関税・外国為替等審議会 外国為替等分科会
最近の国際金融の動向に関する専門部会

(第4回)議事録

 

国際局調査課


第4回最近の国際金融動向に関する専門部会


平成15年4月16日(水)10:00〜12:00
財務省講堂

1.開 会

2.議 事
(1)
「Deflation, Globalization and The New Paradigm of Monetary Economics」
 
Joseph E. Stiglitz コロンビア大学教授
黒田 東彦  内閣官房参与
吉野 直行  慶應義塾大学教授
(2)
質疑、自由討議

3.閉 会

 

最近の国際金融の動向に関する専門部会

平成15年4月16日

【吉野部会長 】
 それでは、10時になりました。これは正式には、関税・外国為替等審議会の外国為替等分科会、第4回目の最近の国際金融の動向に関する専門部会という名前ですが、ただいまからこれを開催させて頂きたいと思います。
 このたびは、私の隣にお座りのノーベル賞経済学者のジョセフ・E・スティグリッツ先生にお越し頂きました。現在はコロンビア大学の教授でいらっしゃいますが、今日はスティグリッツ先生から最初にお話を伺う予定です。せっかくの機会ですので、今日は我々の専門部会以外の方々にもご参集頂いたためにお席がだいぶ狭くなっていますが、ご了承頂きたいと思います。
 スティグリッツ教授には、パネルにある「Deflation, Globalization and The New Paradigm of Monetary Economics」という題で、60分程度お話を頂きます。その後、前財務省の財務官、現在、内閣官房参与でいらっしゃいます黒田様からコメントを頂き、また私からもコメントをさせて頂き、最後にフロアの皆様からいろいろなご質問、あるいはご意見を頂きたいと思っております。
 最初に、スティグリッツ教授は皆さんもよくご存じだと思いますが、簡単にご略歴をお話しさせていただきます。アーマストカレッジを卒業され、それからMITの大学院に進まれ、さらに英国のケンブリッジ大学に留学されて博士号を取得されています。それから、1967年からエール大学で教鞭を執られ始めまして、70年にフルプロフェッサーに昇進されています。その後、スタンフォード大学、イギリスのオックスフォード大学、プリンストン大学で教授を務められて、1979年にはアメリカ経済学に最も貢献した若手経済学者としてジョン・ベイツ・クラーク賞を受賞しておられます。おそらく経済学の分野で勉強する我々は、スティグリッツ先生の論文を読まなかった人はいないと思いますし、いろいろなテキスト、あるいは情報の非対称性、インセンティブの問題、さまざまな分野で論文を発表しておられます。
 政府の方の役職としても、93年3月にクリントン政権の大統領経済諮問委員会(CEA)に参加され、1995年6月からCEAの委員長に就任され、アメリカの経済政策に実際に携わっておられます。また97年2月には、CEAの委員長を辞められて、世界銀行の上級副総裁兼チーフエコノミストとして2000年1月まで務められました。そして2001年には、皆様もよくご承知のノーベル経済学賞を、情報経済学の立場、あるいはさまざまな貢献により受賞され、現在はコロンビア大学の教授であられます。
 それでは、スティグリッツ先生にまずご報告をいただきます。60分でお願いします。
 

【ジョセフ・E・スティグリッツ・コロンビア大学教授 】
 本専門部会に参加できたことを大変うれしく思います。本日は、日本が現在直面している諸問題のうち何点かについてお話ししたいと思いますが、より理論的な視点からアプローチしてみたいと考えています。コロンビア大学の同僚であるグリンワルド教授との共著『Towards a New Paradigm in Monetary Economics』が近く刊行される予定です。本日は、最初にこの本のテーマである金融経済学の新たなパラダイムについてお話しした後、日本が現在抱えている特定の問題の解明にこの新たなパラダイムがどのように役立つかについて論じたいと思います。

 まず、伝統的なケインズ経済学の問題点のうち何点かについて簡単にお話ししたいと思います。話は数十年遡りますが、伝統的なケインズ経済学の大部分がミクロ経済学的基礎に基づいていないと認識されていたことが問題でした。また、特に1970年代には、効用や利潤の極大化を図る合理的行為者仮説から行動を推論することは不可能ではないかという懸念がありました。

 第2の問題点は、伝統的なケインズ経済学がその時代の問題を解決していないように思えたこと、そして広く観察されている現象と矛盾した仮定を立てていたことにありました。特に、ケインズ経済学は、伝統的に組み立てられていたように、価格の下方硬直性に起因する諸問題に焦点を当てていました。1970年代、問題視されていたのは価格の下方硬直性ではなく、インフレでした。今日では、多くの国がデフレに悩まされています。以上から明らかなように、下方硬直的な価格が存在するという概念は、年々下落する物価について心配している世界では何ら意味がないのです。さらに興味深いことに、1930年代においてさえ、価格の下方硬直性の仮定は本当に納得のいく話ではありませんでした。実際に、大恐慌の時でさえ、物価は約30%下落しました。何世代にも渡り、学生達にデータを示すことなく賃金と価格の下方硬直性という考え方について学生たちを納得させているのは、ひどいペテンの一つと言えます。しかし、現実には物価と賃金は大幅に下落しており、このことは、経済低迷期における物価下落の問題、つまりデフレについて考える必要があることを意味しています。

 標準的な理論の2つ目の重要な問題点は、マクロ経済学の中心が当然のことながら貨幣理論にあるということでした。しかし、マクロ経済学の大部分の基礎となっている貨幣理論は納得できる話ではありません。繰り返しになりますが、長い年月に渡り頻繁に繰り返していれば、学生達はそれを信じるようになるというのは素晴らしいアイデアの一つには違いありませんが、現実には納得のいく話ではなく、時が経つとともにますます意味を成さなくなってきています。標準的な経済理論においては、取引には貨幣が必要であるとされています。取引に貨幣が必要となることで貨幣の取引需要が生じます。均衡利子率は、貨幣需要曲線と貨幣供給曲線の交点で決定され、名目利子率によって投資が決定されるという論理の流れが出来上がっています。

