本文へ移動

社史・沿革

年代 中日新聞の歩み
明治19年(1886) 「無題号」(大島宇吉ら同志による)「金城だより」創刊(3月)
明治20年(1887) 無題号が愛知絵入新聞となる(7月)
明治21年(1888) 新愛知新聞創刊(本社・名古屋市東区宮町。社長・大島宇吉。愛知絵入新聞を改題)(7月)
明治39年(1906) 名古屋新聞創刊(本社・名古屋市東区針屋町三。社長・小山松寿)(11月)
昭和14年(1939) 中日農革連盟の前身、中部日本農業革新連盟を創立、翌年から中日農業賞を設定(8月)
昭和17年(1942) 新愛知、名古屋両新聞社が合併、株式会社 中部日本新聞社を創立。本社・名古屋市中区西川端町一の五。別館・同中区御幸本町通二の二四(9月)
昭和18年(1943) 社会福祉法人・中日新聞社会事業団の前身、社会法人、中部日本弘徳会を創立(7月)
昭和20年(1945) 空襲により西川端町の本社屋が被災、ついで御幸本町通りの別館一部も被災(3月)
昭和21年(1946) 本社を御幸本町通り二の二四に、西川端町の本社を別館とし中日会館と呼称(4月)
東海地方初の日刊夕刊紙として「名古屋タイムズ」発刊(5月)
昭和16年以来、灯火管制のため消えていた中日会館屋上の航空灯台が5年ぶりに復活(6月)
昭和22年(1947) 「中日文化賞」を設定(3月)
月刊山岳誌「岳人」を創刊(7月)
社会法人 中部日本弘徳会を中部日本新聞社会事業団と改称(7月)
昭和23年(1948) 初の赤刷り広告を掲載して好評を博す(8月)
昭和24年(1949) 中日写真協会設立(7月)
「夕刊中部日本新聞」の発行を復活(12月)
昭和25年(1950) 森永ミルクキャラメルの 「におい入り色刷り広告」を掲載、印刷技術新開発に成功(2月)
名古屋駅屋上に日本一を誇る中日電光ニュース速報を開始して好評(7月)
天皇、皇后両陛下お揃いで本社をご訪問、多色刷り印刷工場などご視察(10月)
昭和26年(1951) 新活字で一ページ十五段刷を実施(1月)
中日式特殊ナンバーリングを輪転機に応用、超高速度連続印刷に成功。読者、業界の反響を呼ぶ(2月)
「中部日本放送」が民放第一号としてラジオ放送を開始(9月)
昭和27年(1952) 日展地方開催のトップを切り日展運営委員会と共催で松坂屋で開く(1月)
中部日本航空連盟設立。中部地区を中心とする航空スポーツ団体として活動を始める(6月)
戦後初の民間航空機を導入。「白鳩」「飛竜」の両機が中日大府飛行場へ(8月)
小山武夫政治部長「中国国民政府との講話締結会談の報道」でボーン賞受賞(10月)
ヘリコプター一機を購入。取材陣強化へ(11月)
昭和28年(1953) 東海学術奨励会設立。大学の研究を助成、産業科学の発達支援を始める(7月)
「中日社会功労賞」制定。中部九県下の郷土の発展、地域社会の繁栄のため教育。治安、勤労、厚生、社会福祉などの各分野でかくれた功労を積み重ねた人々を顕彰(9月)
航空機「若鷹」を購入(9月)
「中部日本治山治水連盟」創設。治山治水に関する各種啓発事業のほか、造林、水防、水利などに関する優良団体の表彰、治山治水功労者の顕彰と表彰を行なう(11月)
昭和29年(1954) 日刊「中日スポーツ」発刊(2月)
モロトフ回答が本社にて交され全世界の反響を呼び、日ソ国交回復の契機となった(9月)
中日ドラゴンズ、プロ野球セ・リーグで優勝、日本選手権も獲得(10月)
昭和30年(1955) 中日スポーツ創刊一周年を記念して「中日スポーツ賞」を制定(2月)
母子家庭を対象とする「中日白百合賞」を制定(11月)
