《ブロンコ・ビリー》(読み)ぶろんこびりー

世界大百科事典(旧版)内の《ブロンコ・ビリー》の言及

【西部劇】より

…アメリカの劇映画の元祖であり,西部劇の元祖でもあるが,扱われた題材は実は当時の生々しい現実の強盗事件(有名な列車強盗団〈ワイルドバンチ〉のしわざ)であったから,西部劇とはリアルな〈現代劇〉にほかならなかった。もう一つは逆に現実ばなれした〈荒唐無稽〉の方向をめざす西部劇で,《大列車強盗》の端役でデビューしたG.M.アンダーソン(1881‐1971)がみずから監督・主演した《ブロンコ・ビリー》シリーズ(1907‐16)。正義のヒーローが悪漢どもを倒し,ヒロインを救うという勧善懲悪のパターンで,大人気を博し,やがて〈ホース・オペラhorse opera〉と呼ばれるB級西部劇,トム・ミックスやバック・ジョーンズから〈歌うカウボーイ〉と呼ばれたジーン・オートリーやロイ・ロジャーズに至るお子さま向け西部劇の原型になった。…

【連続活劇】より


[連続活劇の誕生と隆盛]
 アメリカでは20世紀初めの数年間,〈ニッケルオデオン〉と呼ばれた低料金の大衆的な映画館と一流映画館が共存し,大衆的な映画館では1本の大作映画を週ごとに分割して上映する習慣のあったことが,〈連続映画〉の誕生に一つの役割を果たしたともいわれている。登場人物は共通しているが,物語はかならずしも連続していないこのシリーズものは,1908年ころからアメリカのエッサネー社の《ブロンコ・ビリー》シリーズをはじめフランスやドイツでもつくられていたが,いわゆる連続映画あるいは連続活劇として人気をよんだ作品は,フランスで流行した大衆的な探偵小説シリーズによったビクトラン・ジャッセVictorin Jasset(1862‐1913)監督の《ニック・カーター》(1908),《ジゴマ》(1911)やルイ・フイヤード監督の《ファントマ》(1913)などで,なかでも〈小市民的ロマン主義〉を反映しているといわれた《ファントマ》の成功は,ヨーロッパの各国をはじめとくにアメリカに決定的な影響をあたえた。 1913年以後,連続活劇はアメリカで急速に発達する。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」