 ちょっとお考え頂ければ、ほとんどの取引において貨幣は必要ないことがお分かり頂けると思います。現在では、我々はほとんど貨幣を使っていません。私自身、外国に行っても両替さえしません。常にクレジットカードを利用しています。このことは現在のほとんどの取引に当てはまると思います。また、ほとんどの貨幣には利子が付きます。貨幣に付く利子は、単に財務省短期証券の利子率から僅かな取引費用を差し引いたものです。この後スライドでご説明しますが、基本となる点は、要求払い預金(現在では貨幣のほとんどがこの形態で保有されていますが)に付く利子は、貨幣の取引需要とは無関係であるということです。利子は、財務省短期証券を現金化する際の取引費用によって決定されます。つまり、貨幣の機会費用は、キャッシュ・マネジメント勘定に付く利子と(財務省短期証券の利子率と)の差となります。キャッシュ・マネジメント勘定という用語を使いましたが、この用語はメリルリンチの登録商標であり、アメリカではブランド名を使用する際には知的財産権を尊重しなければならないことから気をつける必要がありますが、私が申し上げようとしていることはお分かり頂けると思います。つまり、キャッシュ・マネジメント勘定とは、現在ほとんどの人が預金している利子が付く証券会社の預金口座のことです。資金を持っている大半の人が自分の資金をこの証券会社の預金口座に預けています。つまり、資金を持っていない人はこの証券会社の預金口座に預けることはありませんが、多額な預金を持っている人はこの種の預金口座を利用しています。以上のように、貨幣の機会費用は、キャッシュ・マネジメント勘定に付く利子と財務省短期証券の利子率との差で、キャッシュ・マネジメント勘定の取引費用により決定され、経済活動とは無関係なのです。

 3つ目の問題点として、大半の取引は資産取引であり、所得創出とは直接的関係がないことが指摘できます。現実に取引高をみた場合、何兆ドル規模となっていますが、これは株式や通貨の売買高に過ぎません。つまり、これは所得創出とは無関係なものです。しかし、所得創出こそが貨幣理論のテーマであるはずです。取引ではなく所得創出が貨幣理論のテーマなのです。所得創出取引とほとんどの資産取引の間に安定的な関係がある場合には、問題は発生しません。しかし、現実には、両者の関係は景気循環において安定的なものではありませんでした。

 最後の問題点として、貨幣の取引需要は、貨幣の流通速度の安定性と貨幣の需要曲線の安定性を基礎としていたことが指摘できます。しかし、現実には、不安定の度合いは非常に高く、幸運にもこのおかげで大半の国においてマネタリズムは支持されなくなりました。

 この結果、実証分析上の様々な疑問や問題に直面することになりました。その一つとして、経済活動の決定にあたり、標準的な理論は実質利子率の役割を非常に重要視している点が指摘できます。しかし、1枚目のチャートからお分かりのとおり、実質利子率は長期間に渡りほとんど一定です。一定のデータを使って何かを説明することは不可能です。つまり、一定のデータを使って景気循環を説明することは不可能なのです。このように現実には、定期的な(periodic)変動が見られますが、これは循環的な(cyclical)性質のものではありません。このように実質利子率の変動を景気循環理論の中心的特性として利用することは非常に難しいと言えます。

 第2に、次の項目に移りますと、アメリカにおいて実質利子率が投資に及ぼす影響については例証がほとんどありません。非常に多くの実証研究がなされていますが、全体としてこれらの実証研究は、投資が実質利子率により決定される程度は非常に限られたものであることを示唆しています。例えば、アメリカの事例では、直近の景気後退期に連邦準備制度理事会(FRB)は実質利子率の引き下げを行いましたが、投資には何の効果も見られませんでした。実質利子率の引き下げは、住宅ローンの借り換えを通じて消費者行動にある程度の効果があったものの、投資には非常に限られた効果しか見られませんでした。興味深いことに、名目利子率が投資に及ぼす効果について数多くの例があることを多数の実証研究が示唆しています。当然のことながら、このような例は、実質利子率だけが問題であるとする標準的な新古典派理論とは矛盾するものです。

 このチャートについて最後に申し上げたいことは、投資の方程式においてはキャッシュ・フローと自己資本が重要な変数と思われるということです。この点は、経済学の歴史において興味深い話題です。1950年代にメイヤーとクーが考案した最初の投資の方程式では、キャッシュ・フロー効果が重要な変数とされていました。その後、モジリアーニとミラーが論文を発表したことで新古典派理論が発展し、キャッシュ・フロー効果は存在しないと誰もが主張しましたが、これは経済理論とつじつまが合いません。そして、投資の方程式に影響を及ぼすようなキャッシュ・フロー効果を考慮することは異端となりました。このような考え方は情報の不完全性理論が発展する1980年代まで基本的には続きました。情報の不完全性理論では、キャッシュ・フロー効果と実質残高効果の両方が重要な要素であると考えられました。この理論に基づき、キャッシュ・フロー効果と実質残高効果を説明変数とした回帰分析を行えるようになりました。また、驚いたことに情報の不完全性理論の研究者が見つけたものは、メイヤーとクーが1950年代に見つけたもの(キャッシュ・フロー効果と実質残高効果は非常に重要な要素である)と同じものでした。したがって、代替的なモデルに加え、基本的にジョルゲンソンの標準的な投資の方程式も適用できないのです。

 その他にも多くの変則性が指摘できます。例えば、マクロ経済学の標準的な理論の一つによれば、在庫は安定することになっています。在庫には景気変動のバッファーとしての機能があることになっています。景気下降期には在庫の積み増し、景気拡大期には在庫の取り崩しが行われることになっています。しかし現実には、データをご覧頂ければ、在庫は景気循環と反対の動きをするというより、むしろ景気循環に則した動きをしています。2つ目の例として、大幅な通貨の減価があっても予想以上に輸出が伸びないケースがよく見られます。東アジア危機において、このような現象がはっきりと現れました。最後に、景気循環において実質賃金の動きには問題があり、変則的な動きをしていたり標準的な理論では説明がつかなかったりしています。

 標準的な理論において解決されていない重要な問題のうち、ある種のショックが拡大する理由(標準的な理論によれば、経済にはショックを拡大するのではなく安定化させる平準化機能がある)とある種のショックの効果が長期間持続する理由の2点について考えてみたいと思います。ショックが発生した場合にある期にはマイナスの影響、ある期にはプラスの影響が生じ、この2つの影響が相殺し合うと予想する理由や現象が数多くあります。したがって、異時点間において相当強力な安定性が存在するはずです。しかし現実には、マイナスの影響が持続するというデータが出ています。

 経済理論の進歩と共に実証研究においてこのような様々な問題が生じ、標準的な理論の大部分が根拠を失ってきています。ここで、この問題の2つの側面についてお話ししたいと思います。一つは2001年のノーベル経済学賞に、もう一つは2002年のノーベル経済学賞に関連したものです。前者は情報の不完全性・非対称性に焦点を当てたもので、生産物市場、労働市場、資本市場における不完全性について考察しています。後者は、カーネマンやトゥベルスキーなどの多くの研究者が見出した、行動におけるシステマティックな非合理性に焦点を当てたもので、合理的行動の根拠の一部を崩すものとなっています。特にその影響については、この後すぐにコメントしたいと思っています。いずれにしても、20年、30年前に提起された根本的な問題に話を戻しますと、標準的なマクロ経済学にはミクロ経済学の基礎が欠けていました。この問題に対して2つの代替的なアプローチがとられました。一つは、新古典派理論と実物景気循環理論で、標準的なミクロ経済学に基礎を置いたもので、標準的な新古典派経済学をベースとした総合的なマクロ経済学を作り出そうというものでした。もう一つのアプローチは、一連の新ケインズ派理論でした。

