アニメだから表現できた現実と虚構のミックス――没後10年を迎える今敏監督作品を観よう

『パーフェクトブルー』から『妄想代理人』まで

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「じゃ、お先に」――そんな言葉を2010年8月25日付けのブログに残して、アニメーション監督の今敏が逝ってしまってから、2020年の夏で10年が経つ。衝撃は日本に限らず世界に広がり、ロサンゼルス・タイムズがサイトのトップで顔写真を添えて訃報を伝え、ニューヨーク・タイムズも長文の追悼記事を掲載した。2019年には第47回アニー賞で生涯功労賞のウィンザー・マッケイ賞を受賞。もしも存命だったら……といった思いは10年経って尽きないどころか、ますます大きくなっている。だが、それはかなわぬ思い。だから今、長引きそうな“巣ごもり”の中でできることとして、今監督が遺したアニメ作品を見てはどうだろう。今監督の偉才を偲びつつ、圧倒的な面白さを味わい、名前と作品を未来に繋げるために。没後10年を超えて続くアニメーションの道を、より素晴らしいものにするために。

今敏監督の訃報を伝えるロサンゼルス・タイムズのサイトのスクリーンショット

2020年春の大型連休に開催予定だったコミックマーケット98は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大防止を目的に中止となった。ネットで同人誌や企業出展のグッズをやりとりするエアコミケへと移行し活況を見せたが、好きなクリエイターやタレントと対面できる機会が得られなかったのは残念だった。

そんなコミケで今敏監督と出会える機会があった。1997年12月28日と29日に開催されたコミックマーケット53の初日、企業ブースが集まる西館に出展していたレックスエンタテインメントという会社のブースに、1998年2月28日公開の監督第1作となる長編アニメーション映画『パーフェクトブルー』を宣伝しに、今監督がやって来ていた。ブースでは、映画に出てくるアイドルグループ「チャム」を再現した女の子たちのトークに今監督が出演し、『パーフェクトブルー』のテレカ付き前売り券や、限定CD-ROM付きカレンダーが販売されていた。自分はCD-ROM付きカレンダーを買った記憶があるが、今監督をお見かけしたかは定かではない。今もしコミケに今監督が現れたら、すぐにSNSが回って人だかりができただろう。

当時はまだ知る人ぞ知るアニメ監督だったし、『パーフェクトブルー』も、原作者の竹内義和は有名でも、映画への関心は薄くブースへの人だかりはそれほどでもなかった。これで公開されて果たして人が入るのか? といった不安があったが、今は新宿ピカデリーのタワービルが建つ場所にあった新宿ピカデリー3(定員44人)の入り口に、行列が出来るくらいの賑わいは見せていた。

3人組のアイドルグループを抜けてソロになった霧越未麻は、ドラマに出たり、ヘアヌードを撮ったりして名前を売ろうとするが、そんな未麻の活動を嫌悪するアイドル時代からのファンらしき人物が出没。未麻の周囲で残虐な事件が起こり、その魔手は未麻自身にも迫る。そんな『パーフェクトブルー』の感想を自分は、当時のウエブ日記に「紛うことなき傑作アニメーション、であった」と書いている。

「第1に出演者の髪の毛がほとんど黒い」とも。半ば冗談だが、髪の色がカラフルなキャラクターが登場する、ラブコメなりファンタスティックな設定が多いアニメにあって、黒髪の人物が登場する作品はなかなか希少。そんな人物像と、街と社会と暮らしをリアルに再現していた映像に驚いた。

竹内による原作はストレートなストーカー物のホラーだった。これを、脚本家の村井さだゆきがリアルな事件とシュールな夢が混じり合う、入り組んだストーリーに仕立て上げ、今監督が幻惑させる映像にまとめ上げた。クオリティこそ元がビデオ企画で予算も潤沢ではなかったことから、新海誠作品にあるような緻密さからはほど遠かったが、東京の街は東京に見え、ひとり暮らしをするアイドルの部屋もそう見えた。

『パーフェクトブルー』のカット538で使われる未麻の部屋の背景美術(タニグチリウイチ蔵)

描写はどこまでもリアル。それでいて物語は果てしなく虚構性にあふれて幻想的。そのミックスが今敏監督作品の特徴だとしたら、『パーフェクトブルー』は初監督にしてすでに特徴にあふれたアニメ作品だったと言える。ここで重要なのは、リアルであるにも関わらずどうしてアニメなのか、という部分だ。

『パーフェクトブルー』が1998年にベルリン国際映画祭のフォーラム部門に正式招待された際も含め、今監督はインタビューで定番のように、「どうして実写で撮らなかったのか?」と聞かれていた。こうした質問に、やはり定番のように、「アニメの企画だったから」、「アニメ監督だから」と答えていた今監督だが、仮に『パーフェクトブルー』や『パプリカ』といったアニメ映画を実写で撮ったとして、同じような雰囲気の映像に仕上がったかというと、大いに疑問だ。

