2020年3月11日。WHO(世界保健機関)が新型コロナウイルスの感染拡大を「パンデミック」と宣言してから1年が過ぎた。感染者数は世界で1億1800万人以上。世界中がいまだその脅威の中にいる。
そんな中、コロナによるメンタル不調が心配されている。
タフな社長も事業不振が続けば、例外ではない。
社長としての資質や器に疑いを持つ人もいるだろう。
そこで本特集は「社長の条件」というテーマを掲げ、取材を通して「社長とは何か?」を考えることにした。
社長の条件、社長の資質、社長の器、社長の役割──。
ニュアンスこそ違うが、世の中の社長はこれらをどう捉え、どう経営に反映させているのか。
本特集を読む中で、改めて「社長としての自分」が見えてきて、進むべき道や今やるべきことがクリアになれば幸いだ。
それでは早速、見ていこう。
<特集全体の目次>
39歳で初就職、ドムドム藤﨑社長が語る社長の条件
従業員を納得させられないビジョンなら、外では語れない
社長歴50年超の経営者は「社長の器」をどう考える?
「コロナのせいで…」と泣き言を言っている人は社長の器ではない
グロービス堀学長「社長に向き不向きはない。役割を演じればいい」
コロナ禍では、社長の「伝える力」が問われている
夢中になる姿が周囲に好影響を
映画やドラマの主人公を地で行く異例の職歴を持つ社長がいる。日本初のハンバーガーチェーンを率いるドムドムフードサービス(神奈川県厚木市)の藤﨑忍社長だ。異なる3つの舞台でトップに立った藤﨑社長の働き方から、社長とは何かを考える。
藤﨑社長はドラマの主人公のような職歴の持ち主ですね。
政治家の娘として生まれ、小・中・高・短大と青山学院に通い、大学卒業後すぐに結婚・出産し、政治家の妻となる。けれども39歳のときに夫が病に倒れ、家計を支えるために初めて社会に出て働くことに。それがいきなり最新トレンドの中心地「SHIBUYA109」にあるブティックの店長。そこで年商を2倍にする才覚を発揮。
そこから居酒屋のオーナーに転身して成功を収めるものの、今度は店のお客に誘われ、51歳でハンバーガーチェーンのドムドムに入社。わずか10カ月で異例の大抜てきで社長になるという……。
藤﨑:はい。その通りです(笑)。みなさん驚かれます。
ブティックの店長(雇われ店長)、居酒屋オーナー(創業者)、ハンバーガーチェーン社長(社内出世)という3つの舞台でトップに立った藤﨑社長に、それぞれの立場で大事にしてきたことなどをお聞きし、社長の条件や資質を考えたいと思っています。
藤﨑:難しいテーマですが、よろしくお願いいたします。
まずは109のブティックで店長だったときの話からですね。
39歳で人生初の就職でしたから、何もかもが新鮮。スタッフは10代の女の子ばかりでしたので、娘との関係性を築くようなコミュニケーションを取りました。
スタッフ自身が最新ファッションの教科書だったりもしたので、彼女たちと相互理解を深めたり、近隣の店を回って調査・分析をしながら、アパレル業界のことを少しずつ学んでいきました。
渋谷の109といえば〝ギャルの聖地〟と呼ばれていた場所です。そこを選んだ理由は?
