箱根駅伝100周年~世界を目指す男たちの戦い~

スポーツ報知
2019年、初優勝のテープを切る東海大アンカーの郡司陽大(手前)

 第96回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)は2020年1月2、3日、東京・千代田区大手町の読売新聞社前~神奈川・箱根町の芦ノ湖を往復する10区間217・1キロで行われる。「世界で通用する選手を育成する」という理念を掲げ、1920年(大正9年)に第1回大会開催。令和初にして、2度目の東京五輪イヤーの箱根駅伝はちょうど100周年を迎える(戦争のため5回中止)。長い歴史の中で多くの名選手が箱根駅伝から世界へ挑んだ。東京五輪マラソン代表選考会(MGC、2019年9月15日)の男子1、2位で代表に内定した中村匠吾(27)=富士通=、服部勇馬(26)=トヨタ自動車=、さらには3位で代表入りの可能性が大きい大迫傑(28)=ナイキ=も学生時代は箱根路を沸かせた。「箱根から世界へ」を合い言葉とする伝統のレースの本質に迫る。(スポーツ報知箱根駅伝担当・竹内 達朗、太田 涼)

 日本マラソン史に残る死闘だった。中村が先頭を突っ走り、大迫が追う。さらに服部がくらいつく。

 2019年9月15日、東京五輪マラソン代表選考会(MGC)の男子。残り3キロで中村が仕掛けると、大迫と服部が反応した。

 2位までが五輪代表に内定。3位はMGCファイナルシリーズで2時間5分49秒の設定タイムを突破する選手がいなければ、代表に選ばれるが、ファイナルシリーズ最終戦の東京マラソン(2020年3月)が終わるまで宙ぶらりんの状態が続く。2位と3位には天地の差がある。五輪切符とプライドをかけた争いは、熾烈を極めた。

100周年の箱根駅伝

 第96回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)は2020年1月2、3日、東京・千代田区大手町の読売新聞社前~神奈川・箱根町の芦ノ湖を往復する10区間217・1キロで行われる。

「世界で通用する選手を育成する」という理念を掲げ、1920年(大正9年)に第1回大会開催。令和初にして、2度目の東京五輪イヤーの箱根駅伝はちょうど100周年を迎える(戦争のため5回中止)。

 長い歴史の中で多くの名選手が箱根駅伝から世界へ挑んだ。MGC男子の主役3人も学生時代は箱根路を沸かせた。「箱根から世界へ」を合い言葉とする伝統のレースの本質と、世界を目指す中村、服部、大迫の生き様に迫った。

MGC優勝 駒大OB中村匠吾

 MGCで三つどもえの争いを制して真っ先に東京五輪代表を勝ち取ったのは、中村だった。2時間11分28秒。2位服部とは8秒、3位大迫とは13秒差でつかんだ日本一。「優勝して内定できたことは自信にしたい」とレース後のインタビューもガッツポーズも控えめな27歳。52万5000人が沿道に駆けつけた大一番で、駒大OBとして初めて五輪マラソン代表に内定した。

 「最後までもつれると思った。序盤でなく42・195キロを通して勝負しよう」と腹をくくり、スタートから独走する設楽悠太(28)=ホンダ=を集団で追った。37キロすぎで逆転すると、先頭集団の主導権を握った。1度目のスパートで服部を振り切ったが、大迫に並ばれた。「最後の800メートルの上り坂がポイントになると思っていた」。前日にコースを試走してひらめいた勝負どころで2度目のスパート。今度は、誰もついてこられなかった。

 駒大時代から師事する大八木弘明監督(61)の指導を受けて9年目。愚直に努力できる天性の才能に加えて、大胆にも見える勝負勘を養ったのは3度駆けた箱根路だ。「特に2回(3、4年時)走った1区は駆け引きも多くて、マラソンにプラスになる部分が大きかった。特に4年生の時。遅れたけど、最後にまくって1位。本当にきつくて離れたんですよ。前の集団のペースも思ったほど上がってなくて、近づいてきたら自分が元気になってきた。最後の年だったので、トップでつなげてよかったです」と語る。

 実は2013年箱根駅伝3区で、設楽(当時東洋大)と大迫(当時早大)と直接対決をしている。「当日変更で大迫さん、設楽さんが入ってきて…。予想していなかったので、緊張しましたね」と中村は振り返る。設楽、大迫に続いて区間3位だったが、終盤に並走した大迫には平塚中継所の手前で競り勝った。箱根路から続くストーリーもまた、運命的だった。「箱根駅伝があったから今の自分がある。確実に、道はつながっていると思います」。MGCの勝利でそれを証明してみせた。

