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報勲処,‘安重根義士 死刑執行記録’日本で原本発掘

原文入力:2010-03-22午後09:47:04(1550字)
死の直前まで特別監視
"遺骸資料もあるだろう"

クォン・ヒョクチョル記者

←安義士100周忌記念切手発行 アメリカに住んでいる安重根義士の孫娘アン・ヨンホ(中央)氏が安義士殉国100周忌をむかえ訪韓し、22日午前 ソウル,忠武路1街,ソウル中央郵便局で安義士の孫娘と共に訪ねた子供たちと共に大型記念切手に手形を捺している。左側から安義士の孫娘ファン・ウンジュ(メガネかけた人)氏,アン・ヨンホ氏,孫娘ファン・ウンシル氏. パク・ジョンシク記者anaki@hani.co.kr

1910年3月安重根義士に対する‘死刑執行命令記録’原本が確認され、日帝が死刑執行前に安義士が収監された旅順監獄の警戒を大幅に強化した内容等を含む報告書が初めて公開された。キム・ヤン国家報勲処長は22日、ソウル国防部ブリーフィング室で記者会見を行い 「チェ・ソミョン国際韓国研究院長と報勲処史料調査チームが日本外務省外交資料館で安義士が殉国した旅順監獄を管轄していた行政機関である関東都督府 情況報告および雑報資料を最近発掘した」と明らかにした。

←安重根義士が殉国した旅順監獄を管轄していた日帝の行政機関である関東都督府が1910年3月26日に日本外務次官に送った安義士死刑執行報告書。"安重根,本日死刑執行 遺骸旅順に埋葬" と記されている。 国家報勲処提供

安義士の死刑執行命令記録は日帝が1910年2月14日、安義士に対する死刑を宣告し一ヶ月10日目の3月24日に死刑を執行せよと命令したもので、死刑執行命令の2日後である3月26日に安義士の死刑が執行された。死刑命令記録には安義士の住所が‘韓国,平安道,鎮南浦’と書いてあり、職業(無職)と名前(アン・ウンチル,安重根),年齢(33歳),罪名(殺人犯),刑名(死刑),判決言い渡し(1910年2月14日)等が明示されている。アン・ウンチルは安義士の幼名だ。報勲処は死刑執行直後、安義士の弟たちが遺骸を返してくれと要求したが、日帝がこれを断った内容が書かれた‘二人の弟の遺体引き渡し要求に対する処理経緯報告’原文も確認した。

1909年10~12月の情況が書かれた‘情況報告および雑報4冊’は 「ハルビンでの殺人事件で入監した韓国人9人…一挙一動に注意し特に夜間は随時看守にその行動を秘密偵察させるなど夜間警戒は従来の監督者他看守6人を配置したものを8人に増員し、万一の危険を防止することに努めた」と書かれている。

1910年1~3月の情況が書かれた‘情況報告および雑報5冊’は 「死刑確定後にはより一層警戒を厳しくする必要があるとし、夜勤看守を増やし監獄内外と付属官舎付近一円を夜が明けるまで巡回査察警備させた」と報告した。

報勲処関係者は 「今回発掘された資料にはすでに知られている内容がかなり含まれているが、この間 韓国政府が公式文書を通じ関連資料を要請した時‘資料がない’とした日本政府の回答が口先だけの言葉だったことを示している」とし「今回の資料も日本政府の協力がなく非公式的な方法で入手した」と話した。

キム・ヤン報勲処長は「徹底した記録文化を持つ日本の特性から推し量る時、日本が(安義士の遺骸と関連して)決定的な資料を持っていると信じている」として「安義士遺骸関連資料に対する日本政府の誠意ある協力が必要だ」と話した。

クォン・ヒョクチョル記者 nura@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/411637.html 訳J.S