《コドモノクニ》(読み)こどものくに

世界大百科事典(旧版)内の《コドモノクニ》の言及

【絵本】より

… ついで大正中期に模範家庭文庫を出した冨山房で,楠山正雄の《画(え)とお話の本》3冊(1925‐26)を出したが,その画家たちは,大正中期に輩出した絵雑誌のプールに負っている。1914年に《子供之友》,21年に《コドモノクニ》,23年に《コドモアサヒ》が出て,岡本帰一,清水良雄,武井武雄,川上四郎,初山滋,村山知義,本田庄太郎たちがそれらによって活躍した。武井武雄は,彼と彼の影響に立つ画家たちの様式性の強い画風を立てて,24年に童画と呼ぶに至り,27年に日本童画家協会を設立,対立的に新ニッポン童画会もできたが,両会とも写実をもたない安易な類型に陥ったにすぎなかった。…

【児童雑誌】より

…類似のものに《金の船》(1919。22年から《金の星》と改題),《童話》(1920),《コドモノクニ》(1922)などがあるが,ほとんどみな大正期のみで姿を消した。一方,全国的に人気があった大衆的児童雑誌は《少年俱楽部》(1914),《譚海》(1920),《少女俱楽部》(1923),《幼年俱楽部》(1926)などで,とくに《少年俱楽部》に連載された少年小説や《のらくろ》に代表される漫画の数々は,熱狂的に愛読され,その影響力は非常に大きいものがあった。…

※「《コドモノクニ》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」