横綱・白鵬のおかあさん ウルジーウタス・タミルさん:3
2011年2月22日
モンゴルでは相撲はほんとうに神聖な競技で、神事です。同時に、敵を倒す技だから、強い男は尊敬を集めます。相撲はおそらく、日本のみなさんが考えている以上に、精神的に大きな存在としてモンゴル人の中で生き続けています。
モンゴル相撲は千年以上前から、暮らしの中に溶け込み、モンゴル人の精神の支柱として育まれてきました。ですからモンゴル人は相撲にさまざまな思いを抱き、感動を共有しているのです。
夫ムンフバトはモンゴル相撲の横綱でした。「ナーダム」という相撲の全国大会で20代に6回も優勝し、52連勝の記録を打ち立てました。メキシコ五輪(1968年)のレスリングでは銀メダルを獲得。現役引退後は、体育大学を設立し、柔道を含む格闘技を教えてきました。
そんな父親の影響を息子たちが受けなかったはずがありません。長男のバットホヤッグ(41)は柔道の教師になり、次男のダヴァー(白鵬の幼少期の愛称)は「柔道はイヤだ。どうしても相撲をやりたい」とこだわりました。
そして15歳の時。「相撲をやるために日本に行きたい」と言い出したのです。
夫は以前から感じていたか、知っていたようですが、私はびっくり。ダヴァーはずっとモンゴルにいて、学校の成績も良かったのでできれば学者になってくれれば、くらいに思っていました。だから、日本で相撲をと聞いたときは、ショックで言葉も出ませんでした。
もちろん、初めは大反対。夫とは、めったにしない夫婦げんかもし、幾晩も泣き悲しむ日々が続きました。
それでも、ダヴァーは「絶対、相撲だ」と言い張るばかりです。そこまでかたくなに言われてしまえば、もう黙って見送るしかありません。当時、ダヴァーのほかに3人が、相撲を目指して日本に向かいました。
実は私は、ダヴァーを見送りながら、内心、変な期待もしたのです。
「きっと激しい稽古が待っている。経済的にも大きな苦労を知らず、のびのび育ったダヴァーが、日本での厳しい修業に耐えられるはずがない。きっと、つらくて戻ってくるに違いない」と。
ところが……。日本に渡ってから2年半、ダヴァーは一度も便りをよこしませんでした。私はただただ、心配していたのです。(聞き手・羽毛田弘志)