平成デジタルガジェット史

激動の平成デジタルガジェット史 第2回:平成4〜6年(1992〜1994年)

30年にわたった「平成」という時代も今年で終わりを告げる。そんな平成という時代は、価格.comとも深い関わりのあるパソコンやデジタルガジェットが急激に成長した時代であった。そこで、平成時代の終わりに、この30年でパソコンやデジタルガジェットの世界がどのように変化してきたかを、3年ごとにざっくりとまとめてみようというのがこの連載企画だ。第2回の今回は、平成4〜6年(1992〜1994年)の3年間にフォーカスして、この時代をデジタルガジェットたちとともに振り返ってみよう。

平成4年(1992年) IBM「ThinkPad」誕生。音楽デバイスはカセットからMDへ

IBM「ThinkPad 700C」。初代モデルからこの完成されたデザインをしており、ブランドがレノボに移行した現在でも、全く変わらないデザインモチーフが採用されているのは、パソコン界の奇跡ですらある

前年の平成3年に端を発した、日本経済のバブル崩壊は、この年からさまざまな市民生活に影響を及ぼし始める。当時の筆者は大学3年生になったところだったが、ひとつ上の先輩、つまり大学4年生たちの就職活動が軒並みうまくいかずに大変な感じになっていたのを思い出す。この前年までの大学生は、ちやほやされながら社会に出て行った、いわゆる「バブル入社」だったが、この年いきなり企業の新人採用枠がググッと絞られ、いわゆる「就職氷河期」の始まりが訪れたのである。

そんなこの年のデジタルガジェット界を見渡してみると、まずパソコン市場では、当時のIBM(現:レノボ)からノートパソコンの一大ブランドとなる「ThinkPad」が誕生している。第1期モデルとして発売されたのは「ThinkPad 700/700C/700T」の3モデル。代表モデルである「ThinkPad 700C」は、9.5インチのVGAディスプレイを備え、CPUにインテル「i486SLC(25MHz)」を搭載。メモリーは4MB〜16MBで、HDDは120MB。まだ3.5インチFDDを搭載していた点に時代を感じる。

「ThinkPad」で注目されたのはそのデザイン性。当時の日本IBMの大和研究所が本製品の開発に大きく関わっていたことはよく知られているが、本機のデザインも日本の弁当箱がそのモチーフになっていたと言われている。また、キーボード中央部に取り付けられたポインティングデバイス「トラックポイント」は初代モデルからすでに搭載されており、ブラックの筐体に、赤いトラックポイントというこのデザインは、長年「ThinkPad」のデザインモチーフとして引き継がれていくことになる。かくいう筆者も、この「ThinkPad」のデザインには惚れた人間のひとりであるが、初代モデルからこれだけできあがったパソコンのデザインというのは、ノートパソコンの歴史を見渡しても、そうそうあるものではないと思う。

関連記事:「ThinkPad 700C」から25年! クラシックな7列キーボード搭載の記念モデル「ThinkPad 25」

翌年発売された「ThinkPad 220」は、「サブノート」という言葉を定着させた小型ノートPCの走り。その携帯性のよさから多くのファンを獲得し、この系統の小型ThinkPadは長年にわたってモバイラーから愛用された。

パソコン以外のガジェット系に目を向けると、この年、ソニーによって「MD(ミニディスク)」が製品化されている。それまで音楽の記録媒体といえばカセットテープが長年主役の座を占めており、音楽リスニングの主流もいわゆる「ウォークマン」スタイルだったわけだが、音楽ソースがレコードからCDに変わっていったように、記録媒体のほうもこの時期デジタル化が望まれていた。この数年前に「DAC(デジタルオーディオテープ)」などもすでに製品化されていたが、相変わらず磁気テープを使用することなどから問題も多く、あまり普及していなかった。そこで、CDのように、記録を繰り返しても劣化しない光ディスクメディアとしてこのMDが作られた。

初のMDレコーダー/プレイヤーとなった「MZ-1」。フロントローディングタイプのスロットを持ち、再生/録音に両対応したなかなかの高機能機だった。(写真はWkipediaより。By Nixdorf - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=657293

このMDの第1弾デバイスとして11月に発売されたのは、ソニーのMDレコーダー/プレイヤー「MZ-1」。当時の定価は79,800円(税別)で、当時普及していたカセットプレーヤー「ウォークマン」と比べても、倍以上の価格であったため、なかなか普及しなかった。ただ、この後、数年をかけて、MDデッキを搭載したミニコンポが登場したり、普及価格帯のMDプレイヤーが増えてくるにつれ、MDは、カセットテープに代わる音楽記録メディアとして一般的になっていく。

