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◆コラム◆ 朝青龍人気
 若林哲治の土俵百景

大関昇進の伝達式後、新しいしこ名が書かれた紙を手に笑顔の日馬富士(右)。左は伊勢ケ浜親方=2008年11月26日、福岡・太宰府天満宮【時事通信社】

 同じように「憎まれ役」として君臨した北の湖も、晩年になって人気が出た。「負けた時しか話題にならないから、子供に『お父さんは本当に横綱なの』と聞かれたことがある」と言うほど強かった北の湖に、衰えが見え始めてから、多くの相撲ファンがその功績に気づき、復活を期待した。スポーツ雑誌「ナンバー」が、「がんばれ北の湖」と題して特集を組んだこともある。

 もともと北の湖の「憎まれ役」は、土俵の上の話。大半の記者は、取材した途端に北の湖ファンになった。若い記者の質問にも丁寧に答える。報知新聞(現スポーツ報知)が引退後に評論家として迎えた際、北の湖親方の評論の欄を「です、ます」調の文章にしたのは、そんな人柄を表現したものだった。北の湖が休場を繰り返していたころ、幕内力士の一人に言われたことがある。「マスコミはどうして、往生際が悪いだの潔くないだのと書くんだい。あれだけの実績があって、ここまで相撲界を支えてきた横綱なんだ。最後ぐらい、自分の好きなようにしてもいいじゃないか」。別の力士の意見も聞いたら、同じだった。

 北の湖前理事長が朝青龍を擁護した理由の一つは、自分も憎まれ役だったという思いがあるからだが、北の湖の現役時代と朝青龍では、土俵外の言動にも周囲の見る目にも、だいぶ違いがある。

 ひとまず危機を越えた朝青龍は、どこへ向かうのか。円熟か増長か。北の湖前理事長が「オレと朝青龍を一緒にしないでくれ」と言って朝青龍に厳しく当たれば、多くの人が納得したはずだが、今となっては遅い。武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)は、朝青龍をどう導くか。昨年9月の理事長就任当初から注目されながら、朝青龍の休場で先送りになっていた「焦点」が、初場所の熱気の後に浮かび上がってきた。

 (時事通信社運動部編集委員・若林哲治 わかばやし・てつじ)

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