ソチで奮闘「静」のGK アイスホッケー・藤本那菜(上)
アイスホッケー女子日本代表、藤本那菜(25、ボルテックス札幌)の経歴は少し変わっている。20代前半に4年ほど代表入りを辞退し、主戦GKとして初めて迎えた国際大会が今年2月のソチ五輪だった。生まれ育った札幌を愛し、この競技の本場である苫小牧や釧路のチームに所属したこともない。「スマイルジャパン」唯一の札幌組だ。
■相手が動くまで動かない意識
最下位の8位に終わったソチ五輪では全試合に先発した。5戦全敗ながら1点差負けが3つもあったのは、当時の監督、飯塚祐司が「藤本で何とかもっている」と話したように、最後のとりでの奮闘があったからだ。ソチ後の出直しの場となった11月のチェコとの世界選手権1部入れ替え戦(3回戦制)では3試合でわずか3失点。得点力不足のチームを救い、世界の8強が集う舞台(来年3月開幕)に再び挑む切符を得た。
「私はアグレッシブなGKじゃない」と語る藤本は基本に忠実な「静」のGKだ。「相手が動くまで動かないことを意識している」。それは相手のシュートコースを消す最善の方法ながら、最も難しいことでもある。フェイントにひっかからず、微修正しながら正しい位置を維持する。高いスケーティング技術の持ち主にしかできない芸当だ。
■父のスパルタ特訓、基礎学ぶ
ゴールの番人に転じたのは小学5年のとき。「チームからGKが抜けて父にやるか、と言われて。うまくなかった私に選択権はなかった」。GKは社会人になってアイスホッケーを始めた父親の絢士(けんじ)のポジション。絢士にも覚悟はあった。「那菜は小学1年から始めてFWもDFもやったけれど、どれもダメだった。どうせダメなら親らしくきちっと教えて悔いなく辞めようと。インターネットなどで調べてGKの勉強を一からやり直した」
小学5年に始めた父との特訓は2年続いた。登校前の早朝などにスケートリンクを借り切って練習したというのだから、絢士の情熱も尋常ではない。「ほかの人がゴルフに行くようなもので、私は子供の上達を見る方が楽しかった。幸い那菜には(GK向きの)体の柔軟性があった」。那菜は複雑な笑みを浮かべる。「つらいスパルタ練習でした。泣きながら根性でやったあの2年のおかげでGKの基礎を習得できたみたい」
両膝をつきながら両脚を開く動作が、素早く正確にできると、低いシュートはほぼ防げる。女子では攻略が難しい、正統派の技術を身につけたGKは、高校生で日本代表に呼ばれた。
■心理学の勉強優先、代表辞退
絢士が自宅敷地内にプレハブの練習場をつくったのも那菜が高校生のころだ。ゴールを背にインラインスケートをはき、防具をつけた那菜にシュートを打つのは妹の奈千(23)。那菜によると「妹は私と正反対で運動神経が抜群」。2008年春にはDFの奈千とともに世界選手権に出た。
400個のパックやウエートトレーニングの器具を備えた自宅練習場で、代表復帰を目指す奈千と今も鍛錬に励む。しかし、そうでない時もあった。08年秋のバンクーバー五輪予選に敗れた後、心理学の勉強を優先、代表入りを辞退するようになった。(敬称略)
〔日本経済新聞夕刊12月22日掲載〕