小泉八雲は「二重国籍」? 新潟・南魚沼市の美術館 未公開書簡で判明

 新潟県南魚沼市の池田記念美術館が所蔵する小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850〜1904年)の未公開書簡を手掛かりに、八雲は日本人女性と結婚したが、英国が国籍離脱を認めず、日本との「二重国籍」だった可能性が高いとの論文を、愛知学院大の竹下修子教授(家族社会学)が25日までに公表した。八雲の新たな人物像を描く資料として注目されそうだ。

 八雲は日本文化を海外に広めた明治時代の作家。松江市に住んでいた際、身の回りの世話をしてもらっていたセツと結婚。女性戸主と結婚する「入夫」の形で、明治29(1896)年に当時の日本国籍に当たる「日本人タルノ分限」を得て日本人となった

 竹下教授によると、八雲以前にもあった英国人男性と日本人女性との入夫婚姻について、英国は書簡で「婚姻によって臣民としての義務を脱却しようとするなら到底許しがたい」としており、国籍離脱を認めていなかった。

 島根県が八雲の「日本人タルノ分限」取得の手続きを英国領事に照会。明治29年に代理領事が八雲に返答した未公開書簡が池田記念美術館に所蔵されており「日本側の手続きだけで完了する」と記されていた。

 竹下教授によると、この内容は、英国政府が日本人との国際結婚による国籍の取得と喪失について、過去の事例を踏まえ「英国側の手続きは不要、つまり離脱の手続きには応じないという姿勢を意味している」といい、八雲が日本と英国の事実上の二重国籍だった可能性が極めて高いと結論付けた。

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