MGC2位 東洋大OB服部勇馬

 MGCで2位に食い込んだのは服部だった。

 号砲が鳴ると同時に東洋大の先輩の設楽が独走。「冷静でいられなかった。でも、落ち着いて走ろう、と自分に言い聞かせた」。第2集団で我慢を続け、中村、大迫とのサバイバルに持ち込んだ。残り3キロで中村が抜け出し、大迫が追う。服部は3番手で苦闘した。

 残り450メートル。明暗を分けた瞬間があった。中村に突き放された大迫が後ろを振り返った。「僕もきついけど、大迫さんもきつい。無我夢中で走った」服部は残り300メートルで逆転。土壇場で2枚目の五輪切符を手にした。

 「大迫さんを抜いたことは覚えていない。気がついたらゴールしていた」と服部は日本マラソン史に残る激戦を静かに振り返る。

 その一秒をけずりだせ―東洋大のチームスローガンを、まさに体現する走りだった。

 箱根駅伝には1年時から出場。9区で3位。ルーキーとしては悪くない結果だったが、全く満足できなかった。「絶対に来年はエース区間の2区を走る、と心に決めました」と明かす。

 確固たる決意通り、2~4年時は3年連続で2区を担い、3位、区間賞、区間賞の結果を残した。ただ、それでも100%満足することはなかった。

 大学4年間で最も心に残っていることを問われると「東京マラソンで負けたこと」と服部は即答する。リオ五輪代表選考会だった2016年2月の東京マラソン。35キロ過ぎに日本人トップに立ったが、40キロ地点で失速。年下の青学大勢の下田裕太(23)、一色恭志(25)=いずれも現GMOアスリーツ=ら逆転され、日本人4位の12位に終わった。手中にしたかに見えた五輪切符を逃した。

 2年時の箱根駅伝総合優勝や3、4年時の「花の2区」連続区間賞などチーム、個人で勝ち取った数々の栄光よりも、世界に届かなかった屈辱を服部は胸に深く刻み、走りづけていた。

 いよいよ東京五輪イヤー。「メダル獲得は簡単なことではない。今まで以上に努力が必要です」と服部は表情を引き締める。

 「箱根から世界へ」辿り着くためには、その一秒をけずりだし続けなければならないことを服部は知っている。

箱根駅伝の歴史 五輪惨敗から誕生

 1912年ストックホルム五輪男子マラソンに、金栗四三さんは日本人初の五輪選手として出場した。しかし、無念の途中棄権。その苦い経験を次代につなぐために「世界で通用する選手の育成」を理念として箱根駅伝創設に尽力し、1920年の第1回大会でスターターを務めた。

 それから100年。今では大会で最も活躍した選手に贈られる「金栗四三杯」にその名を残す。2019年にはNHK大河ドラマ「いだてん」の主人公にもなった。「世界で通用する選手の育成」を大会理念に掲げた金栗四三さんら先達の思いは、選手、指導者に確実に伝わり「箱根から世界へ」は合い言葉となっている。

 第1回大会の参加は、東京高等師範学校、明大、早大、慶大の4校だけ。最終10区で東京高等師範学校の茂木善作が明大を大逆転し、優勝を飾った。

 歴史は巡る。大正、昭和、平成の時を経て、令和最初にして100周年の記念すべき大会で、金栗四三さんの母校であり、初代箱根王者の東京高等師範学校の流れをくむ筑波大が26年ぶりに復活を果たしたことは、まさに時代の巡り合わせと言える。

100周年の箱根駅伝 5強が優勝を争う

 文字通り「山あり谷あり」の10区間217・1キロ。長丁場の箱根路を制するための4大要素は「エース」「山」「ロード適性」「選手層」だ。

 「エース」。駅伝は先手必勝が鉄則。レースの流れに乗るためには序盤の主要区間が鍵を握る。花の2区を担うエースに加え、その前後を走る複数の準エースをそろえることが重要だ。

 「山」。箱根駅伝特有の山上り5区と山下り6区にはスペシャリストが求められる。5区は2017年大会から距離が短縮されたが、それでも、競技時間は最も長く、大きな差がつくことに変わりはない。6区は復路の流れを決める重要なポイントだ。

