与那国に陸自駐屯地 発足半年、変わる島の暮らし
関係者、人口の15% 「顔を知らない人が増えて…」
日本最西端の与那国島(沖縄県与那国町)。今年3月、自衛隊員とその家族250人が新たな住民になった。島を二分する長い議論を経て誘致が決まった陸自の「沿岸監視隊」だ。駐屯地ができて半年。人口の15%近くを占める自衛隊関係者は島の暮らしに大きな変化をもたらしている。
「レジに列ができて、『内地の人は並ぶのがうまいね』と驚く人もいたよ」。食料品や日用雑貨の店を経営する崎原孫吉さん(73)は与那国駐屯地ができたころの「バブル」を振り返る。
駐屯地が建設された昨年度、人口1500人(当時)の島にピーク時で600人程度の工事関係者が滞在した。崎原さんの店ではカップラーメンや酒、氷などが飛ぶように売れ、レジに行列ができた。22軒ある宿泊施設はいつも満室。民宿の女将、和泉緑さん(46)は「ダイビングのリピーター客が泊まれないこともあった」と話す。
南西諸島周辺で中国艦艇の活動が活発化し、監視強化の必要性が高まるなか、町議会は2008年、地域の活性化にもつながるとして自衛隊の誘致を決議。だが、島民の賛否は割れ、約7年にわたる議論が昨年2月の住民投票でようやく決着した。島西側の久部良地区に駐屯地が完成。中央のインビ岳には船舶や航空機を監視する5本のレーダーがそびえ立つ。
隊員は独身者は駐屯地内の寮、家族同伴者は町中の民家や新設された共同住宅で暮らす。
「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー……」。8月上旬の夜、久部良地区の中学校の校庭で、伝統芸能「エイサー」のおはやしが響いた。盆に向けた地元青年会の練習に8人の男性隊員が参加。太鼓とバチを手に必死で振り付けを覚えた。
勇壮な踊りをみせるエイサーの主役は若い男性だが、高校も無い島に残る若者は少ない。隊員を誘った青年会のメンバーは「人数が増えて迫力が出る」と笑顔をみせる。
島の子供にも仲間が増えた。町立の小中学校5校の在籍児童数は、今年度約20人増加。ほとんどが隊員の子供だ。異なる学年が一緒に学ぶ「複式学級」が解消された小学校もあるという。
塩満大吾与那国駐屯地司令(38)は「島民は様々な考えがあると思うが、日々の交流を通して、自衛官も普通の人というところから理解してほしい」。すべての隊員を地域行事を主催する5つの公民館に所属させ、住民との交流に力を入れる。
島には駐屯地反対の看板が今も残る。反対運動の中心となってきた田里千代基町議(58)は、「顔を知らない人が増えて、自分の生まれた島じゃないみたい」と漏らす。選挙になれば自衛隊票の存在感は大きく、「住民の自治を守れるのか」との危惧もあるという。