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「菅首相」の先輩? 英無派閥宰相のリーダーシップ 君塚直隆・関東学院大教授に聞く

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「世論」に着目、若手の世代交代論にも理解

もうひとつの武器について「パーマストンは世論というものに力と意味を見いだした英国で最初の政治家だった。新聞界とのつながりを強固にし、中産階級と労働者階級を自身の政策に引きつけた」と君塚氏は分析する。首相に就任したのは1855年。当初短期で終わるとみられたクリミア戦争が泥沼化し、アバディーン首相が退陣した。後継候補は外相だったパーマストンのほかに何人もいたが、キングメーカーだったホイッグ党のランズダウン・貴族院院内総務の支持が決め手になったという。クリミア戦争はパーマストン内閣のときに講和が結ばれた。

無派閥リーダーの物語は、しかしここでは終わらない。59年の自由党結成で、初代党首に選ばれたのが、1年4カ月前に首相を辞任した74歳のパーマストンだった。ライバルは同世代のラッセル首相。さらに世代交代の声を受けて40代半ばのグランヴィル元外相も候補に挙がった。

パーマストンは、台頭してきた若手ホープに理解を示し、グランヴィル内閣が成立しても協力する姿勢を示した。ところがラッセルはかつての部下の軍門に下ることを拒否。「狭量ぶりがひんしゅくを買い、若手も取り込んだパーマストンが第2次政権を組閣し、亡くなったのは首相在任時の80歳だった」と君塚氏。

ロイド=ジョージは「派閥無し学閥無し七光り無し」

菅・次期首相を「派閥無し、学閥無し、親の七光り無し」の「3無」首相候補だと、東アジアの有力紙は紹介したことがある。「学閥無し」については違和感があるが、文字通り「3無」だったのが第1次世界大戦の英国を指導したロイド=ジョージ首相(1863~1945)。父親はマンチェスターの学校教員で弁護士を経て政界入りした。当時の議員は地主貴族階級出身者が多くを占め、出身校もケンブリッジ大やオックスフォード大、パブリックスクールなどがほとんど。「中等教育までしか受けていないのはロイド=ジョージくらいだった」と君塚氏。長い政治人生を通して無派閥だった。

ロイド=ジョージの武器を「現場主義に徹底したことだ」と君塚氏は分析する。初入閣の商務院総裁時代には、役所にほとんどおらず、自ら業界の大物や実業家と会見し現場の生の声をもとに自国産業の育成に努めたという。台頭してきた労働組合界とも太いパイプを築いた。やがて大蔵大臣に転任。70歳以上の国民に一定の条件下で給付する「老人年金」を拠出する一方、富裕層への所得税増税や不動産への相続税などの「人民予算」も成立させた。一般国民の生活感覚を肌で知っていることがロイド=ジョージの強みで、地方法曹界出身にもかかわらず、政界有数の経済・財政通にのし上がった。

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