単発機「にいたか」を購入(12月)
東京支社新築落成(千代田区内幸町二の二二)(12月)
昭和31年(1956) 東京中日新聞発刊、スポーツ、娯楽、教養に新境地を開く(2月)
善行の男女青少年を対象とした「中日ブルーバード賞」を制定(10月)
「中部日本放送」がテレビ放送を開始(12月)
昭和32年(1957) 中日病院完成、診療を始める(3月)
「くらし友の会」設立(5月)
「第一回長良川全国選抜中日花火大会」を行う(7月)
鈴木充編集局長「ソ連、中国、北朝鮮三国の視察見聞記"共産圏雑感"」でボーン賞受賞(10月)
世界的な技術と折り紙をつけられたカラー印刷技術に対し、新聞協会賞が贈られた(10月)
昭和33年(1958) 双発機「はやたか」を購入(4月)
本社主催の大相撲名古屋場所が本場所に昇格(7月)
本社格納庫を小牧飛行場(現名古屋空港)に移動(7月)
「あぶない遊び場一掃運動」プレス・キャンペーンに対し、新聞協会賞が贈られた(10月)
「東海テレビ放送」が放送を開始(12月)
昭和34年(1959) 伊勢湾台風来襲、被災地に救済活動を行なう。わが社から一千万円を拠出、一般から台風被災者見舞い義援金募集を社告。東京、大阪両社をはじめ、地方各支局をあげて"災害地を救援"の運動を展開。愛の義援金三億六千八百余万円、物品七千六百余件という義援金募集史上空前の金額と数量は各方面から賞讃、注目された(9月)
新聞原価計算基準作成の研究に対し、新聞協会賞が贈られた(10月)
「東海ラジオ放送」設立、放送を開始(11月)
昭和35年(1960) 愛知県内に居住する虚弱児を収容する「中日青葉学園」が開園。学園内に小中学校の分校と医療施設をもち収容児童の義務教育、生活指導にあたる。収容人員七〇人(4月)
北陸中日新聞を創刊(11月)
昭和36年(1961) 中部日本詩人会設立(2月)
「伊勢湾台風禍の護岸堤防工事における手抜き」事件の不正摘発と報道に対し、新聞協会賞が贈られた(10月)
昭和38年(1963) 本社の提唱で「中部善意銀行」が発足、本社内に事務局設置(4月)
「東京新聞」の経営に参加(11月)
名古屋市中区丸の内一丁目三番十号に中日会館完成、航空灯台も移設(11月)
昭和39年(1964) 新鋭ヘリKH4型「おおづる」を購入(2月)
学校や町を花で飾ろうと本社主催の「フラワー・ブラボー・コンクール」発足(4月)
自動計数紙取り装置(カウンター・スタッカー)の開発実用化の研究成果に対し、新聞協会賞が贈られた(11月)
昭和40年(1965) 「中部日本新聞」を「中日新聞」と改題(1月)
日曜夕刊を全休、東海テレビから「中日テレビ夕刊」を読者に提供(4月)
品川の東京別館が完成(5月)
昭和41年(1966) 文化の殿堂・中日ビルが名古屋・栄に完成。「中日文化センター」、「中日劇場」もスタート(4月)
「青少年を守ろう」年間プレス・キャンペーンに対し、新聞協会賞が贈られた(10月)
「中日高速オフセット印刷」が営業開始(12月)
昭和42年(1967) 伊藤喜久蔵北京特派員中国の紅衛兵、文化大革命の動きを取材した記事が、国内ばかりでなく、欧米諸国からも貴重な報道と高く評価されボーン賞受賞(2月)
日ソ対抗バレーボール試合はじめ国際バレーボール試合を始める(4月)
東京新聞の営業権を譲り受ける東京別館を東京本社とする(9月)
昭和43年(1968) セスナ双発機「おおたか」を購入(11月)
昭和44年(1969) 名古屋大学周辺の文教地区キャンペーン「文教の森を守ろう」が大成功、地域指定が実現(8月)