 まず、新古典派理論と実物景気循環理論がうまくいかなかった理由についてご説明したいと思います。もちろん、新古典派理論学者と実物景気循環理論学者らがこの点について私と同意見であるとは考えていませんが、この理論は非常に大きな失敗であったと思います。当然のことながら、根本的な問題点は、このモデルでは説明しなければならない問題を仮定としてしまったことにあります。失業について説明しようとする場合に、完全雇用を仮定したモデルから始めることはできません。大統領経済諮問委員会(CEA)の委員長という要職にあった時、私が直面した問題の一つとして、シカゴ大学やミネソタ大学などのご出身の非常に素晴らしい、高名なマクロ経済学者達がおられ、彼らは皆、失業などの問題は存在しないと信じていました。私は、彼らのお一人を採用し、クリントン大統領との面談を設定することを想像してみました。ここで、記憶を呼び戻して頂きたいのですが、クリントン大統領は雇用創出を選挙公約としており、失業問題について非常に心配されていました。このシカゴ大学出身のエコノミストとクリントン大統領の面談を想像してみますと、「失業問題について大変憂慮している」と大統領がおっしゃると、このエコノミストはこう答えるでしょう。「失業のようなものは存在しません。国民はただ余暇を楽しんでいるだけです。」「国民はこの余暇に大変満足していないようです。余暇とは、本来楽しむべきものです。」「この問題は、精神科医や心理学者の問題で、エコノミストの問題ではありません。」このような理由から、私はシカゴ大やミネソタ大出身のエコノミストの採用を見送りました。私が不採用にしなければ、彼が代わりに私を解雇し、私も失業者の仲間入りをすると感じたからです。

 さらに大きな問題としては、情報の不完全性・非対称性と非合理性に関する理論と実証を無視していた点が指摘できます。シカゴ流アプローチの基本的方法論はrepresentative agent model(代表的な投資家モデル)であることから、この点は重要な問題と言えます。ちょっとお考え頂きたいのですが、資本市場がどのように問題を抱えているかについての情報の非対称性についての研究は、すべて情報の非対称性を基に行われており、私はこの点が非常に重要だと考えるようになりました。Representative agent model(代表的な投資家)が存在する場合、情報の非対称性が可能な唯一の方法は、統合失調症(精神分裂病)の人を雇った場合です。つまり、片方の脳が知っていることをもう片方の脳が知らないという状態です。このような状態は意味を成しません。経済においてただ一人しか人間が存在しない場合には、情報の非対称性といった問題は発生しません。このように、新古典派理論と実物景気循環理論の根底にある基本的方法論であるRepresentative agent model(代表的な投資家モデル)は、主要な問題の一つが情報の不完全性と情報の非対称性の欠如であると考えた場合にはうまくいかない運命にあったと言えます。まさに方法論が機能しなかった訳です。さらに、シラー等は、株式市場には根拠なき熱狂と悲観主義、群集的行動が起こることを力説しています。経済においてこの点が非常に重要な役割を果たすと認識されているものと思います。例えば、FRBのグリーンスパン議長は根拠なき熱狂の重要性を重視しており、議長なら根拠なき楽観主義についてお話しされたと思います。

 明らかなことは、情報の非対称性の問題は重要であり、現実に欧米の企業・会計・銀行スキャンダルは情報の不完全性に関連したもので、昨今のこのようなスキャンダルはマクロ経済に重要な影響を及ぼしているものと思います。また、合理的期待形成モデルについてもっと詳しく見た場合、結果のほとんどが合理的期待とは無関係で、完全市場の仮定に依存していることがお分かり頂けると思います。実際、ダブリン大学(University College Dublin)のニアリー教授と随分昔に行った研究では、市場の不完全性と合理的期待を仮定した場合には、政府の対策の有効性は実際に向上し、低下することはありませんでした。したがって、合理的期待を仮定することで、政策をより効果的にすることが可能となります。合理的期待形成学派が出したすべての結果の前提となっているのが市場の需給均衡の前提です。しかし、当然のことながら、この前提こそが分析対象でした。その理由を説明するために、次のように考えてみたいと思います。政策の有効性が限定的なものとなる理由の一つは経済主体の行動が時間の経過とともに変化していくということと関係があります。つまり、今日、所得が増加した場合にはその一部は貯蓄に回り、明日の所得増加につながります。他方、もし合理的期待が形成され、明日の所得が今日よりも高くなることが認識されている場合には、今日の消費を増やすでしょう。このように、合理的期待の度合いが高まれば、異時点間フィードバック効果により政府の対策の有効性は実際に向上します。

 最後に、かく乱や技術ショックの主な原因など、ありそうもない前提条件を多数設定することは、むやみに経済の効率性を低めてしまうだけです。標準的な完全市場モデルから総合的なマクロ経済学へ移行しようという試みに基づいたこのようなアプローチでは、最も重要なマクロ経済現象を説明できないのは明白であったと思われます。したがって、他の理論的組み立てについて考える必要が出てきます。実際に、時に新ケインジアン経済学と呼ばれる2つの流れがありました。片方は伝統的な賃金と価格の下方硬直性を仮定したものです。繰り返しになりますが、賃金と価格は下方硬直的ではなく、マンキューCEA新委員長などの多数の理論の説得力は非常に弱いと言えます。マンキュー新委員長に対しては、このような経済理論で主張されていることよりも経済分野での助言でうまくいくことを期待しています。もう一つのアプローチは債務デフレ理論を基礎としたものです。エ−ル大学教授であったフィッシャーは、賃金と価格が下落し、この下落により資産価格が低下するという大恐慌時代の問題を重視していました。あらゆる方法で私が論じようとしているのは、このフィッシャーの考え方こそが、日本や多くの諸外国において適用されるべき理論的枠組みであるということです。この考え方こそ、私がグリンワルド・コロンビア大教授と発展させた理論であり、情報の非対称性と価格調整速度の非対称性を主たる基礎としています。本日はこの理論の概要しかお話しできませんが、いくつかの点について触れておきたいと思います。

 基本的な考え方として、資本市場の不完全性を特に重視しており、特に、エクイティ割当と呼ばれる信用割当を重視しています。つまり、資本市場が不完全であることから、証券市場での新規資金調達に制約があり、そのためにリスクを分散する能力が制約されます。つまり、企業はリスク回避的な行動をとり、企業のバランスシートが重要となり、生産・投資・雇用問題、あらゆる意思決定の基礎となり、企業のキャッシュ・フローも重要となります。つまり、このことは前に述べたある種の投資の方程式(実質残高効果とキャッシュ・フロー効果を含む)の他に、現在銀行システムにおいて起こっていることの説明ともなります。この点についてはこの後お話ししたいと思います。また、家計と政府のバランスシートとキャッシュ・フローも重要であることを意味しています。

