2021.07.16
# エンタメ

『サマーウォーズ』の前と後、「チーム・細田守」に起こった「決定的な変化」

エヴァンゲリオンとの「意外な接点」も
倉田 雅弘 プロフィール

丸山は、その言葉を覚えていたのだろうか。渡邊も映像のプロデュース経験はなかったが、自身が編集していた雑誌のライターや研究者の紹介で細田監督の才覚に触れ、感銘していた。

こうして新人プロデューサー2人とフリーになったばかりの細田守監督によって『時をかける少女』の制作は始まった。当時すでに6回映像化されていた『時をかける少女』を、21世紀のいま創る意義や意味について、また作中で重要な時間の概念などについて、膨大な「雑談」を通して3人で語り合ったという。こと渡邊と齋藤は制作に入ると、月に500回以上電話で連絡を取っていたとも。

その結果『時をかける少女』は、7月15日の公開当初は全国21館のみという小規模な興業を予定していたが、観客の口コミで人気を博し、最終的には40週間にわたるロングラン、上映館数延べ100館以上、観客動員数18万人以上、興業収入およそ2億6400万円を計上し、翌年発売されたDVDは売上約15万枚のヒットとなった。また作品の質も高く評価され、国内外問わず数多くの映画祭、映画賞にも招かれた。

『時をかける少女』にて、主人公・紺野真琴の声を務めた仲里依紗[Photo by gettyimages]
 

しかし、それであっても細田守監督は、まだアニメーション業界内、もしくはそれに詳しい人たちの間での、知る人ぞ知る人物であり、今日のように一般的な人気を集める存在ではなかった。彼の人気の起爆剤となったのが『サマーウォーズ』であり、そこで一役買ったのが日本テレビ放送網の出資と、同局側のプロデューサーであった高橋望の参加だ。

『サマーウォーズ』から参加した新メンバー

前述の記事をお読みいただくとわかるが、高橋はスタジオジブリで制作中止となった細田版『ハウルの動く城』のプロデューサーを務めていた。その後、日本テレビ映画事業部でプロデューサーに就いた高橋に、マッドハウスの齋藤から『サマーウォーズ』の企画が持ちかけられたのは、2008年1月のことだという。

映画興行において、地上波のテレビ局が製作に関与する意味は大きい。ネットやSNSが普及したとはいえ、こと老若男女問わない一般層への宣伝、告知媒体として、いまだテレビは随一だ。日本テレビが製作に参加した『魔女の宅急便』以降、スタジオジブリの作品の興行収入が急増したのが好例だろう。

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