名古屋本社新社屋建設着工(9月)
昭和45年(1970) 「東京中日新聞」を「東京中日スポーツ」と改題(3月)
名古屋本社・北陸本社ファクシミリ送・受信開始(7月)
佐橋サイゴン特派員の抑留記「解放戦線の光と影」に対し、新聞協会賞が贈られた(10月)
ジェットヘリ「あさづる」購入(11月)
中日カップ国際選抜体操競技大会を始める(12月)
昭和46年(1971) 社名を「株式会社・中日新聞社」と変更(9月)
名古屋市中区三の丸一丁目六番一号に新社屋が完成(9月)
新聞界初の五十音別新聞索引を開発(11月)
名古屋テレビ塔北地区に建設中の"緑と清流"のリバーパークが完成、名古屋市へ寄贈(12月)
昭和47年(1972) 新社屋で営業を本格的に開始(1月)
中日新聞の縮印刷を発行。同コピー・サービスも開始(1月)
東京都江東区の東京ヘリポートに本社格納庫完成(4月)
昭和48年(1973) 「浜松ショッパー」を発行(2月)
「静岡ショッパー」を発行(3月)
東京日比谷中日ビルディング完成、営業開始(4月)
「中日新聞テレホン放送」オープン(4月)
ジェットヘリコプター「まなづる」を購入(4月)
「東京新聞テレホンサービス」を開始(5月)
栄の明治生命ビルで「中日電光ニュース」放映(9月)
昭和49年(1974) 「岐阜中日新聞テレホン放送」を開始(4月)
金沢市香林坊に中日ビル(金沢)を完成(10月)
中日ドラゴンズ、プロ野球セ・リーグで優勝(10月)
昭和50年(1975) 中日釣魚連盟を発展的に改組し新しく「中日釣魚会連合会」として発足(6月)
樹脂版でカラー印刷実施(7月)
「北陸中日写真協会」を設立(7月)
本社の提唱により「中日いけばな協会」を設立発足(12月)
昭和51年(1976) 名古屋本社・東京本社ファクシミリ送・受信開始(2月)
「中日園芸文化協会」設立(4月)
「愛知百科辞典」を発刊(10月)
昭和52年(1977) 「分散出力型集配信システム」の開発に対し、新聞協会賞が贈られた(10月)
昭和53年(1978) 本社提唱の「尾張サイクリングロード」開通。海部郡大治町から尾西市の木曽川左岸に達する全長15km(3月)
ジェットヘリコプター「わかづる」を購入(10月)
昭和54年(1979) 沼津地区で、中日ショッパー(沼津・三島)を発行(4月)
北陸本社で中日スポーツ印刷発行(7月)
中部美術界のあすをひらく「中日展」を創設(11月)
昭和55年(1980) 北陸本社で日本初のデルファイ印刷を開始(5月)
昭和56年(1981) 東海本社(浜松)完成、中日新聞と中日スポーツを印刷発行(4月)
ジェットプロップ機「はやたか二世」が就航、現社有機は双発飛行機二機、ジェットヘリ三機(10月)
新聞協会の「第一回新聞広告賞」を受賞(10月)
基本活字一段15字から14字に移行(11月)
本社双発機「はやたか」は引退後、石川県小松児童館へ展示(12月)
昭和57年(1982) 国際招待中日スピードマラソン(男子30km、女子20kmロードレース)を豊橋コースから名古屋公認コースへ移設(3月)
第30回菊池寛賞が中日新聞東京本社の「裁かれる首相の犯罪=ロッキード法廷記録」に対し贈られた(10月)
中日ドラゴンズ、プロ野球セ・リーグで優勝(10月)
昭和58年(1983) 中日家庭欄連載の「あしの健康学」に対しアメリカ大手製薬会社からアップジョン医学記事特別賞が贈られた(7月)
名古屋本社で鉛版を廃止、かわりに樹脂板で印刷(9月)
「裁かれる首相の犯罪=ロッキード法廷記録」に対し新聞協会賞が贈られた(10月)