 「選手層」。全10区間が20キロ超。チームの8~10番手が担う“つなぎ区間”では選手層が勝負の明暗を分ける。

 「ロード適性」。トラックの持ちタイムでは表せない強さ、しぶとさが駅伝には欠かせない。5000メートルや1万メートルの記録がいいだけの「タイム番長」は過酷なロードでは淘汰される。

 100周年の記念すべき大会は、前回覇者の東海大を始め、青学大、東洋大、駒大、国学院大の5強が優勝争いの中心となる。

 東海大は分厚い選手層が最大の強み。黄金世代のエース格だった関颯人、前回6区2位の中島怜利(ともに4年)が登録メンバーから外れたが、名取燎太(3年)、市村朋樹(2年)、松崎咲人(1年)ら新戦力が台頭。右太もも裏を痛め、戦線離脱していた館沢亨次主将(4年)の復帰も大きい。5区には前回2位の西田壮志(3年)を擁する。「東洋大の相沢晃(4年)に個人では勝てないけど、チームとして戦えば、どの大学にも勝てる」と館沢は胸を張って話す。

 前回、5連覇を逃した青学大は2年ぶりの優勝に向けて戦力を整えている。

春先、強気で鳴らす原晋監督(52)が「ひとつ間違えるとシード権(10位以内)確保も危ない」と弱音を漏らすことがあったが、危機感を持って迎えた夏合宿でチームは一変。「優勝を争える状態になった」と指揮官は胸を張る。

前々回、前回と5区を担った竹石尚人(4年)が左足の故障のため、登録メンバーから外れたが、中村友哉(4年)、新号健志(3年)、早田祥也(2年)、岸本大紀(1年)と各学年で新戦力が育った。「やっぱり大作戦」を掲げる青学大が王座奪還する可能性は「やっぱり」ある。

 東洋大は学生NO1ランナー相沢と3年連続6区を担う今西駿介(ともに4年)の爆発力にかける。駒大はスーパールーキー田沢廉の勢いある走りが強力な武器となる。国学院大は土方英和と浦野(ともに4年)の2枚看板で勝機を見いだしたいところだ。

 「エース」「山」「選手層」「ロード適性」の4大要素は“足し算”によってチーム力が決まるが、これに「コンディション」という要素が“かけ算”される。つまり、大会当日のコンディションが5割ならばチーム力は半減する。箱根駅伝に出場するチームのほぼ全員が選手寮で合同生活を送っている。もし、ひとりでもインフルエンザやノロウイルスなどに感染すると、チームは大ピンチに陥る。5強といえども、万が一、アクシデントに見舞われると、即、シード権争いに巻き込まれる。

 全チーム、全選手が万全の体調で新春の晴れ舞台に挑むことを、駅伝ファン全員が願っている。

世界を目指す東洋大エース相沢晃

 箱根から世界へ。多くのレジェンド達が箱根路から巣立っていったが、今回も目前に迫った東京五輪を虎視たんたんと見据えるランナーがいる。

 日本学生NO1の相沢晃(東洋大4年)はその筆頭だ。

今季は出雲駅伝3区、全日本大学駅伝3区と連続で区間新をマーク。特に伊勢路では「『あいつには勝てない』という走りが必要だった。相手をあきらめさせるような」とハイペースで飛ばす相澤に、9キロ付近で酒井俊幸監督(43)が「休めない!休めない!」と猛ゲキを飛ばした。そんな男が目指すのは、記録より記憶に残る心揺さぶる走りだ。

 「2区なら塩尻(和也、順大)さんの日本人最高(1時間6分45秒)ではなく、モグスさん(山梨学院大)の区間記録(1時間6分4秒)にどれだけ近づけるか。4区なら20年以上抜かれないような記録を打ち立てたい。箱根を通過点、ステップにして、まずは2020年の東京五輪1万メートルで出場したい」。東洋大の酒井俊幸監督(43)も「世界を目指すという思いを、走りで表現してほしい」と期待を寄せる。

 箱根連覇を目指す東海大にも、見逃せない選手がいる。今季の日本選手権3000メートル障害を制した阪口竜平(4年)はドーハ世界陸上代表まであと一歩に迫る好記録をマーク。1500メートルでも館沢亨次主将(4年)は期待の星だ。

