【巨人】超異例の2局同時中継、選手らに“恩賜の煙草”…初の展覧試合から60年、その舞台裏

スポーツ報知
昭和34年6月26日付報知新聞

◆巨人5x―4阪神(昭和34年6月25日・後楽園)

 巨人・長嶋が打った。決めた。初の天覧試合でサヨナラホームランだ―。今でも語り継がれる伝説の試合は1959年6月25日、後楽園球場で行われた。今日25日でちょうど60周年を迎え、スポーツ報知では、60年前のヒーロー原稿も掲載し、長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督(83)=報知新聞社客員=には思い出話や、いま明かされる真実まで披露してもらった。

 昭和天皇、香淳皇后ご臨席による天覧試合が1959年6月25日に初めて実現した。プロ野球が「国民的スポーツ」に転換する契機になった試合といっても過言ではない。

 当時、後楽園球場の巨人戦中継は日本テレビが独占していたが、同局は全国20局をネットしていたものの一部地域で見られないことを考慮し、NHKの中継も許可。異例の2局同時中継となった。

 当日、昭和天皇は午後9時15分に退席し、皇居に戻られることになっていた。そんななかで長嶋は同9時10分にサヨナラ本塁打を決めた。この試合の出場選手、審判員らには“恩賜の煙草”(皇室の紋が入った紙巻きたばこ)が贈られ、水原円裕(茂)監督らはそれを神棚に飾ったという。

 試合は巨人・藤田、阪神・小山両エースの先発で始まった。鳴り物応援が禁止され、いつもとは違う雰囲気が球場を包んだ。7回、巨人のルーキー・王貞治が同点2ラン。4―4で迎えた9回、先頭の長嶋が阪神・村山実の速球をとらえ、ソロ本塁打を左翼ポール際へ打ち込んだ。ちなみに、この試合で初めて「ONアベックアーチ」が生まれた。

 長嶋は「当時は『天皇陛下や皇后陛下は野球なんてご覧にならない』という雰囲気があった。相撲は見に来てくださる感じはあったけど、野球は無理だと思っていた。何とか一度、とかねがね思っていた」と回想する。長嶋だけでなく、多くのプロ野球関係者も「陛下に来てもらえたら」と常々口にしていた。

 両陛下がどの球場で観戦されるかは直前まで分からず。試合日のわずか6日前に決まった。読売新聞が「天皇 後楽園ナイターへ 25日の巨人・阪神戦 初めてプロ野球ご見物」と報じた。当時の日本野球機構事務局長・井原宏の「今年初めから宮内庁当局と打ち合わせていたが、どのカードをご覧になるかは、もっぱら陛下のご意思にお任せした」との談話も掲載された。

 長嶋は天覧試合前の約20日間、スランプに陥っていた。調子が上がらず、前日の試合も無安打だった。しかし当日は第1打席で左前安打。独特の雰囲気の中、勝負強さを見せた。「国民が注目しているビッグゲームは不思議と力がわいてきた」

 試合の6年後、長嶋は、昭和天皇から「あの時はいいホームランだったね」とお言葉をかけられた。長嶋は「天覧の中でホームランを打ったこと自体が、野球人として最高の栄誉」と語り、プロ野球人気を押し上げた一戦を深く心に刻んでいる。

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