100辞書・辞典一括検索

JLogos

24

墨俣輪中
【すのまたわじゅう】


安八(あんぱち)郡墨俣(すのまた)町と安八町北部(旧結(むすぶ)村)に属していた。結輪中ともいった。明治期は主に結輪中と呼んでいた。東に長良(ながら)川,西に揖斐(いび)川の大河川にはさまれ,南に中須川,北は犀(さい)川に囲まれた輪中である。上流部の古橋輪中との間には川はなく,墨俣輪中の堤防で境されている。近世前までは,東・北・西の三方に築堤されていたが,南は他輪中との話がつかず築堤できなかった。寛文8年最後に残った下宿~杁ノ戸間にようやく築堤が実現して完全な輪中となった。明治の三川分流工事後に,南の中須川が長良川と締め切られたので,輪中の南側の堤防が昭和初頭までに廃堤となった。昭和51年9月長良川が旧森部(もりべ)輪中で決壊した際,その上流に当たる墨俣輪中にもさきに低くした堤防跡をのりこえて濁水が浸入,墨俣輪中のほぼ全域が水中に没し,被害が大きかった。墨俣輪中に所属していたのは墨俣・二ツ木・西橋(上宿)・下宿・西結・東結・北今ケ淵(そのうち杁ノ戸)・宝江の諸村(江戸期の旧村名による)の,それぞれ堤内分である。明治17年当時の名称は結輪中揖斐川長良川犀川中須川堤防組合である。昭和3年,この輪中以南の8輪中が結集して揖斐川以東水害予防組合を形成した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7106739