 この理論の興味深い点の一つとして、需要サイドだけではなく供給サイドにも焦点を当てている点が指摘できます。しかし、この理論はレーガン政権時の供給サイドの経済学とは似て非なるものです。つまり、この理論は企業の生産意欲と生産能力にかかる制限に焦点を当てたものです。特に、生産活動にはリスクが伴い、リスクの完全分散化は不可能であることから、経済へのショックは企業の生産意欲と生産能力に影響を及ぼすことになります。このことは、小国開放経済の場合に特によく当てはまります。小国開放経済に総需要の問題が決して存在しない理由——これがこの理論の発展に実際に役立った現象の一つ——でした。単に為替レートを変更することによって、小国開放経済は水平な需要曲線二直面することになります。そのため市場では好きなだけ売ることができます。したがって、唯一の問題が需要である場合には、失業問題は存在しないでしょう。単に為替レートを変更するだけで好きなだけ需要を拡大できるからです。現実には総需要と同様に総供給も重要な要素であり、経済にショックが発生した場合には企業の供給能力と意欲は低下する可能性があります。この点において特に重要なことは、信用供与が重要な制約条件になるという点です。特に重要な例として東アジア危機を思い出して下さい。通貨が減価し、為替レートが下がった国でさえ輸出の伸びは非常に小幅となりました。その理由は、生産拡大に必要とされた運転資金を調達できなかったからです。現実に日本は宮沢構想で非常に重要な役割を果たし、生産拡大のための運転資金を供与し、東アジア諸国が再結合するのに貢献しました。

 以上から指摘できることは、需要と供給には密接な関係があるということです。ある期に発生した需要ショックは、その後の期の供給に影響を及ぼします。企業のバランスシートに悪影響が発生すると生産が縮小し、銀行のバランスシートに悪影響が発生すると信用供与が縮小します。このように、ここで重要な概念は、ある期の需要ショックは来期の供給に影響を及ぼすということです。すでに申し上げましたが、説明を要する難しい問題として、ショック効果がどのくらい持続するかということがあります。この理論では、この持続性について非常にうまく説明することができます。ある期に需要ショックが発生すると、将来的に需要・供給の能力と意欲に影響が及ぶことをこの理論は説明しているからです。最後に、この理論では再分配の重要性も重視されています。大幅な価格変動などによる再分配は、重要な非線形性が存在するために重要な問題となります。つまり、経済において起こっている変動の多くは価格の変動です。原油価格が上昇すると石油供給者は利潤を得て、消費者は損失を被ります。しかし、標準的な経済理論によれば、閉鎖経済ではある者の利益は他の者の損失によって相殺されることから問題とはなりません。

 世界経済についても同じように考えてみましょう。今、オイルショックが発生したとします。ある者の利益は他の者の損失により相殺されるはずです。しかし、すでにご理解頂いたように実質残高効果とキャッシュ・フロー効果が存在し、この効果は非線形的なものです。ある者の利益は他の者の損失を相殺しない可能性があります。利益に比べて損失の影響の方が強く感じられます。したがって、ショックには非常に強いマイナスの効果があります。ここでまた、痛感させられる事例を一つご紹介しましょう。1970年代初めの1973年、そして1979年にオイルショックが発生し、アメリカをはじめ大半の国々にマイナスの影響を及ぼしました。しかし、興味深いことに、1986年に再びオイルショックが発生しましたが、価格は下落しました。標準的な理論によれば、価格が上昇するとマイナスの影響が出て、価格が下落するとプラスの影響が出るはずです。しかし、現実にはどちらの場合においてもアメリカ経済は打撃を受けました。これはまさに分配効果が大きく働いたものです。

 以上のことを踏まえて、ベースマネーにも貨幣の取引需要にも焦点を当てていない新たな貨幣経済学のパラダイムが生まれました。これは、経済における真の原動力である信用に焦点を当てたものです。このパラダイムはケンブリッジ大学のロバートソンがケインズ理論と実際に並行して発展させた貸付資金説の一般化と理解されてしまうかもしれません。しかし、このパラダイムは従来の貸付資金説とは大きく異なっています。信用供与における重要な問題は、情報に関する問題です。誰が貸付先として適格かを審査し、信用力を評価し、このプロセスをパスした者が銀行から貸付を受けます。企業も信用供与を行います。十分に発展した私達の理論では、銀行による信用供与だけではなく、企業やその他の機関による信用供給についても考慮しています。しかし、重要なことは、銀行は信用供給に特化した機関であり、信用審査や貸付契約のモニタリング・実行など情報の問題に焦点を当てています。銀行はこのような信用サービスに従事する企業と見ることもできます。しかし、リスクも甘受しなければなりません。そのため、ここでは詳しく説明することができませんが、情報サービスをリスクの甘受から分離することは可能です。情報サービスとリスクの甘受には密接な関係があり、両者を分離することによって信用に関する情報及び信用サービスを提供することが可能になります。他方、このようなリスクをとり信用サービスを提供する意思と能力は銀行のバランスシートの内容にかかっています。したがって、銀行のバランスシートが悪化している場合には、信用供給も縮小します。

 次に私達の理論では、経済ショックと政策(マクロ経済政策と規制政策)が企業の信用供給の能力と意思などの点において銀行やその他の機関にどのような影響を及ぼすかという点に焦点を当てています。ここで重要なことは、ミクロ経済政策としての規制政策とマクロ経済政策に関与している中央銀行という二分法的な考え方をする人々がいます。しかし、この新しい理論で重視されているのは、規制政策(銀行に対する規制)には大きなマクロ経済効果があるということです。またアメリカの事例に戻りますが、1989年米国銀行法に盛り込まれた改革と規制が1990年〜1991年の景気後退の大きな原因となりました。1993年にクリントン政権が景気後退からの脱却のために行った施策の一つに規制改革がありました。私達の理論では、規制政策をマクロ経済政策の一環として重要視しています。問題は、クレジットクランチが存在していることが広く認識されていたことでした。これは、銀行の信用供給の能力と意思の低下によって生じた問題でした。したがって、規制政策によって銀行の信用供給の意思と能力を高める方法を考える必要がありました。
 私達の理論では、企業倒産、企業間信用供与関係に特別な注意を払っていますが、この点は標準的な経済理論における均衡生産量と生産要素の関係同様に重要な点です。新パラダイムでは、デフレと代替的な政策対応について検討するための枠組みを提供しています。デフレのうち特に予想外のデフレは実質残高効果を通じて、総需要にマイナスの効果を及ぼします。つまり、デフレになると、自分で判断した返済額以上に実質ベースで返済することになります。アメリカは19世紀末に極めて深刻なデフレを経験し、アメリカ経済に非常に深刻な問題をもたらしました。興味深いことに、1896年の大統領選挙では金融政策が主要な争点となりました。民主党候補のスローガンは、黄金の十字架にはりつけられてはならないというものでした。債務を抱えている小規模農家を支持層としていた民主党候補はマネーサプライの増加を主張しました。当時の中央銀行にとってマネーサプライを増加させるための主要な方法とは、金本位制から金銀複本位制へ移行することでした。この移行によりマネーサプライが増加し、デフレを封じ込めることができるのです。金融政策は独立性を確保した中央銀行の専管事項であるべきものとして考えておられるでしょうが、100年以上前に当時の政治論争の中心的問題となっていました。

