朝日新聞デジタル：女たち（３）三岸イシ - 北海道

女たち（３）三岸イシ

石狩市厚田区安瀬。ルーラン海岸は暑寒別天売焼尻国定公園の一部に指定されている

■流転の人生を送った母子の「故郷」

　札幌を代表する画家の三岸好太郎は明治３６（１９０３）年、薄野で生まれた。父親の橘巌松は、当時人気の廓（くるわ）だった「高砂楼」の番頭で、母は三岸イシという。そのイシの人生は波乱に満ちていた。

　彼女は明治７（１８７４）年、函館で石川金次・ハルの長女として生まれた。９歳で、七飯村（現七飯町）の三岸卯吉の養女となり、数年後、今度は厚田村（現石狩市）に住む卯吉の妹スナとその夫・梅谷十次郎の家にもらわれていく。

　養父の十次郎は彰義隊の生き残りで、ニシン漁に沸く厚田に流れ着き、旅館を営んでいた。イシは梅谷家の養女として育てられるが、明治２４（１８９１）年に卯吉が亡くなり、三岸姓を継ぐ。その翌年２月、１８歳で私生児を生んだ。のちに時代小説作家となる子母澤寛である。

　あの時代、イシは十分に恥知らずだ。しかし、２度も親が変わり、行き着いた厚田といえば、春には、網に群がるヤン衆が夜ごと狂態を繰り広げ、冬になれば、凍（い）てついた陸の孤島と化す。そうした環境で育った少女が刹那（せつな）を生きても、すぐに非難する気にはなれない。

　しかし、イシの波乱はこれで終わらなかった。十次郎の元で働いていた橘巌松と恋愛関係となったイシは、乳飲み子の寛を置いて出奔。残された寛を育てたのは、十次郎であった。ここから、祖父と孫の哀切極まる物語が始まるが、それは別の機会に譲り、イシの話を続けたい。

　大正５（１９１６）年、夫の巌松が亡くなった。質屋に住み込みで働き始めたイシに代わり、１３歳の好太郎と２歳下の妹の面倒を見たのが、札幌で所帯を持っていた寛であった。その後、好太郎が画家を目指し上京すると、イシも最愛の息子の後を追う。だが好太郎は、妻の節子とその子らを打ち捨てて恋愛を繰り返し、画風も変転した。ようやく画家として評価され始めた矢先、病魔がその命を奪う。その３年後、イシも６３歳で病没した。

　イシと好太郎の人生において興味深いことがある。好太郎を生む４年前、イシは本籍を七飯村から厚田村１６番地に転籍している。薄野を避けたのはうなずけるが、逃げ出した厚田を本籍にした心境がわからない。そして好太郎も自筆年譜に「石狩ルーラン１６番地」と記した。

　明治期の北海道で活躍した紀行作家・河合裸石は、「ルーランとは、厚田村から北へ一里の処から始まって、行程五里に渡る海岸」と書き、断崖が生む奇妙な風景を、「到底人間の形容し能（あた）わざるものに属す」とたたえた。流転の人生を生きたイシと、夢想に浸った好太郎――。この親子にとって、波濤（はとう）に洗われる厚田こそ夢幻の故郷だったのか。（完）

　（文・井上美香）

　（写真・大友真志）

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