大型定置網漁の記憶を後世に 秋竜山さんが100枚の絵 神奈川

 相模原市中央区に住む漫画家の秋竜山さん(74)=本名・秋山好文=が、かつて静岡県伊東市赤沢沖で行われていた大型定置網漁の様子を、自ら漁師だった経験をたどりながら約100枚の絵にまとめた。うねる波間の船上で網を引く漁師の姿などをリアルに描いたもので、秋さんは「今は機械化された大型定置網漁の様子を、子供たちに伝えたかった」と話している。(柏崎幸三)

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 ◆「機械化前、私が最後」

 「現在は機械化されているが、私は人間だけで行っていた最後の定置網漁の漁師」

 こう話す秋さんは、静岡県伊東市赤沢で漁師の家の長男として生まれた。中学を卒業後は、父の梅吉さんの勧めで漁師に。昭和32年当時、赤沢沖の相模湾の定置網漁は大型で、能登(富山湾)、岩手(三陸海岸)とともに寒ブリの三大漁場の一つといわれ、漁師約100人が大型定置網を張っていた。

 秋さんは漁師として約3年間、大型定置網漁に従事。一生漁師を続けるつもりでいたが、魚が取れなくなり、秋さんは別の仕事に就くことを余儀なくされたという。

 いまでは機械化され、漁師十数人で行う小規模なものになったが、当時は、木造漁船の櫓を漕いで沖合約1キロで1カ月以上かけて定置網を張った。多い時は1万5千匹の寒ブリが取れたという。

 ◆子供たちに伝える

 「赤沢最後の大型定置網漁師」を自負する秋さん。「日本漁業華やかしころの大型定置網漁を日本の子供たちに伝えていく必要がある」と、当時の様子を描くことを思い立った。

 作品「寒ブリの定置網」は、漁師が掛け声とともにブリを仕掛けた大型定置網に追い込んでいく様子がリアルに描かれ、真冬の船上で格闘する漁師の姿が生き生きと描かれている。

 沖合の荒れ狂う海を描いた作品「時化(しけ)」では、荒れ狂う波の中、漁船同士をロープでつなぎとめるため漁師が必死に作業している。「海はまるで川の激流のように流れ、『ドスン、ドスン』という音を立てて動いてた。その海の荒々しさを描いた」(秋さん)。

 作品は、当時の漁の様子を知る貴重な資料、「記憶絵」としての価値も高い作品になっている。

 秋さんは「華やかだった寒ブリ漁を伝えるためにも、何かの形で発表できれば」と話している。

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