 伝統的な実質利子率の効果の他に、最近広く議論されていますが、デフレになるとたとえ利子率がゼロの場合でも実質利子率は極めて高い水準となることがあります。物価が1年に10%下落した大恐慌時代には、名目利子率はゼロでしたが実質利子率は10%でした。これでは経済活動が閉塞状態にあったのも不思議ではありません。現在の日本経済はそれほど悪い訳ではありませんが、重要なことはデフレになるとこのような実質利子率の効果が存在するということです。

 グローバリゼーションにより世界経済にはデフレバイアスが蔓延しています。統合が進むことは、デフレが伝播しやすくなることを意味します。現在、日本にはまさにこの問題、つまり中国からの安価な製品輸入と中国のデフレが日本国内における価格の下落の原因ではないかとの大きな懸念があり、この懸念が日本におけるデフレバイアスの構造的要因の一つとなっています。また、競争の激化が価格低下圧力の原因となるというようなその他の構造的特徴もあります。

 もう一点重要な側面として、本日はお話しできるだけの十分な時間がありませんが、国際アーキテクチャーに関する最も重要な問題の一つであると考えられることから、触れておきたいと思います。5年前に国際金融アーキテクチャー改革について随分議論されました。残念ながら、私が最も重要な問題と考えている問題の一部には取り組みがなされませんでした。今から議論する問題はその中の一つです。世界の外貨準備金の存在は、相当の金額に上る世界の所得が毎年地中に埋蔵ないし死蔵されていることを意味します。お分かり頂けますでしょうか。今お話ししているのは、現在、2兆ドルを上回る外貨準備金があり、毎年数千億ドルずつ外貨準備金が積み上がっているということです。これは何を意味しているのでしょうか。毎年、数千億ドルの所得が地中に埋蔵されていることを意味します。現在では、米ドルの形で保有されています。以前は世界の外貨準備金の存在によるデフレバイアスは、多くの国の金融緩和政策により相殺され、自給自足経済の国によって相殺されていました。しかし、現在の国際経済環境では、このようなことはもはや当てはまりません。どの国も貿易黒字を計上したいと考えています。しかし、基本となる定義の一つとして貿易黒字合計は貿易赤字合計に等しいことから、すべての国が貿易黒字とはなりません。したがって、中国、日本、その他数カ国が貿易黒字であれば、その他の国は貿易赤字となります。他方、貿易赤字国は黒字化を目指すため、貿易赤字は厄介もののようにある国から他の国へとたらい回しにされます。伝統的な貿易赤字脱却方法として、自国経済のデフレ化政策があります。韓国と東アジアでこのような政策が採られました。以上のように、この問題は世界システムにおけるシステマティックな問題となっています。

 現在では、ヨーロッパにおいてこのような思考法が見られます。同時に、通貨安定成長協定の存在により、欧州諸国は拡張的な財政政策発動の余地が制限されています。他方、中央銀行が専らインフレに焦点を当てていることから、中央銀行は金融政策を実施できない状況にあり、このためヨーロッパはいわゆる低所得デフレバイアスに悩まされています。

 では、このような問題に対する処方箋について提言したいと思います。理論によれば、バランスシートに焦点を当てる必要があります。デフレを脱却してインフレへ転換させることにより、バランスシートは改善し、デフレによる債務の実質価値の上昇という損失を回復することができます。資産バブルが崩壊した日本などでは、問題はかなり深刻と言えます。資産バブルが崩壊したために、バランスシートは相当ひどい状況になっています。さらに、デフレからインフレへ転換させることにより、実質利子率を低下させることができる可能性があります。

 次に、政策的枠組みの3つの側面についてお話ししたいと思います。1つ目は、デフレからインフレへの転換についてです。2つ目は、通貨の減価、つまり円安誘導についてです。3つ目は、不良債権問題について随分議論されていることから、概略ではありますが、銀行のバランスシートについてお話ししたいと思います。準変動為替レートであることから切り下げ(devaluation)ではなく減価(depreciation)という言葉を使いましたが、円の減価により債権大国である日本のバランスシーは確実に改善します。

 第2に強調したい点は、非常に重要な点ですが、世界の中央銀行の思考は1970年代と1980年代に影響を強く受けているという点です。より広い意味では現在では、中央銀行とマクロ経済学者はインフレの世界ではなく、デフレの世界について考え始めなければなりません。発想を変えれば、多くの事がひっくり返ります。例えば、通貨の減価に対する反論の一つとして、原材料費用が上昇することからインフレが進むという議論があります。この議論は、IMFが常に通貨を減価させるな、通貨を切り下げるなと指導する理由の一つとなっています。IMFは常にインフレについて心配しています。IMFは未だに1970年代の戦争を闘っているのです。このような戦争はほとんど終結しています。次の戦争に取り組む必要があります。このような世界、つまりデフレの世界では、通貨を減価させればデフレを封じ込められます。これは望ましいことです。このようにインフレの世界では不適切なことであってもデフレの世界では適切なこととなります。このように必要とされる発想の転換の事例は枚挙にいとまがありません。当然のことながら、通貨の減価により、通常見られる貿易上の便益の他に、以上のようなバランスシート効果と反デフレ効果が期待できます。

 最後に、銀行のバランスシートと不良債権の問題について若干お話ししたいと思います。この問題についてはかなり不可解な謎と混乱があります。経営に関する問題をバランスシートに関する問題から切り離して考える必要があります。銀行の不良債権を政府の機構やその他の機構に移し、(国民が)その不良債権の時価全額を支払った場合、バランスシートを改善したことにはなりません。これでは銀行の自己資本を変えたことにはなりません。解決すべきは経営問題であり、銀行の経営陣が真の問題を解決するのにふさわしいか否かという問題が残されているのです。銀行の経営陣は不良債権を処理する能力がないかもしれないのです。しかし、不良債権を銀行のバランスシートから切り離しただけでは、銀行のバランスシート問題を解決したことにはなりません。

 銀行のバランスシートを改善させるためには、銀行のバランスシートから不良債権を切り離し、健全債権同様に扱って処理することです。つまり、銀行に対して公的資金を注入します。他方、明らかなことは、いずれの方法でも銀行に公的資金を注入することで銀行のバランスシートを改善させることが可能です。したがって、真の問題は、銀行に対して公的資金を注入するか、あるいは銀行の経営陣に対して不良債権を処理する能力がなかったとして責任を追及するかということです。この全く別物の2つの問題がこれまで混同されてきました。銀行システムに公的資本注入することについては一理あると思いますが、資本注入を実施すれば、政府がその全価値を取得することになります。政府が銀行に対して資本注入したり、民間銀行に対してその他の債権を有した場合には、政府が株式利益を得てしまいます。しかし、資本注入に関する透明性が確保されなければ、非常に重大な過ちを犯す可能性が高く、深刻な問題を抱えることになります。

