■横浜市議が覚悟した自民離党

「菅さんから何も言われなかったが、ニュースを見て、安倍さんが負けたら、『もう自民党を離党するしかない』 『横浜から自民党はなくなるんだなあ』と、あの時は覚悟したよ」

 そう振り返るのは、自民党所属のベテラン横浜市議である。「あの時」とは2012年秋の自民党総裁選のことだ。維新幹部の松井一郎大阪府知事は12年2月の教育シンポジウムで、野党自民党で無役だった安倍晋三氏と対談。これを機に、安倍氏と、そして同じく無役だった菅義偉氏との親交を深めていった。松井氏は安倍氏に自民を離党してもらい、安倍氏を党首とした「ドリームチーム」で衆院選を戦う構想だったが、安倍氏は「総裁経験者が離党することはない」と断った。

 ただ、安倍氏も連携には意欲を示し、同年8月には朝日新聞の取材に「維新は日本を大きく変えるパワーがある。政策でも一致点を探した方が早い。松井知事とは様々な場面で意見交換をしている」と語っていた。自民を脅かしかねない維新との良好な関係をテコに自民党内の待望論を高めた安倍氏は同9月の総裁選に出馬し、自民党のトップに返り咲いた。松井氏に語った通り、安倍氏は、たとえ総裁選に敗れていたとしても離党はしなかっただろう。

 しかし、先述の横浜市議は言う。「菅さんは総裁選で安倍さんが負ければ、自民を離党し、維新入りしていたはずだ。自民党の横浜市議は菅さんに付き従って、維新入りしたと思う」。横浜自民党が消失したかどうかはともかく、少なくとも菅氏に同調して離党する市議がいて、分裂を強いられたことは間違いなかっただろう。

《安倍1強時代をはじめ、自民党が強者であり続ける源泉は何か。『自民党の魔力』(朝日新書)で詳述している》