藤﨑:親友が仕事を紹介してくれました。母親が109でブティックを経営しているからそこで働かないかと。渋谷は学生時代に長年過ごした場所でしたから、なじみもありました。
店長といっても雇われ店長なので、親友のお母様のオーナーとは、いろいろ意見がぶつかりました。
こだわりがとても強いオーナーで、店頭でTシャツを並べる順番も、「白、黒、赤、オレンジの順で並べてね」と言う人でした。私は白の後は薄い色から順に、最後は黒という並べ方のほうが売れると思っていたのですが……。ラック1つとっても、「これを買って使って」と指示される感じでした。
ただ、そこは工夫しました。数字で比較して見せました。
お互い「売り上げを伸ばす」というのは共通の目標ですよね。だったら、このほうが売れると丁寧に説明すればいい。
Tシャツの並び順を変えて、「こう並べたほうがこれだけ多く売れました」と結果を数字で比較し、納得してもらったのです。
そんなことを一つ一つしていくうちに、次第に「売れるのであれば、任せるわ」と自由にやらせてもらえるようになりました。
試行錯誤の結果、年商を2倍にまでしたとか。
藤﨑:売り上げが伸び、1年後には専務を任されました。といっても仕事はさほど変わらず、店舗運営をしていました。
年商は倍増して2億円にまで達しました。坪効率は競争の激しい109ショップの中でトップ10に入った時期もありました。
そこではトップとして何を大事にしていましたか。
藤﨑:当時、トップとしての意識はほとんどなかったように思えます。仲間と一緒に売り上げをアップするのがとにかく楽しくて。そのために、市場調査やマーケティングに力を入れていました。
けれども、そこまで楽しかった店を辞めるわけですよね。
藤﨑:詳細は省きますが、オーナーが経営方針を変えたことにより退社せざるを得なくなりました。
その後、次の働き先が決まるまで、新橋の居酒屋でアルバイトをすることにしました。時給は1200円です。
そこには4カ月ぐらいいましたが、働いているうちに「お客様が何人来て、客単価がいくらで、1日これだけの売り上げが出れば、家賃、人件費、原価を考えてもやっていけるな」などと考えるようになっていきました。
そんなときに新橋にちょうどいい8坪の空き物件を見つけて、だったら自分でやってみるかな、と思ったわけです。
本当は109で自分のブティックを開こうと思っていましたし、成功させる自信もありました。
ただ、109は出店の希望者がとても多く、なかなか空きが出ません。いつまでもアルバイトの身でもいられなかったので、居酒屋をオープンすることにしました。
開業資金は退職金の一部や融資を含めて1500万円を用意。スタッフは前のブティックで一緒に働いていた女の子を誘いました。
そして東日本大震災の混乱が冷めやらぬ11年5月、44歳で新橋に「そらき」を開業しました。
今度は前回と違って何もかも自由に決められるオーナーです。意識や覚悟も違ったのでは。
藤﨑:起業経験もないのに融資してくれた金融機関の担当者、私に付いてきてくれたスタッフ、挑戦を応援してくれる家族……。みんなの期待は裏切れません。それは「絶対に成功させなければいけない」という大きな力になりました。
売り上げを伸ばすことはもちろん重要ですが、居酒屋は癒やしや和みを求めるお客様が多い。数字の向こう側にあるものというか、「お客様が何を求めているのか、私たちのサービスで何を感じ、どう思うのか」をより意識するようになりました。
顧客視点、顧客体験をより意識するようになったわけですか。
藤﨑:はい。自分でもすごく想像力が鍛えられたと思っています。だから居酒屋オーナーとして大切にしていたのは、「相手がどう思うのか」ということでしょうか。
お店は当初から予想以上に順調で、すぐに2店舗目もオープンしました。
そこまで順調なのに、その後、ハンバーガーチェーンのドムドムに行くわけですよね。
ドムドムは最盛期は全国に400店舗を展開していましたが、事業縮小を重ねて店舗が30数店にまで激減。17年にホテル運営などを手がけるレンブラントホールディングスが運営会社を買収して再建に着手することになりました。
藤﨑:たまたま私の料理や接客を気に入ってくださっているお客様の中に、レンブラントHDで専務をしている方がいまして、「ドムドムのメニュー開発を手伝ってくれないか」と頼まれました。
開発会議に参加して意見を言う外部のアドバイザーのような役を任されたわけですね。
藤﨑:とても面白そうだなと。私はそこで「メニューを考えるならまずは店に行って食べないと」と考え、関東の行ける範囲の店を自分で回りました。すると大阪にある店舗にも行きたくなりまして、出張費を出してもらって行ったんですね。
それで店ごとに雰囲気、客層、味、オペレーションの違いなどをリポートにまとめて、改善案も含めて提出しました。先方は意見をちょっともらうぐらいの感覚だったのでしょうか。「そこまでやるなら社員としてやってみませんか」と誘っていただきました。
アドバイザーと社員では大きな違いがありますよね。居酒屋も成功しているわけですし。
藤﨑:私はそのとき51歳。企業に勤めたこともない居酒屋のおばさんを社員として誘ってくださることに、勇気や情熱を感じ、感銘を受けました。
ちょうど109時代から一緒に働いている女の子とも今後のことを話していました。彼女に独り立ちしてもらいたいというタイミングでもあったのです。なので彼女にお店を任せて私はドムドムに行くことにしました。
そこからどういった経緯で社長に?
