阪急バス(大阪府豊中市)が来年4月、兵庫県宝塚市北部と同県三田市を結ぶ2路線のうち、三田市域の全てを廃止する検討を進めていることが3日、関係者への取材で分かった。志手原、高平地区などを走る計約10キロの区間で、16カ所に停留所がある。人口減による乗客の減少が止まらず、コロナ禍もあり決断した。市内での大規模なバス路線廃止は、過去数十年で初とみられる。(高見雄樹)
廃止を見込むのは、宝塚市北部・西谷地域の東部(とうぶ)と三田駅(北口)を結ぶ路線のうち、波豆(はず)(宝塚市)-三田駅間の8・5キロ。三田市内に14カ所、宝塚市内に1カ所の停留所がある。2019年の調査では、1便当たりの乗客が5人以下だった。
阪急バスが平日午前に3往復、神姫バスが午後に1往復を運行している。神姫は阪急の撤退後も運行を続ける方針を示している。
阪急はさらに、JR武田尾駅と波豆川を結ぶ路線のうち、上佐曽利(かみさそり)(同市)-波豆川(はずかわ)間1・7キロの廃止も見込む。停留所は波豆川のみで、平日1往復、土日祝日は2往復を運行する。1便当たりの乗客はほぼゼロだという。
両区間とも、阪急が三田市や沿線の自治区役員らに廃止の意向を伝えた。市内で唯一、生徒がバス通学をしている上野台中学校によると、同路線を通学で使う生徒はいないという。
阪急の経営企画部は「廃止に向けて地元と協議している」とした上で「乗客減は長年続いており、事業環境は厳しい。コロナ禍の前から運転手不足も深刻で、撤退を決めた」とする。
宝塚市史によると、1924(大正13)年、川辺郡西谷村の住民が出資して「西谷自動車」を設立し、乗合自動車の運行を始めた。57(昭和32)年には住民が熱望して三田への路線が開設されたという。
三田市史の編さんに当たった印藤昭一・市民協働室長は「歳末の三田せいもんでは、宣伝部隊が西谷や山口(西宮市)、吉川(三木市)まで出掛けた記録がある。三田の商圏だった西谷との深いつながりが路線開設の背景にある」とする。
西谷自動車は阪急バスの傘下に入って97年に「阪急田園バス」へと名称を変え、2019年7月に阪急バスに吸収合併された。
三田市内では農村部の人口減を受け、一部で路線バスの減便が進んでいる。だが昨年4月、神姫バスがほとんど利用実態のなかった須磨田口-須磨田間の300メートルを廃止した以外、バス事業者が路線の撤退にまで踏み込むケースは極めて珍しい。
神姫の三田営業所も「三田はニュータウンの人口増加に伴って路線を増やしてきた地域。市北部での減便はあったが、須磨田以外の廃止は記憶にない」としている。
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