思いがけない好角家がいた。旧ソ連出身の世界的チェロ奏者、故ロストロポービッチさん。横綱千代の富士のファンで朝稽古を見学し、ちゃんこをごちそうになってからリハーサルということもあった

 立ち合いの呼吸に関心があり「音楽も気合だ。相撲の立ち合いと同じだ」と言っていたという。小兵ながら筋肉質の体格からくりだす豪快な相撲に、ロストロポービッチさんも魅了されたのだろう

 そんな横綱の引退を固めさせたのは、1991年夏場所の貴花田(元横綱貴乃花)との一戦だった。優勝31回の横綱も35歳になり、18歳の貴花田の寄りに勝てなかった。落ちた土俵下で後進が育ったのを実感したように、笑みを浮かべていた

 貴乃花親方は、こう語っている。「鋼の肉体に額をおそるおそる当てたことを忘れてはいません」。後進の厚い壁になっていた

 引退から2年後、93年3月の本社主催の滴翠クラブ例会で、元横綱千代の富士が振り返っている。筋肉のよろいをつけるか、手術か。度重なる脱臼で医師から二つの方法を示され、「筋肉をつけて防ぐことにした」。腕立て伏せを毎日500回続けた

 気合、豪快さを相撲の歴史に刻み、小さな大横綱は逝った。しこ名と出身地をつぶやいてみる。横綱千代の富士、北海道松前郡福島町出身、九重部屋。早過ぎる幕引きを悼む。