『パーフェクトブルー』の中で、アイドルから女優へと転身を遂げようとしている霧越未麻のマンションの部屋に、アイドル時代の衣装を着た未麻がすっと立って話しかけて来るシーンがある。ある種の未練が幻影となって現れたとも取れそうなシーン。ここでアイドルの未麻は、前を向いたままベランダのある後方へと飛んで外に消える。

『パーフェクトブルー』のカット538で描かれるバーチャル未麻が後方に飛ぶシーンのセル画、動画(タニグチリウイチ蔵)

これを実写の女優で表現すると、どこかに実体の女優としての重さを感じてしまうだろう。それが人間の物体に対する理解で、3DCGなど絵で表現された物に、逆に重量を感じない理由にもなっている。だから、描く際に姿勢や仕草、効果音などによって重さを伝えようとする。

『パーフェクトブルー』の絵コンテには、該当するカット538について、「ピョーンと後ろ向きに1歩でv未麻 ☆物理的法則を無視した場違いかつ非常識な動きです」(vはバーチャル)という指示が書かれてある。絵で表現するアニメだからこそ、ふわっと浮かんで動く幻影の未麻を、本物の未麻と区別して描ける。

 
『パーフェクトブルー』のカット538に描かれる未麻とヴァーチャル未麻の修正原画(タニグチリウイチ蔵)
『パーフェクトブルー』のカット538に描かれるヴァーチャル未麻の修正原画(タニグチリウイチ蔵)

クライマックスで夜のアーケード街をピョンピョンと跳ねるようにして移動していく未麻が、実体ではないことも表せる。そこに重ねられる鏡に映ったある人物の必死の形相、そして重量感を持った動きがキャラクターの二重性を感じさせる。アニメだからこその表現と言えるだろう。

2008年に発売された『パーフェクトブルー』の初回限定版に付属したストーリーボード・ブックに、今監督へのインタビューが採録されていて、そこで今監督は「生身の人間を使って撮ったとしたら、この映画は普遍性を保てなくなるような気がします」と答えている。「特殊な人の身の上に起こった、変な出来事、といういたってチープな映画になりかねません」とも。アニメだからこそ描けたリアリティが、実写になれば逆に沈んでしまう可能性を考え、アニメならではの表現を追求する。

それが、次の作品となる『千年女優』(2002年)や、筒井康隆のSF小説を原作にした『パプリカ』(2006年)でも存分に発揮されている。いずれも、現実と虚構とがシームレスに繋がって、激しく切り替わっていくところがあるアニメ映画だ。

『千年女優』では藤原千代子という、30年前に突然引退してしまった往年の名女優が、熱心なファンでもあった映像制作会社の社長と助手を相手に語る身の上や、出演映画に関する思い出話が、聞き手の男たちを映画のシーンへと引きずり込む。女優が必然的に持っていた役への執着であり、浅ましさを表現した作品だった。
 
その中で、戦国時代から戦中・戦後を経て月にまで、時空を超えて切り替わっていくシーンを果たして実写で撮れるのか? やはり難しい気がする。アニメだからこそ嘘っぽくあっても陳腐にならない。切り替わった画面といっしょにシチュエーションも変わる仕掛けの楽しさ、千代子の語る映画のシーンに紛れ込んで、戸惑いながらも取材を続ける男たちの珍妙さに酔える。突如切り替わる場面転換の文法にさえ納得できれば、あとはすんなりと、繰り広げられる時空の旅に入っていける。

この『千年女優』と同様に、夢の中で映画の名場面を突き進んだり、人間の頭からあふれ出した妄想が街全体を包み込んだりする『パプリカ』も、なかなか実写にしづらいアニメ映画だろう。

夢に入る機械が奪われ、悪用されたことで起こる事件に、昼間はクールな研究者だが、夜はやんちゃなサイコセラピストに変身するパプリカが追うというストーリー。前半は小説版に沿いつつ夢の世界のグロテスクな感じが、玩具の大行進というサイケデリックなビジュアルで描かれ、強烈な印象を残す。やがて事件の犯人らしき人物を追いつめたものの、その背後にさらなる黒幕の存在が見えてきて、追い掛けようとした矢先に事件は起こり、空前絶後のクライマックスへと突き進んでいく。

夢と現実の境界が曖昧になるエピソードは、騙し絵のような世界が繰り広げられた『千年女優』や、現実が妄想に浸食される怖さに震えた『パーフェクトブルー』とも重なる表現。加えて、事件の真相に絡むスペクタクルがエロティックなシーンとも相まって、感激と官能の昂揚感を観る人にわき上がらせる。そうした表現を、アニメならあっさりとやってのける。