 アフリカ勢が席巻している長距離種目だが、日本の学生長距離界は世界的に見てもレベルは高い。駅伝という日本の文化を経て成長した若き侍たち。その原点とも言える箱根駅伝の貢献度は、計り知れない。

MGC3位 早大OB大迫傑

 土壇場で中村に突き放され、服部に逆転を許した。大迫は五輪代表を即決することはできなかったが、なすべき事をなした。悔しさの中にも、ここまで積み上げたものを出し切れた充実感が表情に浮かんだ。

「服部君は足が残っていた。“たられば”は失礼だし、後々、考えても順位は変わらなかったと思う。完敗という一言に尽きる」。3位という順位に満足することはないが、“後輩”2人の強さを認めた。

 日本記録保持者として追われる立場で挑んだ。MGCまで17年ボストン、18年福岡国際、同年シカゴと3度のマラソンはいずれも世界トップクラスへの「挑戦」がテーマに見えた。どれだけ今の自分が通用するのか。ここまでのアプローチがレースにどう現れるのか。一転、「横綱」として走るマラソンは初めての経験。誰もがマークし、意識したことは間違いない。

 それは選手だけでなく、多くのファンも注目していただろう。マラソンだけでなく、大迫のトラック、ロード、そして箱根駅伝をはじめとする輝かしい実績の数々。加えて、米国留学などのチャレンジングな姿勢を応援する声は、他とは一線を画す。

 特に、早大での4年間は大迫の知名度を大きく飛躍させた。箱根駅伝では1、2年時1区区間賞、3年時3区2位、4年時1区5位。トラックを主戦場としてスピードに磨きをかけながらも、その役割を十二分に果たす走り。13年春には米国短期留学。オレゴン州ポートランドでロンドン五輪1万メートル銀メダルのゲーレン・ラップ(米国)らと練習し、世界を肌で感じた。

 学生時代、大迫の箱根駅伝への取り組みは他の選手とは一線を画すものだった。ただ、それが、大迫傑の魅力でもあった。今では日本の多くの実業団ランナーとは一線を画し、米国でプロランナーとして生きている。他人と違う道のりで結果を残す。大迫にとって「箱根から世界へ」は当てはまらないが、少なくとも「世界へ」という思いは変わらない。

箱根の山より、はるかに高い山を目指して

 新春の風物詩となった箱根駅伝。いまや絶大な人気を誇る。例年、日本テレビの生中継は約30%という高い数字をたたき出す。

 箱根駅伝が盛り上がっているため、弊害を指摘する声がある。大学を卒業した後、燃え尽き症候群に陥る選手がいることは事実だろう。しかし、箱根駅伝が盛り上がっているため、長距離走を始める中高生は多く、競技ピラミッドの底辺拡大に貢献している。デメリットよりメリットの方が大きいはずだ。

 結局は選手の志に委ねられる。持って生まれた身体能力を考えれば「箱根駅伝がゴール」という選手がいる(たとえば、この記事を書いているスポーツ報知の箱根駅伝担当記者だ)。その一方で、強豪校で出場10人に選ばれた選手や各校のエース区間を走る選手は箱根の山より、はるかに高い山を目指してほしい。

 大胆に、あるいは乱暴に言ってしまえば、箱根駅伝はしょせん大学の関東大会である。世界への通過点。ほんの一里塚にすぎない。

箱根から世界へ。そう思えるランナーだけが世界で戦える。

◆竹内 達朗(たけうち・たつお)1969年11月6日、埼玉・戸田市生まれ。50歳。88年、川口北高から東洋大経営学部に入学。昭和最後(89年)、平成最初と2回目(90、91年)の箱根駅伝に出場。1年8区14位、2年3区13位、3年3区14位とブレーキ連発。4年時は予選会で敗退。低迷期の東洋大でさらにチームの足を引っ張った。泣く泣く競技の道を断念し、92年に報知新聞社入社。以来、サッカー、ゴルフ、陸上などを担当。足で稼ぐ取材が信条で、青学大の原晋監督には「昭和の記者」と呼ばれている。

◆太田 涼(おおた・りょう)1991年7月8日、福島市生まれ。28歳。2010年、福島高から順大スポーツ健康科学部入学。3年から長距離マネジャーを務め、4年時は駅伝主務。14年に報知新聞社入社。レイアウト担当を経て18年から取材記者として陸上や箱根駅伝、大相撲、BMXなどを担当。フルマラソン自己記録は12年ロサンゼルスでの2時間33分41秒。

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