 もう一点指摘したいのですが、これが最後の論点となります。伝統的な方法とは異なる形で銀行システムに資本注入できる方法があります。これならバランスシート問題を他に付け替えることなく、同時に政府のバランスシートを悪化させることもありません。つまり、この点に真の問題が存在するのです。銀行のバランスシートに損失が計上されている場合に政府がそれを埋め合わせすることは、単に社会のある場所から他の場所へ損失を移転させたことに過ぎません。これは好ましいことである場合もありますが、根本的な問題の解決にはなっていない点を認識する必要があります。損失をたらい回ししているだけで、すでにお話しした再分配問題が重要な問題となります。これまでに説明した理論によれば、この再分配問題が重要なのです。この問題を無視してはいけません。他方、自分がいま何をしているのかを再認識する必要もあります。

 時間が押し迫ってきましたが、このスライドをご覧頂きたいと思います。このスライドは具体的な政策論を例に、標準的なケインズ的政策の有効性は限定的であることを説明しようとしたものです。一時的な消費税の減税の方が所得税の減税よりも効果があるという理由がいくつか指摘できます。第1に、現在の債務のGDP比の高さからして将来的に消費税が値上げされる可能性が極めて高いことから、時限的であるという事実は信憑性が高くなります。他方、恒久的な所得税の減税については信憑性が低くなります。第2に、時限的であることから、異時点間代替効果が見られます(すなわち、消費税の減税が行われている間に人々を消費へと誘導する)。

 重要な問題は次のとおりです。デフレからインフレへの誘導及び円安誘導に関する合意が広く出来上がってきていると思います。このインフレ誘導と円安という2つの政策目標について国民の間に広い合意が形成されてきています。問題は、これらが内生的な変数であるということです。インフレ率やデフレ率は政府のコントロールが必ずしも及びません。市場経済においては為替レートは政府が決められるものではありません。どちらも内生変数です。したがって真の問題かつ最も困難な問題は、政府の政策によりデフレを封じ込め通貨の減価ができるかどうかということです。日本ではこれまで議論されてきた多くの政策があります。私自身はただ一つの万能薬のような政策は存在しないと考えています。問題は相当深刻であることから、いくつかの政策を組み合わせる必要があります。いくつかの政策を実施するには10年くらいを必要とするでしょう。したがって、本日の話の中で伝統的な考え方とは若干異なる政策を一つ提言したいと思います。このような提言を行えば、これから申し上げることはほとんど異端的な考え方であることから、信頼あるエコノミストとしての私の切り札を失うのではないかと危惧しています。

 エコノミストしては大罪かもしれませんが、政府紙幣の発行を提言したいと思います。しかしご理解頂きたいのですが、先に申し上げたとおり、インフレ経済はデフレ経済とは異なります。インフレ経済の場合には、私の切り札である博士号を取り上げて頂いても結構です。私が政府紙幣の発行を提言すると、皆さんは私を見つめ、この男は一体どこで博士号を取得したのかとおっしゃるでしょう。しかし、デフレ経済では、事情は全く逆なのです。少なくとも、議論に値する考え方だと思われます。政府紙幣の発行により債務のファイナンスを行います。不連続性については例証はありません。つまり、「政府紙幣の発行を始めれば、ハイパーインフレを招かないか」と質問される方がおられるでしょう。理論の上では、世界は非常に不連続的であり、日銀と財務省の適切な政策についての私の観察では、たとえ政府紙幣の発行を始めたとしても印刷機のスピードをただ速めるようなことはしないと確信しています。政府紙幣の発行スピードは非常に緩やかなものとなるでしょう。真の問題は、政府紙幣を増発しすぎるということではなく、むしろ政府紙幣の増発が不十分な量で終わるということです。したがって、不連続性については例証は存在せず、緩やかに増発すればハイパーインフレを引き起こすことはありません。経済理論によれば、適正なインフレ率が存在し、この水準となるように供給量を調節することができるのです。債務ファイナンスに比べてこの方法には多くの利点があります。その一つとして、債務ファイナンスの場合には、3ヶ月毎、6ヶ月毎、1年毎、5年毎というように債務を借り替える必要があります。しかし、政府紙幣を発行した場合にはその必要はありません。発行された紙幣は恒久的に償還されません。

 第2の利点として、会計上の枠組みにおいて政府の債務の一部として計上されないことが指摘できます。現在日本が抱えている諸問題の一つが、毎年財政赤字を計上し、債務のGDP比がG7諸国の中でも突出していることが挙げられます。このような財政状態から格付機関の格付けに影響が出始め、ご存知のように市場は非合理的で、パニックに陥る可能性があり、債務のGDP比が非常に高くなることでインターナショナルな資本市場においてある種のパニックが発生するというシナリオが心配されています。債務のGDP比が1年で7%であれば、5年後には35%となるでしょう。この数字を現在の135%(債務のGDP比)に加えると、その比率はますます膨らんでいくことになります。このように現在の戦略が持続しないことは明らかであり、代替案について考える必要があります。ポイントの一つは、発行した政府紙幣は銀行の資本注入に活用できるということです。日本政府の債務負担が増えないようにするために、伝統的な考え方とは異なる考え方を提言しています。この方法は、いくつか存在する代替案の一つです。現実に、この戦略は大恐慌時代のスウェーデンにおいて効果を発揮しました。

 重要な教訓としては、たとえこの処方箋が効果を発揮したとしても、日本の長期的な問題の解決にはならないということです。日本は総需要問題の他に構造問題を抱えています。この2つの問題には密接な関係があります。しかし、総需要問題を解決するまで構造問題の効果的な解決はできないものと強く確信しています。総需要問題に取り組むことなく、不良債権問題を解決すれば、来年または再来年に再び不良債権を抱えることになります。当然のことながら、このような現象はこれまでに多くの国で見られています。

 長期生産性の問題の一部である構造問題に取り組む機会はまだあると思います。例えば、一つの問題として、サービス業の生産性向上の水準は製造業に遅れをとっています。諸外国の経済と比較してみると、ほとんどの工業先進国において、多くの構造が大きく変革し、製造業からサービス業への移行が起きています。アメリカやイギリスなど最も成功している国では、サービス業の生産性が飛躍的に向上してきています。これに対して、日本ではサービス業が生産性の伸びが低い分野の一つとなっています。したがって、ある意味で構造問題は取り組む必要がある問題の一つであると言えます。しかし、繰り返しになりますが、構造問題は経済が好調の時に適切に解決できるものです。日本が現在の総需要不足に対して何らの措置も講じない場合、金融システム問題が深刻化し新技術への投資が縮小するに伴い、構造改革がこの総需要不足問題を実際に悪化させるという危険性が存在します。

