カラジッチ被告に禁錮40年 ボスニア内戦の集団虐殺で
【ベルリン=赤川省吾】ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦(1992~95年)でのジェノサイド(集団虐殺)を巡り、国連が主導する旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)は24日、ボスニア領内の元セルビア系指導者であるラドバン・カラジッチ被告に禁錮40年の実刑判決を言い渡した。「大物戦犯」を巡る歴史的な法廷の判断が示された。
審理では反人道的な行為や大量虐殺など11の罪状のうち、10件が有罪とされた。カラジッチ被告は敵対する民族に恐怖心を植え付け、居住地から組織的に追い出す「民族浄化」の一環でイスラム系住民らの虐殺に手を染めたとされる。
法廷ではカラジッチ被告は口を真一文字に結び、判決を黙って聞いた。年齢はすでに70歳。ダークスーツに身を包み、「禁錮40年」と聞いても身じろぎしなかった。
95年の内戦終結後は司法の手を逃れるため、地下に潜伏。10年以上たった2008年に偽名を使って生活していたセルビアで身柄を拘束され、起訴された。
この日の有罪判決でボスニア内戦の「戦後処理」には一定のメドがつく。バルカン半島の政治安定にはプラスに働きそうで、わだかまりが残る民族同士の融和を欧州各国は期待する。
当初、セルビア系住民の「総本山」であったセルビア政府は、カラジッチ被告に同情的だった。被告が目指したのはボスニア領内のセルビア人居住地区を隣国セルビアと一体化すること。その根底に流れる民族主義思想に共鳴したためだ。
だが内戦から20年以上が過ぎ、政治情勢は変わった。いまのセルビア政府は欧州連合(EU)への加盟を目指す。被告が唱えてきたセルビア至上主義に理解を示し続けるのは得策といえない。
過去の国粋主義から決別し、戦争犯罪を償う機運も出ている。セルビア政府首脳は15年にボスニアの虐殺地を訪れ、追悼式典に参加した。戦時中の真相究明も進みつつある。
ただ政治的な対立が収まっても住民感情にはしこりが残る。ボスニアは戦争こそ終わったものの、敵対した民族が融和せずに、それぞれが独自のコミュニティーを構成するモザイク国家だ。「欧州の火薬庫」とされたバルカン半島の真の和平に向け、独立国として一体感をはぐぐむことが今後の課題だ。