陸上男子砲丸投げ日本記録保持者の中村太地(27)=ミズノ=が、30日までにスポーツ報知の電話取材に応じた。重さ7キロ超の砲丸を投げる種目特性から、新型コロナウイルス禍で練習環境が制限された影響は大きいが、試行錯誤して競技力維持に取り組む。中学時代まで相撲に取り組んで鍛えた基礎体力と、恵まれた身体能力で18年に日本記録(18メートル85)を樹立。延期された東京五輪で、日本男子では同種目57年ぶりの出場を目指す逸材の素顔に迫った。(取材・構成=細野 友司)
約2か月間に及んだ首都圏の緊急事態宣言解除で、東京・味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)は利用再開となった。ただ、中村が拠点を置く国士舘大のグラウンドは依然、使えない。練習面での試行錯誤は続く。
「宣言中は、砲丸にめったに触らなくなっちゃいましたね。家では無理だし、公園でも(投げたら)苦情が来ちゃいます。使える競技場があれば動きたいですが、状況が状況なのでモラルを守って練習したい。今、やれることに全力で取り組むことが大切だと思います」
試合も中止で、体力維持が当面の課題。秋に予定される日本選手権へ、可能な努力を積むしかない。
「今だからこそ、坂や階段を走り込んでいますね。50~80メートルのダッシュとかも。足腰の強化は結構出来ていると思います。鍛錬の時。日本記録もさらに更新していかないといけないし、ここでは終われない」
175センチ、130キロの体格。中学生までは相撲道場に通っていた。逃げたいほどの猛稽古が、重さ16ポンド(7・260キロ)の砲丸を投げる体力の基礎を培った。
「相撲は、小3から中3まで。全国大会にも出ていましたよ。茨城は相撲が強いんですよね。(同郷の)稀勢の里関(現・荒磯親方)や高安関は、やっぱり応援します。でも、相撲は本当に稽古がきつくて、正直辞めたかった。逃げたかったですよ(笑い)」
高校で陸上競技を始め、投てきの名門・国士舘大へ。卒業後すぐは実業団入りがかなわず、中学校の授業補助の仕事で生計を立てて競技を続けた。生徒を手取り足取り支えるうちに身についた手先の器用さは、今でも宝物になっている。
「勉強の苦手な子をサポートしたり、家庭科や技術、美術の授業で補助をしていました。やっているうちに、(器用さが身についた)という感じです。はんだごてやらミシンやら、何でもできます。裁縫もできますよ。6時間目が終わって、15時半~16時くらいから(拠点の国士舘大で)練習していました。(18年7月からミズノ社員となり)今は、練習に集中できる環境になっています」
世と4メートル27差 男子砲丸投げで、世界の壁は高い。中村の日本記録も、世界記録(=米国のR・バーンズが90年に出した23メートル12)と4メートル27の差がある。
「腕力なら僕も強い方だと思うけど、発揮力やスピードの速さみたいな部分はレベルが違いますね。砲丸を、まるで野球ボールみたいに軽く投げるんで(笑い)。以前は、ひたすら筋トレをして…とかをやっていましたけど、筋肉が大きくなったら可動域も下がってしまう。最近は、そういうことも考えるようになりました」
来夏の東京五輪。出場すれば、日本勢男子では、前回の64年東京五輪に参戦した糸川照雄以来、57年ぶりの快挙となる。参加標準記録(21メートル10)突破や、世界ランキング向上でたどり着く夢舞台へ、思いはたぎる。
「五輪はもう、夢の祭典。狙っているし、出たい気持ちはあります。延期で士気は下がる部分もあるけど、へこたれずにやれば必ず結果は出る。しっかり前を向いてやっていきたいです」
◆中村太地(なかむらだいち)プロフィル
▼生まれとサイズ 1993年1月15日、茨城・笠間市。175センチ、130キロ。
▼競技歴 笠間高から始め、当時は円盤、ハンマー、砲丸の“三刀流”。08年大分国体少年Bでは円盤投げで4位入賞。国士舘大進学後は砲丸投げで14年日本学生対校2位となるなど、実績を残す。18年5月のセイコーゴールデングランプリ大阪で18メートル85の日本新記録。
▼身体能力 50メートル6秒台の俊足。握力は78キロ。下半身を鍛えるフルスクワットは300キロ。ベンチプレスも220キロをこなす。
▼名前の由来 88年ソウル五輪競泳男子100メートル背泳ぎで金メダルの鈴木大地氏(現・スポーツ庁長官)から。漢字が異なるのは「多分、画数の問題」。
▼好きな食べ物 笠間市にある焼き肉店「ちゃぼうず」。牛タンとハラミが好物。毎年、帰省に合わせて元日に食べに行く。
▼好きな漫画 中国の春秋戦国時代末期の秦を描いた「キングダム」
▼家族 両親と姉。