朝日日本歴史人物事典 「呉錦堂」の解説
呉錦堂
生年:咸豊5(1855)
明治大正期の在日中国人貿易商。中国読み「ウ・ジンタン」。浙江省の生まれ。上海での商業活動を経験し,明治18(1885)年に長崎へ渡来,23年に神戸に移り,怡生号という貿易会社を設立。開港後の上海は,中国の内外流通の中継点であり,拡大する商業機会に乗じて台頭したと考えられる。海運業にも力を入れ,自船による活動は競争力を高めた。神戸に近代的綿糸紡績業が発展するや,外国棉花の需要拡大に対応して,中国棉花取引の25%を占める勢いを示す。営業税345円の納入実績(1901年)は,在日中国商のなかでも上位の成績であった。紡績業との関わりでは,大株主でもあった鐘淵紡績との関係が強い。のちに,東亜セメント,大阪莫大小を設立するなどの多角化は,流通から生産過程へ進出する企業家としても注目される。孫文との交流も有名であり,神戸の別荘であった移情閣は孫中山記念館として残されている。<参考文献>中村哲夫『移情閣遺聞』,籠谷直人「アジアからの“衝撃”と日本の近代」(『日本史研究』344号)
(籠谷直人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報