スポーツ異聞

新監督よ、故・仰木彬監督の「器」に学べ! 「山に登るルートはたくさんある」

「飲む、打つ、買う」を自ら公言し、清原からも「心の師」と慕われたオリックス・仰木彬監督=1997年(安部光翁撮影)
「飲む、打つ、買う」を自ら公言し、清原からも「心の師」と慕われたオリックス・仰木彬監督=1997年(安部光翁撮影)

2016年シーズンのプロ野球は5人の新監督が指揮を執る。球界に懐の深い、個性派の指揮官が乏しくなったといわれるが、車のハンドルでいえば「遊び」が足りないという声がある。「仰木マジック」の采配で語り継がれる元オリックス監督の仰木彬氏(享年70)が急逝して丸10年がたつ。「飲む、打つ、買う」を公言した不良中年の遊び心と男気あふれる「教え」が改めてクローズアップされている。

忘れない「野球の師」の言葉

昨シーズン限りでユニホームを脱いだオリックスの谷佳知の引退会見。19年間のプロ生活を振り返った谷が今でも「恩師」と仰ぐ仰木監督との思い出に話が及んだ。報道陣から「一番印象に残っていること」を問われ、こう答えた。

「『メンバー表におまえの名前を書くことが一番の仕事や』と仰木監督に言われたことが一番うれしかった。ケガをしてでも試合に出ないといけないことを実感した」

人生の酸いも甘いも噛み分ける指揮官ならではの熱いエールである。たとえお世辞だとしても、一流のお世辞に応えようとしない選手はいないだろう。少なくとも仰木のようなセリフを言えるまでには監督としての一定のキャリアも必要であろう。

選手をその気にさせる術

一方、正月恒例の「箱根駅伝」で青山学院大を総合2連覇に導いた原晋監督の指導も「減点主義」とは対極にあった。選手の個性を尊重して、長所をできる限り伸ばそうとする指導法である。新興勢力の大学の陸上監督として、ジュニア世代に「陸上は楽しく、夢があること」を発信する役割を感じてきたという。「忍耐」という言葉で彩られがちな、長距離に熱い思いを寄せる苦労人ならではの「感性」といえるだろう。

実は仰木監督も営業マン的なサービス精神旺盛の人だった。「鈴木一朗」というありふれた名前ではつまらないと、「イチロー」の登録名で売り出すきっかけを作ったエピソードは有名だ。

オリックスの井箟重慶元球団代表の『プロ野球 もう一つの攻防』(角川SSC新書)によると、改名の提案にイチローは当初、驚きの表情を見せた。「今はいいですが、この先、子供ができて父親がイチローではおかしいでしょう」と譲らない。すると、仰木は佐藤和弘を呼び寄せて、「おまえは来年から登録名を佐藤から別のものにしよう。おまえの頭はパンチパーマだからパンチでいこう」と口説くと、佐藤は快諾。矢継ぎ早に「先輩の佐藤が変えるんだから、おまえも来年からイチローで登録だ」と強引に納得させ、やがてイチローは「オリックスの顔」になる。もしも「鈴木一朗」のままでいたら、これだけ偉大なプレーヤーになっていただろうか。

イチローと清原の「師」

仰木監督の「名伯楽」としての功績は計り知れない。1993年シーズン終了後、土井正三監督の後を継いだ仰木がオリックスを率いて日本一に輝いたのは96年の一度きりだが、仰木の下からは野茂英雄、長谷川滋利、田口壮といった記憶に残る大リーガーが生まれている。「山に登るルートはたくさんあるのだから、自分の成功体験を押しつけてはいけない」。イチローの「唯一の師匠」であり、清原和博の「心の師」だった仰木の選手を縛らない指導によって能力を発揮した選手は少なくない。

サッカーなどの監督に比べて、プロ野球の監督の言動や一挙手一投足が目立つのは、采配によってゲームの行方が左右されるからだ。「王や長嶋がヒマワリなら、俺は月見草」の名言で知られる野村克也氏のように、試合後の談話が格別、味わい深いという監督も珍しくなっている。

野球の魅力やエンターテイメント性を引き出す采配とは何か。ステレオタイプの手堅い作戦に固執し、選手のミスに執着している野球に未来はないだろう。巨人・高橋由伸監督らが現役時の背番号をつける中で、「栄光の背番号3」ほどの重みはなくても、試合中に一度ぐらいはユニホーム姿を披露するファンサービスはあってしかるべきである。

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