●この年発売された主なデジタルガジェット

・コンパック「Prolinea 3/25 zs」
いわゆる「IBM PC/AT互換機」の代表的メーカーであったコンパックのパソコンは、その価格の安さで世間をあっと言わせ「コンパックショック」という言葉を生み出した。この年、日本市場にも進出した本モデルも128,000円〜と破格の価格を実現していた。当時のパソコンといえば、本体だけでも25万円をくだるものはなかった時代だったので、いかにこの価格が安かったかがわかるだろう。

・シャープ「液晶ビューカム」
シャープからこの年発売された8mmビデオカメラ。「液晶ビューカム」という名称が示すように、横に長いボディの背面に大型の液晶画面を備えているのが特徴。液晶部とカメラ部が分離していて回転できるようになっており、自由なスタイルで撮影できるという点が好評を得た。

・コンパイル「ぷよぷよ」
前年にMSX2/2+版で開発されていた「ぷよぷよ(旧版)」を改良した形で、この年、アーケード版、ならびにセガのメガドライブ版が発売され、一大ヒットを記録する。落ちものゲームという意味では「テトリス」と同じだが、連鎖消しができたり、対戦モードでは、消したブロック(おじゃまぷよ)を相手のフィールドに落とせることで、よりエンターテインメント性が高くなっているのが特徴。「ファイヤー!」などのキャラクターボイスも人気に。

平成5年(1993年) Windows 3.1が発売開始! GUIでパソコンを操作する時代がやってきた

平成5年といえば、今年の5月ついに天皇となられる浩宮・現皇太子殿下と雅子様とのロイヤルウェディングが大々的に行われた年である。バブル景気は弾けていたが、この年、サッカーの「Jリーグ」が開幕したり、東京ベイブリッジや横浜ランドマークタワーや福岡ドームなど、新たなランドマークが次々できたりしていて、まだまだバブリーな雰囲気は濃厚に漂っていた。国外に目を向けると、この年、アメリカで、ビル・クリントン氏が大統領に就任。副大統領に指名されたアル・ゴア氏が提唱した「インターネット」というワードが話題となった。しかし、正直、ほとんどの人はこの頃、インターネットがどんなものなのかを実感として理解していたわけではなかった。そんな時代である。

マイクロソフト「Windows 3.1」のロゴ。今に続く「Windows」の窓を示すカラフルなロゴもこのバージョンから採用された

しかし、パソコンの世界は着実に進化していた。最大のトピックは、マイクロソフトから新OS「Windows 3.1」が発売されたことだ。「Windows 3.1」は、いわゆる「GUI(グラフィカルインターフェイス)」を採用したOSで、それまで主流だった「DOS(MS-DOS)」の「コマンドライン+シェル」というUIから一気に使い勝手を飛躍させた。もちろん、GUIを使ったOSは、Macの「MacOS」をはじめとしていくつかあったが、世界的に主流の「IBM PC/AT互換機」上ではあくまでもコマンドラインが基本。何かのファイルを探したり、開いたり、保存したり、といった操作も、基本的にはコマンドを打ち込むか、「シェル」と呼ばれた管理アプリを通じて行う必要があったのだ。

それが「Windows 3.1」の登場で大きく変化する。「Windows 3.1」は、上記のコマンドラインを残しつつも、グラフィカルな新UIを装備しており、マウスによるウィンドウ操作や、ドラッグ&ドロップによるファイル移動/コピーなど、今のWindowsでも基本になっている操作を実現した記念すべきOSだった。また、周辺機器を接続するための共通のドライバーセットを持っていたり、共通の文字フォントやIME(文字入力システム)を持っていたりと、それまでメーカーごとにまちまちだった基本機能を統一化させることにも成功した。なお、これらの機能を実現したのは、前年に発売されていた「Windows 3.0」であるが、これは日本国内ではあまり流行らず、国内で圧倒的なシェアを誇っていたNEC「PC-98」シリーズ向けの「Windows 3.1」がリリースされてから一般的になったため、国内では「Windows 3.1」のほうが圧倒的にメジャーな存在となった。

この年、富士通からは初の「FMV」の名を冠したパソコンが発売され、Windowsモデルであることを強くアピールした(写真は富士通公式サイトより)

