていきました。今でも、部落の呼び方は人によって違います。被差別部落は一般的ですが、…
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