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戸田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。君沢郡のうち。明治初年頃北戸田村・南戸田村に分村するが,同4年再び戸田村となる。はじめ幕府領,文化9年幕府・旗本小笠原氏の相給,文政5年からは旗本小笠原氏・沼津藩の相給。村内は御浜・大浦・奥南・口南入浜・一色・大中島・小中島・鬼川(含沢海)・平戸(含熊野)・小山田・上野・大門・中上・大上・新田・舟山の小名からなる。村高は,「元禄郷帳」822石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに823石余。助郷は東海道三島宿に出役。安政2年の戸数593(造船郷土資料館文書)。天保6年の沼津藩水野領分家数人別仕訳書上帳によれば15~60歳までの男536のうち大工・木挽・炭焼き・その他出稼下男奉公152,船乗・船奉公134,沖合漁業119,病身23であった(同前)。享和3年のカツオ釣漁船6,文化6年の回船2(戸田漁業概史年表)。石材は村内の中ケ洞・柳久保・牛尻・沢海・みの輪より産し,ほかに鰹節・芋・苔などを産した(伊豆志)。当村は災害に多く見舞われ,享保元年の洪水では田畑全滅,上野の全家屋流失,宝暦元年の洪水では山崩れにより田畑全滅,天保9年の大飢饉では餓死者100余,安政元年の大地震による津波では流失家屋24・潰81・大破33,水死者30。文久3年には南戸田村の村民400余人が村内有力者宅を打ち壊すという事件が発生している(戸田漁業概史年表・ヘダ号の建造)。安政元年下田港に碇泊して日露交渉を続けていたプチャーチン提督の乗艦ディアナ号が大地震による津波で沈没した際,当村は乗組員の宿泊地となった。また,幕府の命によりディアナ号の代艦として,村内牛ケ洞にて100t級のスクーネル船(通称ヘダ号)を新造した。神社は式内社と伝える部田神社ほか16社。寺院には日蓮宗蓮華寺・同宗三光寺・同宗長谷寺・同宗本善寺・臨済宗宝泉寺・真宗宝徳寺・浄土宗大行寺があった。明治元年韮山県,同4年足柄県を経て同9年静岡県に所属。明治4年の指出帳によれば戸数602,回船2・小揚船8・漁船13(江川文庫所収文書)。同6年宝泉寺に巴江学舎が開校(静岡県田方郡誌)。明治15年沼津~下田間に汽船が就航。明治14年の戸数601・人口2,983。明治22年戸田村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7352816