バイキングの遺跡、カナダ東部の島で発見

1000年前の製鉄の痕跡か、北米で2例目

2016.04.06
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確認されている北米唯一のバイキング入植地、ランス・オ・メドーから数百キロ離れた地点で、製鉄の際に使われた石の炉床が発見された。(Photograph by Robert Clark, National Geographic)
確認されている北米唯一のバイキング入植地、ランス・オ・メドーから数百キロ離れた地点で、製鉄の際に使われた石の炉床が発見された。(Photograph by Robert Clark, National Geographic)
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 じめじめとした地面を踏みしめながら、森の中を3キロほど歩くと、カナダ東部のニューファンドランド島の南端から突き出た細長い半島、ポイント・ローズにたどり着く。昨年6月、ある考古学者チームが、現代版の“宝の地図”に導かれて、この場所にやって来た。その地図とは、人間活動の痕跡のようなものが写っている衛星画像だ。

 研究者たちがそこで発見したのは、鉄を製造する際に使われる石の炉床。このお宝が、北米の古代史を書き換え、また数百年前の北欧の伝承「サガ」に描かれているバイキングの居住地を探す手がかりとなる可能性がある。

 これまでに南北米大陸で確認されているバイキングの居住地は、1960年にニューファンドランド島の北端で発見されたランス・オ・メドーだけだ。世界遺産にもなっているこの場所は一時的な滞在地であり、わずか数年しか使われず、その後は放置された。以来、考古学者らは半世紀にわたり、古代スカンジナビア半島に住んでいたノース人が北米にやって来ていたことを示す痕跡を探し続けてきた。 (参考記事:「バイキングの開拓地、バフィン島で発見」

「サガの記述からは、彼らの活動は短期間で、植民はすぐに失敗に終わったことが読み取れます」。ノース人の植民を専門とする考古学者のダグラス・ボレンダー氏は言う。「ランス・オ・メドーはこの描写とつじつまが合っていますが、一つの例に過ぎません。ポイント・ローズはサガを裏づけることになるのか、あるいはランス・オ・メドーと時代が異なれば、まったく別の話が見えてくる可能性もあります。北米でのノース人の活動は、あるいはもっと長く続いたという結論になるかもしれません」 (参考記事:「千年前のバイキングが埋めたお宝が出土、英国」

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 ランス・オ・メドーから南へ数百キロ離れているポイント・ローズの遺跡を見つけたのは、考古学者でナショナル ジオグラフィック協会のフェローでもあるサラ・パーカク氏だ。彼女はこれまで、衛星画像を利用して、エジプトの遺跡や神殿、墓などを発見してきた“宇宙考古学者”だ。 (参考記事:「宇宙考古学で遺跡保護を、TED受賞者が呼びかけ」

 パーカク氏のチームは昨年夏、ポイント・ローズで試験的に発掘を行い、製鉄作業用の炉床が、一部を芝土塁のようなものに囲まれる形で残っているのを発見した。

 バイキングがこの炉床を作ったという確かな証拠はまだ見つかっていない。数百年前、ニューファンドランド島には北米先住民やイベリア半島出身のバスク人漁師なども暮らしていた。しかし、専門家たちは慎重な姿勢を取りつつも、これを作ったのがバイキングである可能性は十分にあると考えている。

「ポイント・ローズのような遺跡は、ノース人による植民の最初の波が、ニューファンドランド島だけでなく、北大西洋の他の地域にも広がっていたことを示す手がかりになるかもしれません」とボレンダー氏は言う。

“宇宙考古学者”のサラ・パーカク氏は、衛星画像を使って古代エジプトの都市、神殿、墓などを発見してきた。そして今、彼女は衛星を利用して、カナダのバイキング居住地を見つけようとしている。(Photograph by Robert Clark, National Geographic)
“宇宙考古学者”のサラ・パーカク氏は、衛星画像を使って古代エジプトの都市、神殿、墓などを発見してきた。そして今、彼女は衛星を利用して、カナダのバイキング居住地を見つけようとしている。(Photograph by Robert Clark, National Geographic)
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身を守る理想的な立地

 ある日の午後、パーカク氏と一緒に、狭い浜辺へと続く急な坂道を下りていった。海岸線を歩きながら、ノース人がなぜ、この小さな半島に集落をつくったのか、パーカク氏は思いをめぐらせた。

「彼らは身の安全にとても気を配っていました。地元の住民からの攻撃を恐れていたのです」とパーカク氏は言う。「だから浜辺へのアクセスがよいだけでなく、見晴らしのきく場所でなくてはなりませんでした。北、西、南が見渡せるこの場所は理想的です」 (参考記事:2012年11月号「バイキングと北米先住民」

 周辺の調査と事前測量の結果、ポイント・ローズはノース人の植民に非常に適した場所であったことを示す特徴が確認された。半島の南の海岸線は、海中の岩が比較的少なく、船を停泊させたり、浜に引き上げたりするのに都合がいい。また一帯の天候と土壌は、特に穀物栽培に適している。海岸沿いには漁場がたくさんあり、内陸では狩りもできる。また石器の材料となるチャートや家を作る芝土など、天然の資源も豊富だ。

鉄の民

 そして、ここにはノース人にとって最も大切な資源である沼鉄鉱もあった。沼鉄鉱とは鉱石の一種で、鉄の粒子が川に溶けて山から湿地へと運ばれ、そこで細菌の作用によって水中から鉄が抽出され、堆積物となったものだ。

