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元阿保村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。賀美【かみ】郡安保領のうち。古くは安保郷丹之荘に属したという。茂木家が所持する慶長9年6月14日などの4冊の検地帳の表題に「武州賀美之郡安保之郷」とある。当時元安保村は安保郷と呼ばれ,「田園簿」には本安保村と見えることから,慶長年間以後に成立したものと推定される。はじめ旗本菅沼氏知行,慶長9年幕府領。寛永7年幕府領と旗本朝倉氏の知行,同10年幕府領は旗本大橋・雨宮権左衛門の相給となり,同11年雨宮氏知行分の一部が分家の雨宮又次郎の知行となる。検地は慶長9年と寛永4年。村高は「田園簿」では731石余,うち田309石余・畑421石余,「元禄郷帳」741石余,以後変わらず。用水は阿保堰楠川を使用。村の規模は東西20町・南北11町余。化政期の家数112軒。高札場は2か所。鎮守は六所明神社,神社はほかに,安保氏の妾を葬ったと伝える産塚を壊したので祟りがあることを恐れ,明和年間に勧進した八幡社ほか7社。寺院は寛文年間に雨宮対馬守開基の新義真言宗普門山大悲寺観音院・同医王山大恩寺。村内に阿保氏の城跡,鍛冶屋敷と称する橋菅沼の居館址があった。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数133・人口516,馬30。村内を川越【かわごえ】往還が通る。宝永4年大恩寺焼失,再興されたが明治6年に廃寺,観音院も同年に廃寺となる。物産は米・麦のほか繭・生糸・絹・太織・藍玉・タバコなど。民業は農桑を業とするもの123戸,紡織・養蚕を行う女性157人。村の中央に公立小学校があり,生徒数94。明治12年賀美郡に所属。同22年丹荘【たんしよう】村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7290658