 結論に入りたいと思います。新たなマクロ経済学理論と金融経済学の新たなパラダイムが必要とされていると思います。標準的なケインズ経済学の欠点と合理的期待形成理論における実物景気循環の欠点が非常に大きな問題であることから、特にデフレ下の日本が直面している状況にふさわしい理論が必要とされています。ごく簡単ですが概略をご説明した新理論では、多くの現象をうまく説明することができます。最も重要なことは、新理論は標準的なケインズ経済学、合理的期待形成理論および実物景気循環理論の経済学とは大きく異なり、様々な政策問題やアプローチに対する考え方について洞察を与えてくれるということです。したがって、本日の議論において、この新理論が日本の状況にどれだけ洞察を加えられるかについて議論できることを期待して締めくくりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。


【吉野部会長 】
 スティグリッツ教授、ありがとうございました。それでは、こちらにお戻りください。
 黒田参与に最初にコメントを頂きます。黒田参与はこちらにお座りになり、パネルを使いながらコメントして頂くということです。よろしくお願いいたします。


【黒田内閣府参与 】
 それでは、私から簡単にコメントをさせて頂きます。
 今のスティグリッツ教授のプレゼンテーションからもおわかりのように、教授は現実の経済の問題から理論を考え出し、その理論を使って政策的な提言をされています。これは大変すばらしいことだと思います。そこで、日本の経済の問題や対策についても触れられました。私は基本的にスティグリッツ教授の理論や政策的な提言について賛成です。したがって、私のコメントはややニュアンスに関するものかもしれませんが、敢えていくつかコメントさせて頂きます。

 第1が、クレジットかマネーかということです。銀行セクター、つまり中央銀行と商業銀行のコンソレーテッド・バランスシートを見ると、基本的に資産側は銀行のクレジットです。つまり、民間に対する信用もありましょうし、政府に対する信用もありましょう。あるいは、信用の供与の仕方として、融資という形もありましょうし、国債や社債を買うという証券という形もあると思いますが、いずれにせよバンク・クレジットです。
 他方、銀行の債務側を見ると、大半がキャッシュと預金です。これらはM2プラスCDといわれる広義のマネーサプライです。もちろんエクイティはありますが、また資産側にも物的資産がありますが、大層は今申し上げたように、バンキングセクターのバランスシートを見ると、資産側がバンク・クレジットであり、負債側がマネーサプライであるということになります。したがって、ノンバンク・クレジットが非常に重要でないかぎり、クレジットセオリーとマネーセオリーはほとんど変わらないとも見える訳です。
 もちろん、実際にはスティグリッツ教授が説明されたように、トランスミッション・メカニズムが非常に違うわけですから、その違いがマクロ・エコノミック・エフェクトが違うということになって出てくれば、非常に理論の違いがはっきりするのですが、そのためにはノンバンク・クレジットが相当重要でないといけないのではないかと思います。
 そこで、日本の状況を見ると、果たして教授が言われたように、ほとんどの支払いが例えばクレジットカードで行われている、あるいは企業の資金調達がトレード・クレジットやキャピタル・マーケットを通じた信用調達になっているかということが重要なポイントになってくる訳です。私の感じでは、おそらく米国ほどはノンバンク・クレジットの重要性がないのではないかと思います。
 ただ、それでも日本でもクレジットカードは随分広く使われるようになりましたし、キャピタル・マーケットの重要性も増していますので、実はこのクレジット・セオリーの方がずっと有効であるということが出てきているようにも思います。したがって、この点は、さらに日本経済についての実証をする必要があるのではないかと思います。これは、おそらく日本の経済学者にしていただかなければいけないと思います。

 先生はアンエクスペクテッド・デフレーションが非常に大きな問題をはらむと言っておられます。これは全くそのとおりだと思います。
 ところで、日本の企業あるいは政府の債務を見ると、非常に巨大なものになっています。企業もそうですし、政府もそうです。それらはほとんど過去20〜30年の間に積み上げられてきたものであり、これらはいわば持続するデフレーションがみんなに予期される前に起こったことです。最近、デフレーションが相当続くのではないかと予期され、したがって、例えば金利もほとんど短期のものはゼロになっていますし、長期のものでも1〜2%と非常に低くなっています。ということで、新しいデフレの予測に応じた資金取引が行われている訳です。
 あるいは、実は個人の住宅ローンも非常に大きな問題です。これは30年くらいのローンがある訳ですが、そういうものは土地の価格や住宅価格が上がり、むしろ資産が上がっていくという時に、しかも物価も上がってインフレーションだという時に行われた訳です。今やデフレになっているということで、家計の住宅ローンの問題も非常に大きな問題になっていると思います。
 いずれにせよ、現在のデフレーションは企業、政府、家計の債務にとっては、いわばアンエクスペクテッド・デフレーションであり、非常に大きく日本経済を悪くしていると思います。この点ではスティグリッツ先生と全く同じ意見です。

 3番目の点は、スティグリッツ先生は触れられなかったのですが、日本で少し議論になっておりますので、簡単にご説明します。
 日本の何人かの経済学者は、「オープン・マーケット・オペレーションズを例えば10年国債のところで大量に行うということは、結局のところ、本来の金融政策と国債管理政策を組み合わせて日本銀行が行ってしまうことになるのではないか。だから、日本銀行がそういう長期債マーケットで大量のオープン・マーケット・オペレーションズをやるのはいかがか。むしろ、そういう必要があれば、つまりイールドカーブの上の方でオペレーションをやる必要があれば、それは政府が国債管理政策の一環としてやったらどうか」と主張しています。
 私はこれには反対です。と申しますのは、そういったいわばビルズ・オンリー・ドクトリンは、大昔に確かにFedがやっておられたと思いますが、それは50年以上も前にやめられたと思います。日本銀行自身も、過去ずっと10年国債のオープン・マーケット・オペレーションズをやってきている訳ですので、わざわざビルズ・オンリー・ドクトリンに回帰する必要は全くありません。むしろ日本銀行は、10年国債のみならず幅広い資産についてオープン・マーケット・オペレーションを思い切って行うことが、デフレーションを克服するためには必要ではないかと思っています。これは日本での議論のご紹介です。