基本活字一段14字から13字へ大型化=迫力ある読みよい紙面へイメージ一新(11月)
中日写真協会創立35周年(11月)
昭和59年(1984) 北陸本社で青少年を育成する「中日おおば賞」を制定(1月)
女子20kmロードレースを国際招待名古屋女子マラソンとする(3月)
あすの中部の活性化を願って、本社内に「中日フォーラム」を設立(3月)
東京・池袋のサンシャインシティで「'84TOKYOひかり博」を開催する(7月)
浜松印刷・発行三周年と、社会事業団東海支部の開設を記念「中日ボランティア賞」を制定(10月)
新鋭ジェットヘリコプター「おおづる」を購入、就航(11月)
昭和60年(1985) 茨城県で開催の「科学万博-つくば'85」の会場一角に"中日・東京新聞コーナー"を特設、観客の話題をよんだ(3月)
地方版四ページ制を採用(5月)
東京本社-名古屋本社間で通信衛星「サクラ2号」を使った、新聞紙面の宇宙伝送を実用化(7月)
引退の本社ジェットヘリ「あさづる」は名古屋空港ターミナルビルに展示(12月)
昭和61年(1986) 創業百年を迎える(1月)
名古屋本社の新聞製作工程でCTS(コンピュータと電子、光による新聞づくり)が100%完成(1月)
「日中友好万里の長城駅伝」を主催、日中友好に一役(4月)
「中日体育賞」を制定、アマチュアスポーツ振興に目覚ましい業績をあげた個人・団体を顕彰し表彰(10月)
本社創業百周年記念パーティーを名古屋(8日)東京(21日)で開催。東京では中曽根首相も出席、「地元密着で前進を」と祝辞(10月)
中日ドラゴンズ新監督に、「燃える男」星野仙一氏が就任(10月)
昭和62年(1987) 日本の産業技術の発展のため、すぐれた産業技術の開発に対して贈る「中日産業技術賞」を制定(1月)
新ジェットヘリコプター「あさづる」を購入、就航(4月)
本社創業百周年記念事業「国民の森」が岐阜県加子母村と長野県大滝村に誕生。美しい国土の保全に一役買っている(4月)
緑と水のシンボル「中日治水タワー」が本社創業記念事業の一環として岐阜県海津町の木曽三川公園に完成(10月)
名古屋本社に新鋭オフセット輪転機3セット導入、完工・始動式を行う(12月)
昭和63年(1988) 中国でも内外不出の貴重な「山東竜」の全身骨格化石が本社の提案、招請により「ぎふ中部未来博」に展示され、超目玉出品として人気を呼び同博を成功に導いた(7月)
横浜市瀬谷区目黒町20番の一に瀬谷工場完成(8月)
中日ドラゴンズ、プロ野球セ・リーグ優勝(10月)
平成元年(1989) 岐阜県六条大溝三丁目2番20号に岐阜工場完成(3月)
平成2年(1990) JR東海の新幹線に「中日新聞ニュース」配信(7月)
「印刷局小集団活動」に対し新聞協会賞が贈られた(10月)
平成3年(1991) 金沢市北安江に「北陸中日新聞幸ビル」完成(3月)
名古屋市に金城工場完成(3月)
「湾岸大地図」に対し新聞協会賞が贈られた(10月)
平成4年(1992) 豊田市に「豊田ビル」完成(7月)
「渡良瀬有情」に対し新聞協会賞が贈られた(10月)
平成5年(1993) 朝刊紙「日刊福井」の北陸本社印刷スタート(1月)
北陸本社に日刊福井発行所を置く(2月)
東京本社全紙面がCTS制作に移行。全社100%CTS化(5月)
平成6年(1994) 福井支局を支社に昇格「日刊福井」を「日刊県民福井」に改題(6月)
中華航空機の墜落炎上写真に対し新聞協会賞が贈られた(10月)
平成7年(1995) 「阪神大震災」に読者、企業から57億9千万円の義援金が寄せられ、兵庫県などに寄託した(2月)
