100辞書・辞典一括検索

JLogos

17

竜崎(中世)


 戦国期に見える地名。高野山清浄心院の「常陸日月牌過去帳」に,天正17年3月および5月の日付を有する法名の脇に,「常刕竜崎,伊藤因幡守」および「常刕竜崎,波多野駿河守」などの注記が見え,土岐氏の家臣と思われる伊藤氏や波多野氏が竜ケ崎城下に居住していたと思われる。天正18年と推定される年月日未詳の関東八州諸城覚書に,「常陸,竜かみね,同兵衛助」「同,竜か嶺,同兵衛助」と見え,北条家人数覚書にも「一,とき美作守,常陸,江戸崎・籠かみね・木原,三ケ所,千五百騎」とあり(毛利家文書4/大日古),当地は江戸崎の土岐氏の勢力下で,土岐胤倫が竜ケ崎に居城し,佐竹氏の勢力に対抗し,小田原北条氏方についた土岐氏の江戸崎・木原と並ぶ拠点であった。その後,天正18年以降佐竹義宣の弟蘆名盛重が,旧土岐氏領を支配し,豊臣秀吉からも江戸崎・竜ケ崎地方において4万5,000石の所領を認められたといわれるが,詳細は不明。慶長11年3月3日伊達政宗は常陸国内において1万石を加増されるが,その知行目録中の26か村の1つとして,当地が見える(伊達家文書10/大日古)。また,この頃のものと思われる年未詳9月付の岡内記充伊達政宗書状写に,「従竜ケ崎帰宅仕候」と見える(岡内記文書/家蔵文書)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7277377