旧統一教会はなぜ日本に進出し、世界でも稀な規模に勢力拡大できたのか

『民族と文明で読み解く大アジア史』増補編5
安倍晋三元首相銃撃事件をきっかけに、旧統一教会への社会の関心が高まっている。しかし一般の若い世代では、1960年代以降にこの教団が起こした、その日本への浸透ぶりを示す霊感商法などの社会問題を知らない人も多いようだ。旧統一教会はどのようにして日本の権力中枢まで取り込み、多くの信者を獲得できたのか。新著『民族と文明で読み解く大アジア史』(講談社+α新書)の著者・宇山卓栄氏によると、その鍵は「反共」のスローガンと朝鮮民族固有の「用日」の思想であるという。

「反共」でありながら北朝鮮で金日成と会談

故郷を奪った北朝鮮に対する憎悪が統一教会(1954年設立。現・世界平和統一家庭連合)の創始者・文鮮明にあったと言われています。文鮮明は1920年、現在の北朝鮮の平安北道定州郡で生まれています。その憎悪が彼を反共主義に駆り立てたとされながら、1991年、韓国政府に内密に中国共産党と通じて北朝鮮を電撃訪朝し、当時の金日成主席と会談しています。

金日成 Photo by GettyImages

旧統一教会系企業が所有するアメリカの保守系新聞「ワシントン・タイムズ」創刊者の朴普煕などは、この文鮮明の訪朝によって第2次朝鮮戦争の危機が回避できたと書いています。朴普煕によると、文鮮明はアメリカの政権中枢部に、核兵器開発を進める北朝鮮が「核査察を受け入れる」などの重要なメッセージを伝える役割を果たしたとまで主張しています。帰国時の12月7日に文鮮明は「愛することができないものまでも愛する真の愛の精神で北朝鮮に行ってきました」などとする声明を発表していますが、しかし、本当に反共の政治信念を持つ者が、金日成の招きに応じて訪朝などするでしょうか。

韓国では朴正煕が1961年の軍事クーデターで国家再建最高会議議長に就任し、権力を握ります。文鮮明は朴に接近し、この時から教団は反共運動や反共姿勢を本格化させます。朴の権力掌握以前、従北勢力が韓国国内で跋扈していましたが、文鮮明や旧統一教会がそれらと明確に政治闘争をしたという形跡はありません。

旧統一教会が日本に進出しようと考えた理由について、諸説言われていますが、経済的動機も大きかったのでないかと考えられます。

1950年代から60年代にかけての韓国のGDPは、アフリカの途上国と同じレベルに過ぎませんでした。国外からの経済支援なくしては存続し得ないほどの国情では、どんなに盛んに布教活動を行ったとしても、獲得できる金銭はたかが知れていました。