大韓航空機爆破事件実行犯の金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚(47)が、北朝鮮に拉致された田口八重子さんの家族と3月に面会した際、田口さんが横田めぐみさんと一時期同居していた、と証言していたことがわかった。他の拉致被害者も横田さんの世話をしていたといい、被害者たちの生活ぶりの一端が浮かんだ。
面会した田口さんの長男飯塚耕一郎さん(32)らによると、金元死刑囚は「田口さんと横田さん、(同僚工作員の)金淑姫(キム・スッキ)の3人は84年末、平壌市内から遠く離れた招待所で一緒に暮らしていた」と証言した。金元死刑囚は85年1月に「金淑姫」と会った際、その話を聞いたという。
「金淑姫」は同居した招待所について「電気事情が悪く寒いので、服を何枚も重ね着していた」と話したという。
金元死刑囚の手記によると、田口さんは81年7月から金元死刑囚の日本語教育係を務め、83年3月に別れた。その後について、帰国した拉致被害者地村富貴恵さん(53)が「84年秋、平壌の南東約20キロにある忠竜里という場所で田口さんと再会した」と証言。田口さんが横田さんらと同居したのはこの直後とみられる。
金元死刑囚が今回証言した招待所は忠竜里とみられる。ここには幾つかの住居があり、帰国した地村さん、蓮池薫さん(51)の両夫妻が生活していたことが分かっている。日本の拉致被害者が近くに集められ、その中で助け合いながら生活していた可能性がある。
金元死刑囚は「金淑姫」について、手記の中で同時期に訓練を受けた同世代の女工作員と紹介。金元死刑囚は面会後の会見で、「横田さんは金淑姫に日本語を教えていた」と証言した。富貴恵さんは「横田さんはスッキという人に日本語を教えていた」と証言しており、「スッキ」が淑姫とすれば一致する。田口さんが金元死刑囚に、横田さんがもう1人の工作員に日本語を教えていたことになる。
横田さんについては、田口さんのほか、78〜80年の一時期に同居していた曽我ひとみさんも「妹のような存在。普段は朝鮮名で呼び合い、夜、日本語で話した」と証言。横田さんの母早紀江さん(73)は帰国した蓮池祐木子さん(52)からも「めぐみさんは体が弱く、預かっていたことがあった」と聞いたという。
早紀江さんは「13歳で拉致されためぐみは被害者の中で幼く、みなさんの世話になっていたのだろう。本当に感謝したい」と話している。(大谷聡)