 ノース人は鉱物を求めて地中を採掘することをそれほど行わなかった。鉄のほとんどが泥炭湿地から採取したものでまかなわれ、彼らの暮らしになくてはならない存在だった。ノース人の船には金属の釘が使われていた。デンマークのバイキング船博物館が再現した当時の船には、400キロの鉄から作られた7000本の釘が使われたという。これは原料の沼鉄鉱を30トンも加工した計算になる。ランス・オ・メドーはおそらく、鉄の生産と船の修理のための基地だったのだろうと推測される。

手がかりを求めて

 パーカク氏はこれまで、エジプトを空から撮影した衛星画像を頼りに、荒涼とした砂漠の下に遺跡が眠っていることを示す手がかりを探してきた。

サラ・パーカク氏がバイキング居住地を探すために使った衛星画像。黒い直線は、そこで建造物の残骸が見つかる可能性を示している。(Satellite Image by Digital Globe)
サラ・パーカク氏がバイキング居住地を探すために使った衛星画像。黒い直線は、そこで建造物の残骸が見つかる可能性を示している。(Satellite Image by Digital Globe)
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 しかし、古代エジプト人が残した石の建造物が数千年経っても消えないのに対し、バイキングが残したものは、ほとんどが木や土から作られたものだ。そこでパーカク氏は、衛星画像を使ってノース人の植民地を探すにあたり、遺跡そのものではなく、そこに生えている植物に注目した。

 ポイント・ローズの地下に埋まっている建造物の残骸は、周辺の土壌を変化させる。するとそこに保持される水分の量が変わり、その真上に育つ植物に影響を及ぼす。衛星を使って観察すると、植物の成長度合いの違いから、数世紀前にそこにあったものの輪郭がぼんやりと浮かび上がって見えるのだ。ポイント・ローズの衛星画像は秋に撮影されたもので、草が特に大きく成長していたため、どの草がより健康で、土から多くの水を吸い上げているかが判別しやすくなっていた。

 衛星画像から見つけた有望なエリアを磁気探知機で調査したところ、ある場所が直線によって一部囲まれたようになっていて、そこに小さな建造物の残骸がある可能性が高いことがわかった。発掘作業の結果、そこから芝土塁と製鉄用の炉床跡が発見された。

 考古学に通じていない人には、炉床はそれほど重要なものには見えない。浅い穴の前に大きな石がひとつあり、その周囲を小さな石が囲んでいるだけだ。しかし穴の中から見つかった炭の痕跡と約12キロ分のスラグ(鉱滓)は、この炉床が鉄鉱石を焼くために使われていたことを示している。

炉床からは約12キロ分のスラグが発見された。この炉床は、鉄鉱石を焼くために使われたと推測される。(Photograph by Robert Clark, National Geographic)
炉床からは約12キロ分のスラグが発見された。この炉床は、鉄鉱石を焼くために使われたと推測される。(Photograph by Robert Clark, National Geographic)
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 この炉床で行われていた作業は、鉄の加工過程の第一段階だ。鉄は精錬し、鍛える前に焼く必要がある。この際に不純物が取り除かれ、分離されたのがスラグである。炉床が発見されたことにより、ポイント・ローズは、コロンブスが到達する以前の北米大陸において製鉄が行われていた、最南かつ最西の場所となった。

伝説の信ぴょう性

 果たしてポイント・ローズは約1000年前、バイキングの入植地だったのだろうか。今のところ、その見込みはかなり有望だ。炉床の一部を囲む芝土塁は、ニューファンドランド島にいた先住民や、16世紀にやって来たバスク人の漁師たちが作ったものとはまるで異なる。また鉄のスラグはごく一般的なものではあるものの、「先史時代から現代まで、ニューファンドランド島で採鉱をしたり、沼鉄鉱を焼いたりした可能性があるのは、知られているなかでは、ノース人の他にはありません」とボレンダー氏は言う。

 ポイント・ローズでは遺物はほとんど見つかっていないが、これは実はいい兆候だ。ノース人の所持品は、大半が木か鉄でできており、前者は腐敗してしまうし、後者は腐食するか、さもなければ溶かされて別のものに作り変えられてしまうからだ。

考古学者たちは、この場所が大々的な調査をする価値があるかどうかを確かめるために、まずは小規模の試験的な発掘を行い、有望な証拠を発見した。(Photograph by Robert Clark, National Geographic)
考古学者たちは、この場所が大々的な調査をする価値があるかどうかを確かめるために、まずは小規模の試験的な発掘を行い、有望な証拠を発見した。(Photograph by Robert Clark, National Geographic)
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 一部には、ポイント・ローズは基本的に鉄の加工地であり、一帯の探査や資源開発を支える一時的な施設だったのではないかという意見もある。ボレンダー氏はしかし、この場所がより大規模な居住地の一部だったのではないかと考えている。

 もしそうであるならば、今回の発見は歴史的にどんな意味を持つのだろうか。

 ノース人による北米探査について我々が知っている情報の大半は、バイキングのサガから得たものだ。そしてランス・オ・メドーのノース人居住地の発見が、サガがまったくの作り話ではないことの証明となった。もしポイント・ローズが2カ所目の居住地であれば、ノース人の北米探査が小規模なものではなかったということになる。考古学者たちは、コロンブスが到達する500年前に作られた居住区の証拠を求めて、これまでよりも広い範囲を探すことになるだろう。

「北大西洋を専門とする考古学者たちは長い間、カナダの海岸地域でノース人の居住地を探す努力をほとんどしてきませんでした。そうするための現実的な手法が存在しなかったからです」とボレンダー氏は言う。「サラ・パーカク氏が衛星を使ってノース人居住地を発見できるのならば、他の人も同じ手法を用いて、さらに多くの居住地を見つけることができるはずです。ポイント・ローズにノース人が住んでいたことが証明されれば、カナダの海岸地帯では発掘調査の新時代を迎えることになるでしょう」

文=Mark Strauss/訳=北村京子

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