いや、描く方は幾つもの場面を手がけなくてはいけなくて大変だし、そうした移り変わりをタイミング良く描いていくには、監督や演出の緻密な計算が必用になる。それらをこなして作り上げたアニメの映像は、見ている人を知らず幻影の世界へと引きずり込む。アニメだからできた。できるからこそアニメにした。どちらとも言えそうな判断だ。

唯一、『東京ゴッドファーザーズ』(2003年)だけは実写でも撮れそうな題材かもしれない。ホームレスとして暮らす元競輪選手のギン、元ドラァグクイーンのハナ、そして家出少女のミユキという3人が雪の日に、生まれたばかりの女の子の赤ん坊を拾ってしまったことから始まるストーリー。3人は、雪が降りしきるクリスマスの東京を歩き回って、赤ん坊の親を探そうとする。

ほぼすべてが現代の東京で進むストーリー。ロケでもセットでも再現は可能だが、それには降り続ける雪に埋もれていく東京を再現するだけの費用なり、時間が必用となる。雪で立ち往生する電車から降りて、雪に埋もれた線路を歩くシーンも、ロケではまず撮らせてもらえないだろう。セットでやっても、金に糸目をつけないハリウッドならまだしも日本ではアニメのようなワイドな感じは出しづらい。

ホームレスという素材が放つネガティブな要素が前面へと出て、見る人を引かせ兼ねない可能性もある。アニメだからこそ笑えるオーバーな演技も、実写では中途半端なものになりかねない。丸くなって驚くミユキの目なり、怒ったハナちゃんの顔は、実写ではやればやるほど嘘っぽくなる。

それに、『東京ゴッドファーザーズ』も、やはりすべてを描けるアニメだから描ける作品だ。描き込まれた冬の東京の街は、雑踏から公園から摩天楼から通勤ラッシュから、何から何までが見るほどに「東京らしさ」を感じさせてくれる。これについて、オフィシャルガイドの『東京ゴッドファーザーズ・エンジェルブック」で今監督は、「エレメント」の重ね合わせが見る人に「東京らしさ」を感じさせていると言っていた。同じことを実写によるロケで撮っても、果たして同じ空気感が出せたかは分からない。

絵描きがアニメとして企画した作品である以上、アニメとしてしか成立し得ない部分がある。今敏監督作品を見るときには、そこに注意を払っていきたい。

『東京ゴッドファーザーズ』は、脚本の妙も光った。ハリウッドの超大作は、物量で仕上げるビジュアルもさることながら、お金と時間をかけて練り上げられたシナリオが、観客をスクリーンに引きつけ続ける。それと同じような展開の面白さが、『東京ゴッドファーザーズ』にはあって最後まで気持ちを飽きさせない。

『東京ゴッドファーザーズ』では、『カウボーイビバップ」の信本敬子が共同脚本として参加した。信本は今監督の友人で、『パーフェクトブルー』の際にも依頼し多忙で断られたが、『東京ゴッドファーザーズ』でまたお願いするくらい、信頼を置いていた。『パーフェクトブルー』では代わりに村井さだゆきに依頼。上がってきた最初のプロットを「さすがである。クレバーにまとめられた村井氏のプロットに、私の目に狂いがなかったことを確信した」(パーフェクトブルー戦記より)と褒めつつ、さらに捻ってしまえと意見を出し合い、原作から大きく離れたシナリオに仕立て上げた。『パプリカ』では、今敏総監督によるテレビシリーズ『妄想代理人』でも組んだ水上清資が共同脚本として名を連ねた。

今敏監督のフィルモグラフィーにあって、唯一のテレビシリーズとなる『妄想代理人』(2004年)もまた、現実と虚構とが入り交じった複雑な様相を呈する作品だ。埋めたい悩みがある人間を、金属バットを持った少年が襲い、悩みを棚上げしていくような展開から始まって、仕事や虐めや貧困といった社会の問題をえぐっていく。

『千年女優』や『パプリカ』と同じ平沢進が奏でる、叫びで空間を引き裂くような音楽が、現実を不安定にして心をざわつかせる。NetflixやHuluでイッキ見が可能なシリーズ。この機会に見て今敏作品ならではの特徴をここからもつかみたい。

そして、2020年8月24日の没後10年という日に向けて、『パーフェクトブルー』、『千年女優』、『東京ゴッドファーザーズ』、『パプリカ』という4本の映画、『妄想代理人』、『オハヨウ』という短編アニメーションが映画館で上映され、テレビで放送され、ネットで配信され、パッケージから再生されて、それらを見ながら、世界中のファンとともに、今敏監督の偉才を偲びたい。

『夢みる機械』の夢を見ながら。


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