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川澄村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。常陸国真壁郡のうち。寛永年間は下館藩領,元禄年間は武蔵久喜藩・旗本鵜殿氏ほか7名の相給,「旧高簿」では竜崎藩と旗本成瀬氏ほか4氏の相給。天保年間以後川澄稲荷宿村を分村し,幕末期は旗本松下氏・美濃部氏の相給であったが,明治7年以前に再び合併された。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに1,070石余,「旧高簿」832石余,ほかに川澄稲荷宿村と見え238石余。寛永年間の「水谷領村々高改名主名前御取調帳」によれば高1,054石余,名主は飯泉瀬兵衛(下館市史)。天保8年の「常陸御国絵図御改之記」によれば高1,070石余,名主は良真・甚五左衛門,鎮守は稲荷明神,家数63,馬29(同前)。寺院は天台宗持宝院。明治6年春風小学校開設。明治4年茨城県,同11年真壁郡に所属。明治22年竹島村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7273096