このことを契機に、パソコンのOSは、これまで主流だった「DOS」から「Windows」へと急速に移り変わっていくことになる。また、国内では主流だった「PC-98」シリーズも、それ以外の「DOS/V機」も、同じ「Windowsマシン」というくくりで扱われるようになり、それまでは盤石だった「PC-98」シリーズのソフトウェア的な優位性が徐々に薄れていくことになる。なお、この年、NECからは、従来の「PC-9800」シリーズに加えて、Windows時代向けにパワーアップした「PC-9821」シリーズが追加されており、ライバルメーカーであった富士通からも、Windows 3.1搭載の新シリーズとして「FMV」シリーズが誕生している。

シャープが「液晶ペンコム『ザウルス』」(PI-3000)。初のザウルスとなった本製品は、まだ携帯電話も一般的ではなかった時代に登場した情報端末として脚光を浴びた。当時は「PIM」(Personal Information Manager)とも呼ばれていた(写真はシャープ公式サイトより)

パソコン以外に目を向けてみると、この年、シャープが「液晶ペンコム『ザウルス』」(PI-3000)を発売している。いわゆる国内PDAの走りとも呼ばれる製品で、モノクロのタッチパネル液晶を搭載しており、ペン入力ができる電子手帳的な存在として脚光を浴びた。スケジュール管理、アドレス帳、メモなどの諸機能と、国語辞書や英和辞書などを搭載しており、できるビジネスマンのあこがれの存在となった。なお、当時の「PI-3000」の価格は65,000円(税別)だった。

ちなみにこの年、筆者はついに大学4年生。マスコミを中心に就職活動も一応行ってはみたものの「採用ゼロ」なんていうのはザラで、まさに、目の前でバブル入社のシャッターがガラガラと閉まっていったような感覚を覚えていた。ちなみにこの年、初めて、企業の採用エントリーに電子メールが採用されたことが話題となった。まだ電子メールってなんやねん?って時代にこの電子メールエントリーが行われた背景には、それくらい意識高くないとウチは採りませんよ、という企業側のメッセージがあった。まさに、採用における売り手と買い手が逆転したそんな年だった。

●この年発売された主なデジタルガジェット

・アップル「Macintosh Color Clasic II」
いわゆる「オールドMac」と呼ばれる、コンパクト一体型Macintosh最後のモデル。初代Macから続く小型ブラウン管ディスプレイを搭載しており、しかもカラーであったことから汎用性が高く、しばらく後まで本機を改造して愛用し続けるユーザーが多くいた。

・シャープ「X68030」
シャープが1987年に発売した32ビットパソコン「X68000」は、特にその高性能なグラフィック機能が好評を呼び、CGやゲームなどの分野で一定の人気を誇っていた。その改良版となる「X68030」は、CPUに最新のモトローラ「MC68EC030」を採用してパワーアップを図った製品だが、世の中はすでにWindows時代に移りつつあり、独自規格の「X68000」も、その輝きを取り戻すことはなかった。

・インテル「Pentiumプロセッサー」
それまでの主力モデルだった「486」に代わる次世代CPUとして開発された64ビットCPU。初代モデルの動作クロックは60MHz/66MHzだった。なお、Pentiumの「Penta」とは「5」の意味で、もともとつけられるはずだった「586」の「5」から取られたものという説が有力。「Pentiumプロセッサー」はこの後も長年改良モデルが作られ、インテルの屋台骨を支える存在となっていく。

平成6年(1994年) 「プレイステーション」「セガサターン」発売! ゲーム機も32ビット時代へ

平成6年、筆者は大学を卒業して社会人の第一歩を歩み始めた。しかし、前年の就職活動で惨憺たる結果だった筆者は、大学当時没頭していた演劇関係の道に進むことになる。そこでの過酷な試練の日々についてはここでは語らないが、何しろ休みというものがほとんどなかった関係で、パソコンやデジタルガジェットどころではなかったというのが正直なところ。そのため、この年の流行については、記憶がかなり不確かであることをまずはお断りしておきたい。

このように筆者の人生も激動の時期であったが、世界情勢もかなり激動していた。数年前から民主化が進んでいた東ヨーロッパ諸国であるが、東西統合が行われたドイツのように幸福な例ばかりではなく、旧ユーゴスラビア領だったボスニア・ヘルツェゴビナの独立にあたって1991年に勃発した内戦は徐々にエスカレート。隣接する西ヨーロッパ諸国もついに静観することができなくなり、この年、NATOがボスニア空爆を行うに至った。東西冷戦が終結したことで、逆に各地で民族主義が復興し、このような悲劇を生むに至ってしまったこの戦争は、その後の世界のあり方をある種暗示していたともいえる。

