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風化させるな 大相撲事件史

2022年07月12日18時00分

何度もある「前代未聞」

◆平成10年の大乱(1998年)

 史上初のガチンコ選挙

 相撲協会の役員は長い間、2年に1度の評議員(全親方、行司・力士代表)による選挙で決まってきた。現行のように外部理事が加わる前は、理事10人の全員が親方。それを出羽海、二所ノ関、高砂、時津風、立浪・伊勢ケ浜という当時5つの一門が持つ票数に応じて枠を決め、各一門内で事前に候補者を絞ることで無風選挙になっていた。

 しかし90年代、親方になるのに必要な年寄名跡が高額で売買される実態が公になり、協会は批判にさらされていた。そこで境川理事長(元横綱佐田の山)が名跡を協会預かりとして売買を禁ずるなどの私案を発表したところ、高額で買った名跡が突然、金銭価値を失うことに多くの親方が猛反発。理事長は私案を引っ込めたが、その後に示した巡業改革案にも批判が起きた。

 98年の選挙では、反境川の間垣親方(元横綱2代目若乃花)と高田川親方(元大関前の山)が理事になって物を言おうと、事前調整を無視して立候補宣言。票の奪い合いで大混乱に陥り、あおりで元横綱北の富士の陣幕親方が当選できない見通しとなり、嫌気がさして協会を退職する事態も起きた。

 結局11人が立候補して1人が落選。混乱は理事の互選による理事長選にも及び、境川理事が4選を断念して時津風理事(元大関豊山)と北の湖理事の一騎打ちとなって時津風理事長が誕生した。

◆双羽黒失踪・廃業(1987年)

 御せなかった新人類横綱

 年の瀬の12月27日、横綱双羽黒が師匠の立浪親方(元関脇羽黒山)や後援者に意見されて腹を立て、おかみさんを突き飛ばして部屋を飛び出した。東京都内のマンションにいることが分かったが、過去に何度もトラブルを起こしており、廃業届を出した横綱を師匠も相撲協会も引き留めなかった。

 中学卒業後に入門した時に身長195センチ。21歳で入幕、22歳で大関に昇進した。86年夏場所、名古屋場所と続けて千秋楽に千代の富士と優勝を争い、12勝の優勝次点と14勝の優勝同点。まだ幕内優勝がなく時期尚早の声があったが、千代の富士の1人横綱だった事情や、豊かな素質への期待から、協会は横綱に昇進させた。

 大関までは本名の北尾で、昇進を機に春日野理事長(元横綱栃錦)が、立浪部屋の名横綱、双葉山と羽黒山を合わせた四股名を提案して「双羽黒」になった。長身だが均整の取れた体、長いリーチ、柔らかい足腰、組んでよし離れてよし。稽古嫌いではなく、むしろトレーニングや体調管理の勉強もして知識を記者に披瀝するなど研究熱心な面もあった。

 半面、若い頃から気に入らないことがあるとへそを曲げて姿を消し、軽いけがでもすぐ休んだ。批判されると雄弁に主義主張を展開し、あだ名は「新人類横綱」。若い衆にエアガンを発射するなどのいじめも発覚し、付け人が集団脱走する騒ぎが起きていた。

 横綱在位8場所。優勝経験もないまま去ることになり、甘やかして育てた師匠や、急いで横綱にした協会も批判された。精神的な成長が地位に追い付いていれば、千代の富士の優勝回数は半減し、貴乃花・曙時代の到来も、もっと時間がかかったはず。それほどの大器だった。

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