藤﨑:しばらく店長として現場で基礎的なトレーニングをしつつ商品開発をしていました。その後、15店舗を統括する東日本のエリアマネジャーを任されました。
店舗を回ってスタッフに話を聞いたり、お客様を見たりすると、問題点がたくさん見えてくるわけです。全体の売り上げも芳しくない。居酒屋経営の経験から「この状態は非常にまずい」と思いました。
なのに社内で効果的な改善策を議論できていない。経営会議も数字の報告会として終わる。ロゴやユニホームを変えて復活しようという大事な時期にですよ。
せっかくここに入社したのに、この状況では困る。そう考えて、私を誘ってくれた本部の役員に電話をして「意見の言える立場にしてください」とお願いしました。忘れもしません。店舗巡回中の横浜駅構内でのことでした。
役員の返事は「それは無理だよ、藤﨑さん。藤﨑さんはまだ何も数字を出していないよね」と。
けれども、懲りずにその後も改善案を出しました。そうこうしていたら1カ月後、いきなり本部に呼び出されて「取締役になってください。ついては代表取締役です」と言われました。2018年8月、入社から10カ月後のことでした。
驚きですね。その後は?
藤﨑:斬新なメニューを担当者と一緒に次々開発しました。揚げたカニを丸ごと一杯挟み込む「丸ごと!! カニバーガー」を期間限定で販売したところ、これがSNSなどで話題になり大ヒット。ファッションブランドの「BEAMS」とコラボ商品を出したり、六本木でイベントをしたり。
浅草花やしき店もコロナ下の20年9月にオープンし、今年の3月には千葉県の「市原ぞうの国」内にも新店舗を出しました。
毎日がとても有意義で新しいチャレンジの連続です。
そこで気づいたのは、ドムドムは熱狂的なファンに支えられていること。店舗数が多かった時代、幼少期をドムドムのハンバーガーで育った人が今、40、50代になっていて「絶滅危惧種を救おう!」と応援してくれています(笑)。
一方で昔のドムドムのことを知らない若い子たちも「おいしい! かわいい!」とファンになってくれています。ネイルも含めて全身ドムドムコーデで身を固め、全国の店舗を回って感想をインスタグラムにアップしてくれる女の子もいます(右写真)。
社長をやってみて分かりました。ドムドムはこれまで築き上げてきたブランドこそが何より大事なんだと。今、ドムドムに対する懐かしさや愛着が期待に変わっている。新しいファンもいる。そこをもっと伸ばしたい。
店舗拡大も見据えていますが、それはあまり重要ではないと考えています。
そうした試行錯誤が結果にも表れていますね。20年3月期決算で売上高は前期比10%増で、赤字から黒字に転換。そんな藤﨑社長に聞きます。社長の条件、資質とはどのようなものでしょうか。
藤﨑:そうですね……。取材前からずっと考えていますが、はっきりとした答えは浮かんできませんでした。今は多様な時代です。企業もいろいろな形があります。だからその企業に適した多種多様なスタイル、タイプの社長であればいいと思います。
あえて言うとすれば、「人を思いやれる人」でしょうか。例えばいつもは威張っていても、困っているときは守ってくれる、手を離さないでいてくれる。そんな人は社長としてふさわしい気がします。
それと、社長だけでなく、どんな立場の人でも、自分が「夢中になること」は大事だと思います。
そうですね、答えは「夢中」かもしれません。夢中になって働けば、従業員のこともお客様のことも大切に考えますよね。
はい。私は今も夢中です(笑)。
(この記事は、「日経トップリーダー」2021年4月号の記事を基に構成しました)
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