国内では、前年の平成5年に自民党が選挙で大敗。その結果、自民党抜きの連立政権が誕生し、日本新党の細川護熙氏が首相となったが、政権は長続きせず、この年内閣は総辞職。これを継いだ羽田政権も短命に終わり、最終的には「自社さ」連合による連立内閣が発足。日本社会党出身の村山富市氏が首相を務めるという、異例の状況となった。このほかにも、記録的な猛暑や、それに伴う水不足で各地で節水制限がかかるなど、何かと問題が多かった。

セガ「セガサターン」。初代モデルはこのグレーのカラーリングが特徴。ゲームパッドはA/B/C、X/Y/Xの6ボタンで、意外に使い勝手がよかった。なお、専用モデムも発売され、ネットワーク対戦にも対応しているなど、先進的な部分が多かった

そんな中、デジタルガジェット界隈では、年末に大きな発表があった。11月にセガから「セガサターン」、翌12月にソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)から「プレイステーション」という32ビットゲーム機が相次いで発売されたのだ(松下電器産業(現パナソニック)「3DO REAL」もこの年発売されている)。セガに関しては、1988年の「メガドライブ」発売以来、6年ぶりのハードウェア刷新となり、ソニーに関しては初のゲーム機参入となった形で、4年前に発売された任天堂「スーパーファミコン」の牙城を崩すために、より処理性能の高い32ビット機として設計され、市場に投入されたものだ。両者とも、32ビットの特性を生かした3Dゲーム(3Dポリゴン使用)を得意としており、ゲームソフトの提供方法も、従来のカートリッジからCD-ROMに変わるなど、今のゲーム機の原型はこの時期にほぼ固まったと言っていい。ちなみに、「セガサターン」の当時の価格は44,800円(税別)、「プレイステーション」は39,800円(税別)と、25,000円(税込)で買えた「スーパーファミコン」と比べると高価だったため、普及には時間を要した。

SCE「プレイステーション」。今に続くプレイステーションの初号機である。コントローラーの形状などは今のPS4にまで引き継がれており、原型はすでにできあがっていたといえる

なお、パソコンの世界では、サーバー/ワークステーション用OS「Windows NT3.5」が発売されたほか、前年の1993年に開発されたWebブラウザー「Mosaic」と、それを改良した「Netscape Navigator」がこの年ベータ版として公開されたことによって、インターネットが徐々に浸透しつつあった。日本で初めての個人ホームページ「富ヶ谷」がデジタルガレージによって作られたのも、この年のこと。まだ、アナログモデムの速度は14,400/28,800bps程度で、ほとんどのユーザーは「NIFTY-Serve」などのパソコン通信を介して、インターネットに接続していた時代である。

●この年発売された主なデジタルガジェット

・アップル「Macintosh LC630」
高価で知られていたMacintoshであったが、「LC(=Low Cost)」の名が付けられた「LC」シリーズが発売されると一気に普及。なかでもこの「LC630」は、138,000円(税別)〜という、当時のパソコンとしてもかなり格安な価格で人気を得た。このモデルからMacの世界に入ったという人は多い。なお、本機は最後の「MC 680X0」系CPUを搭載する製品のひとつで、同年から新開発の「PowerPC」が採用されるようになったため、OSやアプリの互換性などの面では短命に終わった。

・HP「HP200LX」
いまだ名機と言われるポケットコンピュータ。16(幅)×9(奥行)×2.5(高さ)cm、重さ320gというコンパクト軽量ボディながら、640×200ドット表示のモノクロディスプレイとフルキーボードを備え、OSに「MS-DOS Ver5.0」を備えるという立派なパソコンだった。単三形乾電池2本で駆動する。日本語版が扱えなかったため、ユーザーが共同で日本語化キットを作ったという話は有名。当時の価格は79,800円(税別)〜。
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次回・連載第3回(平成7〜9年)は、2019年3月16日(土)掲載予定です。

鎌田 剛(編集部)
Writer / Editor
鎌田 剛(編集部)
1996年にソフトバンクにて複数のパソコン情報誌の編集・立ち上げに携わった後、2002年にカカクコム入社。2006年「価格.comマガジン」を創刊。以降、編集長としてメディア運営に携わる。日経MJにてコラム連載、ラジオ出演なども幅広く行う。家電製品アドバイザー資格保持者。
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