枇榔島

本土決戦へ、要塞の島 研究者が初調査 塹壕縦横

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分厚いコンクリートで覆われた砲台跡と、測量する八巻さん。志布志湾に上陸する米軍に向けられていた=鹿児島県志布志市の枇榔島で2016年1月9日午前10時36分、津島史人撮影
分厚いコンクリートで覆われた砲台跡と、測量する八巻さん。志布志湾に上陸する米軍に向けられていた=鹿児島県志布志市の枇榔島で2016年1月9日午前10時36分、津島史人撮影

 太平洋戦争末期、米軍が計画していた日本上陸部隊を迎え撃つため築かれた日本軍の陣地が残る鹿児島県志布志市の無人島、枇榔(びろう)島の未調査区域に今年、初めて調査が入り、縦横に張り巡らされた塹壕(ざんごう)などが見つかった。調査した研究者は「当時の姿を残す貴重な遺構」と指摘し、要塞(ようさい)化した島の全容解明を目指している。

 志布志市の夏井漁港から漁船で約30分。南九州の戦争遺跡を調べている「かごしまの戦跡を探る会」のメンバー、八巻聡さん(39)の1月の調査に記者も同行した。枇榔島には水がないため人が住めず、時折釣り客が立ち寄るだけ。志布志湾に浮かぶ周囲約4キロの小さな島は、名前通りビロウ樹に覆われ、うっそうとしていた。

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