ジャンプ・高梨に吹いた魔物の風
高梨沙羅(クラレ)をかばうわけではない。技術的にも精神的にも彼女のジャンプは完璧だった。2回の飛躍のうち、1度だけでも風に恵まれていたら……。「五輪の魔物」の多くは心の中にあるが、この試合に限っては風こそが魔物だった。
この五輪からジャンプで風の要素(ウインドファクター)を得点計算に組み入れるようになった。ジャンプでは向かい風が有利とされ、追い風だと距離が出にくい。この有利不利をなくすために、向かい風ならポイントを引き、追い風だと加算するのだが、先日の展望記事でも書いたように、ちょこちょこっと数字をいじった程度では救われないくらいのハンディが実際には生じる。
■風向き、ジャンパーの明暗左右
むしろウインドファクターを取り入れたことにより、風向きが多少ばらついてもどんどん飛ばせて試合進行を図る傾向があり、ジャンパーの明暗を左右する状況になっている。
沙羅にとって、それが信じられないくらいの「暗」と出た。
ジャンプ台はてっぺんから下のランディングバーンまで百数十メートルの高低差がある。ジャンプ台の上と下では風向きも違い、踏みきり地点から着地点までの間でもころころ風が変わっている。
■「いきはよいよい、帰りはこわい」
特にソチの風は気まぐれのようだ。土地を削ってすり鉢状の地形にしているせいか、強い風は吹かないが、巻いている。ジャンパー泣かせだ。
高梨のウインドファクターは1回目がプラス3.1ポイントで、2回目がプラス1.9ポイントだった。追い風で不利だったとして、加点されたわけだが、沙羅の被った不利益はその程度の調整で救済されるものではなかった。
ジャンパーが最も恐れるのは飛び始めが向かい風で、後半追い風になるというパターンだ。「いきはよいよい、帰りはこわい」というやつで、いい風をもらって浮力がついたと思ったら、いきなり追い風に背中を押しつけられて、ドスンとたたき落とされる。そんなイメージのジャンプになってしまう。
沙羅のときの風がまさにそうだった。しかも2回とも。
■ソチの会場、着地の衝撃きつい台
2回目の着地前の風は特にひどかったと思う。1回目の反省もあって、テレマーク姿勢を入れようという意識がうかがえた。しかし、現実にはドスンと落ちた。
着地のときに向かい風が吹いていれば、落下速度にブレーキがかかって、ふわりと体が軽くなる。落下傘を背負ったようにソフトランディングできる。
追い風だと、加速度がつくことになり、我々がいつも使っている言葉で言うと、たたきつけられる。その衝撃はビルの何階かから飛び降りるようなもので、テレマークどころか、男子でも立つのがやっとになる。男子ほどの脚力のない女子ではなおさらきつい。傾斜がなだらかなソチの台はそれでなくても着地の衝撃がきつい台だ。
2回目の沙羅は距離が伸びなかった割に、立つのもやっとの着地になった。相当の追い風を受けたに違いない。おそらく飛び始めはいい向かい風で、それだけにギャップが大きかった。
■「当たり」の風を受けたメダリスト
初代女王となったカリナ・フォクト(ドイツ)、2位のダニエラ・イラシュコ(オーストリア)は2回の飛躍のうち、1回は「当たり」の風を受けていた。
103メートルを飛んだフォクトの1回目、104.5メートルを飛んでこの日の最長不倒となったイラシュコの2回目がそれだ。
2回ともいい風がほしいとは言わない。2回のうち1度だけ沙羅にいい風が吹いてくれたら……。
飛距離をみると、2回合わせて沙羅はフォクトに2メートル、イラシュコに4.5メートル負けているが、私の見立てでは5メートル分程度、風で損をしていたように思う。
もっとも、沙羅は完璧とは書いたものの、実は気になることが1つあった。生命線であるはずのアプローチに、事前の公式練習で若干のズレがみられたことだ。公式練習の1日目も2日目も、助走速度がイラシュコらに比べて、時速1キロほど遅かった。本番では改善されていたものの、ソチに入るまでの沙羅ではなかったかもしれない。今季ワールドカップ13戦10勝。ほんの少し前の圧倒的な沙羅なら、この程度の風の不利はものともしなかったはずだ。
7位に入った伊藤有希(土屋ホーム)は喜び半分、悔しさ半分だろう。101メートルを飛んだ2回目は内容もよかった。97.5メートルに終わった1回目は踏みきりのタイミングが遅れた。これは沙羅と違って、自己責任のミスだ。メダルも狙える調子だったから悔やまれる。
■白黒はっきり分かれる「五輪人生」
17歳の沙羅には今後がある。この五輪が悪いイメージとして残らなければよいと思う。「五輪人生」というものはひとそれぞれ、白黒はっきり分かれる傾向にある。いいイメージを持った人は何度でもメダルが取れるし、悪いイメージを抱いてしまった人は実力を認められながら、何回出てもメダルに縁がないということになりがちだ。
風に左右される屋外競技であるジャンプは五輪との"相性"がはっきりでやすい競技だと思うが、屋内競技であるスピードスケートなどでも、ワールドカップでは連勝しているのに、五輪では勝てない選手がいる。心の中に巣くう魔物のせいだろう。
■「2回とも完璧」だけを五輪の記憶に
私は21歳で迎えた2002年のソルトレークシティー五輪は日本の複合チームの中でも下っ端で、怖いものなしで試合に臨めたが、06年のトリノ五輪では主力としてのプレッシャーに負けた面があった。以来、五輪に負のイメージを抱いてしまった。
精神的にもしっかりしている沙羅だから、ひきずることはないと思うが、どうか五輪に負けない選手であってほしいと思う。2回とも完璧なジャンプだった。それだけを五輪の記憶としてくれればいい。
(ソルトレークシティー、トリノ、バンクーバー五輪代表)