1980~90年代,日本のパソコン市場で群を抜くシェアを誇ったNECのPC-98シリーズ。その登場以前は,電子デバイスグループが半導体の拡販のためPC-8001やPC-8801といった8ビットパソコンを開発・販売していた。パソコンの売れ行きが予想以上に好調なことから,NECはパソコンをコンピュータとして売るよう方向を転換。担当部署をメインフレームやオフコンを扱う情報処理グループに変更した。PC-98シリーズの企画やマーケティングを担当したのが,現在NECパーソナルプロダクツ PC事業本部マーケティング本部シニアエキスパートの小澤昇氏だった。

 PC-9801を開発するための「N10プロジェクト」が始まったのは1982年4月のこと。社を挙げての一大プロジェクトだった。「1982年10月のデータショウに間に合わせなければ発表のタイミングがなかった。ハードにもソフトにもかなりの人数を割き集中的に開発を進めた」。

 プロジェクトにおける最大の壁はPC-8801と互換性を維持する作業。BASICインタプリタを自社開発したからだ。「PC-8801は米Microsoft社が開発したBASIC(N88-BASIC)を搭載した。だから最初はMicrosoftにBASICの開発を依頼した。だが別の開発に取り組んでいるから2~3年待ってくれと言われ,自社で作ることに決めた。N88-BASICと互換性をとりながら開発するのはとても大変だった」と小澤氏は振り返る。N88-BASICのコードは公開されていないため,外部の動作から一つひとつ解析していかねばならかった。こうしてN88-BASICと互換性がある「N88-BASIC(86)」を完成させた。コピーライト表示はMicrosoftとNECを併記した。

 1982年8月に試作機が出来上がった。驚くことにプロジェクト開始から試作機の完成まで約5カ月しかない。これには理由があった。「実は1年前にPC-8001やPC-8801とは互換性がない16ビットマシンを作った経験があった。CPUにはPC-9801と同じ米Intel社の8086を使い,BASICも自社開発した。このマシンは『NECシステム20/15』というオフコンの最下位機種として製品化した」。このような下地があって,PC-9801は短期間で完成したのだった。予定通り,1982年10月にPC-9801を発表した。価格は30万円を切るようにしたいと考え,29万8000円に設定した。

マーケティングの勝利だった

 PC-98シリーズはおよそ15年にわたって日本のパソコン市場を席巻した。シリーズの中で初めてのヒット商品となったのが1983年に発表した「PC-9801 F2」だ。5インチのフロッピ・ディスク・ドライブを2基搭載した機種である。この機種で一気に知名度が上がったという。1985年には自社開発のCPU「V30」を搭載した「PC-9801 VM」を発表。ここからパソコンのシェアで他社との差を広げ始めた。

 PC-98シリーズの圧倒的なシェアを支えたのは,豊富なアプリケーションや周辺機器,解説書などの書籍だった。小澤氏らは当初からアプリケーションの数がポイントになると考え,「ソフトの動作確認をしてもらうために,PC-9801の試作機を多くのソフトハウスに無償で貸し出した」という。最終的に約1万8000種類ものアプリケーションが開発された。周辺機器は約6000種類,市販の書籍は約2000種類販売されたという。

 ところが1995年,Windows 95が発表されると状況が変化しはじめた。セイコーエプソンの「PC-286」に代表される98互換機やDOS/Vが対抗馬として出てきたときは「脅威と感じなかった」が,Windows 95は違った。それまでハードで実現していた機能をOSが実装するようになったのだ。「PC-98シリーズがやってきたようなハードの工夫が必要ではなくなった。ハードとソフトの役割分担が変わった」。

 PC-98シリーズは2003年に受注を打ち切った。過去の機種との互換性を重視してきたPC-98シリーズはマーケティング指向の製品だったと小澤氏は振り返る。「プロジェクトのリーダーも技術者もマーケティングに協力してくれた。人に恵まれたプロジェクトだった」。