満洲の開拓と拓殖大学

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タイトル別名
  • Cultivation in Manchuria and Takushoku University
  • マンシュウ ノ カイタク ト タクショク ダイガク

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抄録

満洲の農業開拓事業に従事する人材の養成を主たる目標に掲げて,昭和14(1939)年4月1日に設置された拓殖大学専門部開拓科は,第二次世界大戦終結後,拓殖大学が群馬農林専門学校を吸収合併したのに伴って紅陵専門学校農学科(群馬分校)となり,現在は,拓殖大学北海道短期大学農学ビジネス学科として,広大な北海道深川の地でその歴史と伝統を力強く継承している。 学校法人拓殖大学では,中国帰国者の受け入れを全学をあげて積極的に行ってきた。 専門部開拓科を中心とする卒業生の多くには,満蒙の開拓事業に全身全霊を持って挺身し,戦争終結時の予想だにしなかった大混乱の中,艱難辛苦の言語に絶する困難を,満身創痍の同胞と共有し経験してきた歴史的所以がある。 そして,念願であった日中国交回復後,東京都社会福祉協議会ならびに東京都中国帰国者自立研修センターの委託を受け,本学が学内に開設した「拓殖大学茗荷谷日本語教室」は,他に先駆けての社会的国際貢献活動であった。

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