アントニオ猪木さん「お別れ会」…急きょ午後9時まで国技館入り口に臨時の献花台を設置

「アントニオ猪木 お別れの会」に設置されたリングと祭壇(カメラ・荒牧 徹)
「アントニオ猪木 お別れの会」に設置されたリングと祭壇(カメラ・荒牧 徹)

 昨年10月1日に79歳で亡くなった偉大なプロレスラー、アントニオ猪木さんの「お別れの会」が7日午前11時から両国国技館で行われた。

 式典には、遺族を代表して長女の寛子さん、孫の尚登さん、実弟の啓介さんらが参列。政界から森喜朗元首相、野田佳彦元首相、芸能界から歌手の松山千春、プロレス界から藤波辰爾、藤原喜明、武藤敬司氏、蝶野正洋、船木誠勝、新日本プロレスのオカダ・カズチカ、棚橋弘至、プロレスリング・ノアの清宮海斗、拳王、ストロングスタイルの間下隼人らが出席。有料(1万円)で入場した一般参列者を加え、4800人が参列した。

 「闘魂の道、覚悟を決めて突き進む。魂を機(はた)らかす」の意味を込めた「闘覚院機魂寛道居士(とうがくいん・きこんかんどう・こじ)」が戒名の猪木さん。会場には、リングが設置。10月14日に桐ヶ谷斎場で営まれた告別式と同じ遺影が掲げられ、トレードマークの真っ赤な巨大「闘魂タオル」に黄金で「闘魂」の文字が浮かび上がった。さらに1983年6月2日に蔵前国技館でハルク・ホーガンに舌出し失神KO負けしたIWGP優勝戦など様々な激闘を展開した80年代前半に身にまとった真っ赤なガウンが飾られた。

 式典は、スクリーンに1998年4月4日の東京ドームでの引退試合で読み上げた「道」の詩が浮かび上がると、発起人代表の坂口征二氏が「ただいまより、故アントニオ猪木、猪木寛至、お別れの会を行います」と開会を宣言。続けてテーマソング「炎のファイター」が流れると参列者が手拍子。その後、追悼の10カウントゴングをささげた。

 続けてスクリーンに1976年6月26日に日本武道館でのムハマド・アリ戦などの激闘、闘病中の姿など79年の人生を振り返る映像が映し出され、森喜朗元首相、愛弟子の藤波辰爾、新日本の棚橋弘至、フリーアナウンサーの古舘伊知郎が「お別れの言葉」を祭壇の猪木さんへ贈った。

 最後は孫の尚登さん(14)がオカダ・カズチカと「1、2、3、ダァー」を天国の猪木さんへささげた。

 午後2時から入場無料で一般の献花を受け付け、多くのファンの列が途切れることなく午後5時9分に終了した。主催者は、会場に入れなかったファンのために急きょ、午後5時以降に国技館の正面入り口に臨時献花台を設置。午後9時までファンの献花を受け付ける。

 多くのファンが猪木さんに会いに国技館へ足を運んだ「お別れの会」。長女の寛子さんはファンへ「みんな、つらいことがあったり思ったら、海を見てパパのことを思い出して、そのつらさを乗り越えて生きていてくれればいいなと思う」とメッセージを残した。

格闘技

×