【1994年6月12日付・日刊スポーツ紙面から】

 選手たちの喜びは、ガラスの「チェアマン杯」を手にした瞬間、頂点に達した。MF森山佳郎(26)は、カップを頭にかぶったままグラウンドを走り回り、高木琢也(26)は右手でブンブン振り回しながら、「喜びを一番分かち合いたい」(高木)スタンドのサポーターの前に駆け出す。そして、このカップを少しでもサポーターに近づけて見せようと、広告看板に上がろうとした時、何とカップが、選手とスタッフの手からこぼれ落ちる。「アッー!」。悲鳴と同時にカップはもう粉々、選手もサポーターも、口を開いたまま、ぼう然としてしまった。

 広島の前田良一事業部課長(35)は、「アウエーにもかかわらず、遠くから駆けつけてくれたサポーターに、カップを見せたかった。本当に申し訳ない。弁償するか、考えます」。ただ、ただ頭を下げるばかりだったが、その言葉通り、磐田スタジアムに駆けつけたのは熱心なサポーターたちだった。

 カップの破片は、選手やスタッフ、サポーターたちが、かけらまで一つずつ、大切そうに拾い集めた。「これで、文字通りみんなで分けられた。割れ物なんだ、いいじゃないか!」。だれからか、こんな声がかかった。初めて手にしたカップは、わずか15分ほどで粉々になってしまった。しかしカップの価値は、壊れることはない。