戦後50年を記念しワイツゼッカー前独大統領を招へい、シンポジウム(名古屋)などを開催(8月)
東京新聞夕刊のカラー連載「富士異彩」に対し新聞協会賞が贈られた(9月)
名古屋本社の新フロントシステムが稼働(12月)
平成8年(1996) 伝統の「名岐駅伝」50回目を迎える(2月)
中日劇場開場30周年。中日文化センター開講30周年(5月)
ナゴヤ球場、セ・リーグ最終公式戦、中日対巨人戦で48年の歴史を終える(10月)
平成9年(1997) 名古屋市東区内にナゴヤドーム完成(3月)
東京本社発行の山の情報誌「岳人」が創刊50年・通巻600号を迎える。皇太子殿下の寄稿「山の花随想」で脚光を浴びる(5月)
「中日文化賞」50回目を迎え記念シンポジウム(5月)
東京新聞「行政改革読者アンケート」に新聞協会賞が、また、名古屋本社広告局「変形カバー広告」に新聞広告賞が贈られた(10月)
中津川市に東濃工場完成(10月)
平成10年(1998) 本社主催'98名古屋国際女子マラソンで岐阜県出身の高橋尚子選手が日本最高記録で優勝(3月)
中日新聞紙齢2万号(3月31日)
中日写真協会創立50周年(11月)
本社新双発ジェット機(リアジェット31A)「おおたか二世」就航 これで本社の航空機は飛行機2機、双発ヘリコプター2機、単発ヘリコプター2機、計6機となる(11月)
平成11年(1999) 名古屋本社の新画像システム=CGSが日本新聞協会賞を受けた(10月)
平成12年(2000) 岐阜総局が岐阜支社に昇格(2月)
本社主催名古屋国際女子マラソンで高橋尚子選手が優勝、シドニー五輪代表に決定(3月)
埼玉県戸田市に七カ所目の印刷拠点・埼京工場が完成(9月)
平成13年(2001) 欄外、題字を36年ぶりに改題 紙面の基本文字も拡大し1段11文字に(3月)
新聞作りの新しい形態、SPS(総合工程管理)と新PPS(紙面出力)の四本社間ネットワークが北陸本社の導入で完成(10月)
平成14年(2002) 編集部門「テロと家族」経営・営業部門「広告の総合デジタル化」で新聞協会賞をW受賞した(10月)
JR東日本の新幹線に「東京新聞ニュース」配信(12月)
平成15年(2003) 新ジェットヘリコプター「おおづる」を購入、就航(1月)
新聞制作を編集組版に全面移行(12月)
平成16年(2004) 「中日スポーツ」創刊50周年迎える(2月)
名古屋市北区に辻町工場完成(3月)
岐阜市に「岐阜中日ビル」完成、岐阜支社が新社屋で業務始めた(6月)
中日ドラゴンズ、プロ野球セ・リーグ優勝(10月)
平成17年(2005) 愛・地球博(愛知万博)に共同プロデュース館「夢みる山」出展(3月)
新型ヘリ「あさづる」購入(4月)
平成18年(2006) 中日ドラゴンズ公式ファンクラブ設立 中日ドラゴンズ創設70周年(1月)
東京中日スポーツ創刊50周年(2月)
中日新聞社東海本社創設25周年(4月)
中日新聞社、創業120周年を迎える(9月)
「中日ドラゴンズ」7度目のセ・リーグ優勝。東京本社が品川から日比谷に移転(10月)
名古屋市中区丸の内三丁目に新・中日病院が完成(11月)
平成19年(2007) 「中日ドラゴンズ」セ・リーグのクライマックス・シリーズを勝ち抜き、日本シリーズで53年ぶりの日本一に(11月)
平成20年(2008) 新ジェットヘリコプター「まなづる」を購入、就航(10月)
平成21年(2009) 東京新聞夕刊の長期カラー連載企画「東京Oh!」が新聞協会賞を受けた(10月)
スタイルの設定

文字の大きさ

デバイスモード