【侍ジャパン】佐々木朗希、父を祖父母を失った「3・11」に世界デビュー…チェコ戦先発「できることを最大限」

スポーツ報知
キャッチボールで調整する佐々木朗希(カメラ・岩田 大補)

 侍ジャパンのロッテ・佐々木朗希投手(21)が運命の3・11にWBCデビューを果たす。11日のチェコ戦で先発予定の右腕は、12年前の2011年3月11日、東北を襲った東日本大震災で父・功太さん(享年37)と祖父母を亡くした。当時9歳だった少年は計り知れない悲しみを乗り越えながら、12年の時を経て、同じ日に世界の舞台に立つ。

 被災した故郷のために、自身の夢をかなえるために―。朗希が運命の3・11、ついにWBCで“世界デビュー”を果たす。

 韓国戦前の東京Dで50メートルダッシュやキャッチボールで最終調整。試合中はベンチで大勝劇を見届けると、「緊張感のある中で試合が見られている。明日、いいパフォーマンスが発揮できるようにしたい」と、勝てば1次R突破が決まる可能性もあるチェコ戦へ、静かな闘志を口にしてドームを後にした。大会前から「個人がどうこうよりもチームの勝ち負けが本当に大事。結果的にチームが勝てればそれが100点」と、日の丸を背負う覚悟を語っていた右腕。大会初マウンドへ、心身ともに準備は整った。

 12年前、当たり前だった日常が奪われた。東日本大震災。地震発生当時、朗希少年は陸前高田市内の小学校にいた。すぐに近くの高台に避難したが、自宅は津波で流され、愛する父・功太さんと祖父母を失った。その後は母・陽子さんの親族の住む大船渡市に引っ越し、老人ホームでの生活を余儀なくされた。当時9歳の少年には背負いきれない悲しみ。それでも、「やっぱり野球してる時が一番楽しかった。夢中になれる時間というのがあったおかげで大変な時もつらい時も頑張れた。本当に野球があって野球を知れてよかったと思う」。その野球の楽しさを教えてくれたのは父・功太さんだった。

 成長した朗希は大船渡高で剛腕として脚光を浴びた。「何を取ってもNO1の投手になりたい」と目標を掲げてきた右腕は、プロの世界に飛び込み、昨季は史上最年少で完全試合を達成。そして、ついにWBC日本代表にまで上り詰めた。そんな朗希に用意された初の舞台。3・11は忘れられない過去であると同時に、世界一の投手になるためのスタート地点になる。

 いつでも心の中には地元・岩手がある。「(震災時は)人から支えられ、勇気や希望をもらいながら頑張ることしかできなかった。今はその時とは違って勇気や希望を与える立場にある」。当日は故郷の陸前高田市と大船渡市の2か所でパブリックビューイング(PV)が開催され、地元の知人・友人らも朗希の背中を押す。だからこそ、「活躍することが一番の恩返し」。4日の壮行試合・中日戦(バンテリンD)で日本選手最速タイの165キロをマークした右腕は、特別な日に、佐々木朗希の名を世界にとどろかせる。(小田原 実穂)

 ◆佐々木 朗希(ささき・ろうき)2001年11月3日、岩手・陸前高田市生まれ。21歳。小学3年で野球を始め、大船渡高では甲子園出場なしも19年のU―18日本代表に選出。4球団の競合の末に19年ドラフト1位でロッテに入団。3年目の昨季は20試合に登板し9勝4敗、防御率2・02。192センチ、92キロ。右投右打。

野球

×