そのとき以来、私は小沢一郎さんとはしっかりと握手しています。そのときね、何が問題だったかというと、事実をしっかりと見極めていったら、小沢一郎さんに何の問題もないのに東京地検という権力におもねって、黒い政治家と書いた新聞、言ったテレビ出てこい。今でも謝罪してないじゃないか。おかしいでしょう。訂正もしていない。
そういう、私は真実を、事実を見極めて正義を貫いていく。そういう風にもともと私は生まれついている。したがって、それは今度の東京都知事選も同じです。私は正義と事実と真実と、こういうものを貫きながらやっていきたいと思います。
ひとつだけ、ひとつだけ今日は時間もありますので個人的な話をさせてください。やや個人的な、私の父親の話。
私の父親は俊雄といいます。その俊の一字をとって、私は長男ですので俊太郎という名前がついたんです。これが俊太郎のいわれでございますが、父親は私が生まれたときは、九州大学の精神科の病棟に入院していました。私と母親は産婦人科に入院しておりました。そこで私が生まれました。
なぜかといいますと、私の父親は大学を出て企業に入って、現場にきたところいろいろないじめにあい、そこで、本来持っていたんでしょうね、神経症を発症しました。