 マネタリゼーションとマネーファイナンシングとはどういうことかというと、ご承知のように現在、政府の支出の4割ぐらいがデットファイナンス、要するに国債を発行してファイナンスをしている訳です。その結果、国債が非常に大量に滞留しており、そのうちの一部を日本銀行が毎月約1兆2000億円購入するという形でマネタイズしている訳です。
 したがって、マネタリゼーションとは、基本的に政府の債務の額を変えるものではありませんが、ネットデットサービスコストは下げます。つまり、日本銀行が保有する国債は金利を政府から日本銀行に払うわけですが、日本銀行の利益がその分増えますので、その分は基本的に例えば国に法人税や納付金という形で回帰してくるとすれば、その部分は確かにネットデットサービスコストは下がる訳です。しかし、政府のトータルデットは変わらないということです。
 それに対してスティグリッツ教授は、「直接政府がマネーファイナンスをしたらどうか。そうすれば、デットも増えないし、デットサービスコストも節約でき、直接的にそうでない場合と比べてデットを減らし、デットサービスコストを減らせるのではないか」というご提案だと思います。これはもちろん、現在ではそういう権能が政府にあるかどうか私にはよく分りません。基本的に中央銀行がやる形になっていますので、政府が出来るとは思いませんが、非常にユニークな提案であり、面白いアイデアであると思います。
 ちなみに、私の知るところでは、19世紀に米国では中央銀行がないことが何度もあった訳です。そして、先程スティグリッツ教授が言われたように、金あるいは銀本位制の下にあったことがあったのですが、全くそういう本位通貨の裏付けのないグリーンバックを米国政府が政府紙幣として発行し、大量に流通していた時代があります。したがって、スティグリッツ教授の言われた提案は、スウェーデンの例もあるかもしれませんが、米国の19世紀の例もあるのではないかと思います。
 ただ、これは非常に大きな議論を呼ぶ点であると思いますし、私自身は、そこまで行く前に日本銀行がもっと大量に国債を購入することによってマネタイズすれば、同じデットサービスコストの節減もできるし、その方がずっとリアリスティックだと思います。しかし、教授の提案は非常にユニークであり、興味深いと思います。

 最後に、当然、金融緩和は他の事情が一定であれば為替の下落を導きやすい訳です。そうすると、教授が言われたようにデフレ資産を緩和するという意味で好ましいと思います。ただ、それだったら直接為替市場で介入し、直接円をディプリシエイトさせればもっとはっきり効果があるのではないかという議論があるかもしれません。しかし、これは国際的なコンサーンを呼ぶ可能性が高いと思います。
 というのは、為替市場への直接の介入は、為替の安定、為替レートが経済のファンダメンタルズをより反映するようにするために介入することは国際的に認められていますが、デフレーションやインフレーションを解決するために為替市場に直接介入することは、やや例外的というか、あまり広く認められていないと思います。ですから、これはやや難しいと思います。
 したがって、私としては、先生がおっしゃっていたように、基本的に幅広い金融市場、それは短期・長期の金融市場がありましょうし、資本市場もありましょう。そういう幅広い金融市場に影響をもたらすような金融政策を重視していった方がいいのではないかと思います。要するに、為替市場に直接介入して円安をもたらし、それでデフレーションを直そうというよりも、先生が強調しておられたようなさまざまな金融緩和の方が望ましいのではないかと思っています。
 以上、敢えていくつかのコメントを申し上げましたが、私自身は基本的にスティグリッツ教授の理論には非常に魅力を感じておりまして、この理論をもっと日本で適用して実証分析や政策提言がされるといいと思っています。


【吉野部会長 】
 黒田参与、どうもありがとうございました。
 それでは引き続き、私からコメントさせて頂きたいと思います。お手元の資料4をご覧下さい。英語で発言させて頂きます。
 まず、資料にしたがってコメントしたいと思います。スティグリッツ教授がおっしゃったように、日本経済とアジア経済は銀行のチャネルへの集中度が非常に高いということです。とりわけ銀行チャネルということですと、両側面からきます。一方は、家計です。家計の資産の大部分は銀行か郵便局に預けられています。家計の資産をどのように分散化するか、これも重要な問題です。一般論として、日本人は資産のマネジメントがうまくできていません。特に1980年代後半には家計をリスクから保護し、預金は100%保証されていました。
 2番目に、昨年まで預金は全面的に保護されていました。流動性預金に関しては今でも完全に保護されています。しかし、銀行はリスクに直面しており、不良債権は増大しつづけています。そこで、銀行は大変慎重になっており、貸付を行う代わりに大量の国債を保有するようになっています。

 3番目に、日本では、銀行によるマネーフローではなく代替的なマネーフローをどのようにして確保するかという問題も重要です。OECD加盟国の中で、家計の金融資産の約60%が預貯金に回されている国は日本だけです。

 4番目に、円の切り下げまたは円の減価です。スティグリッツ教授がおっしゃったと思いますが、日本と中国は隣国同士です。中国は固定相場制を採用している上に、人民元は中国の輸出にとって非常に有利となる水準に設定されています。このような点から見ますと、おそらく我が国の円安政策の効果は、当局の期待と異なるのかもしれません。すべての国が変動為替相場制に移行するのであればその政策は効力を有するかもしれません。しかし、隣国で非常に異なる為替相場制度を採用している場合には、伝統的な教科書の内容は当てはまらないかもしれません。
 5番目に、実質利子率と名目利子率についてです。スティグリッツ教授がおっしゃったように、実質利子率が投資に影響を及ぼしていないということは日本でも同様です。特に日本の金利は低く、国内金利は投資の決定要因とはなっていません。一方で、非対称性が存在し、仮に日銀が公定歩合を引き上げた場合には投資は減少します。日本経済のマクロモデルによると、利上げのときよりも利下げのときに非対称性が存在します。こういう環境ではマネーサプライの増加も金利の低下も、国内投資は促進されないことになります。こういう状況のときに最適な政策とはどのようなものなのか。さらに、現在の日本では財政政策には効果がなく、日本のIS曲線は垂直になっており、このIS曲線を右にシフトすることができます。これが現在の日本経済が直面している課題だと思われます。

 次のページに進みますが、短期のマクロ政策として、金融政策と財政政策が考えられます。ベースマネーは大幅に増加しています。おそらく20〜25%増加しています。しかし、銀行部門が機能不全に陥っているためにマネーサプライの伸び率は小幅に留まっています。金融政策の場合には、マネーサプライをベースマネーで見るのか、それともM2+CDで見るのかを区別する必要があります。といっても、未だに伝統的な財政政策が実際には採られています。
 第2に、スティグリッツ先生もおっしゃったように、我が国は巨額の財政赤字を抱えています。しかし、歳出抑制について真剣に議論する人は誰もいません。この財政赤字について心配している人はたくさんいますが、歳出削減及び予算配分問題について真剣に考えている人はいません。日本の選挙制度では、選挙区が重要であり、特に地方では財政支出の拡大を望んでいます。同時に、高齢者も年金やその他の給付を必要としている上、高齢化が進んでいます。
 第3に、スティグリッツ先生は、日本では金融部門を含めたサービス分野の競争力が不足しているとおっしゃいましたが、そのとおりだと思います。しかし、これは一部には英語運用能力にも関連しているかもしれません。製造業においては言葉は関係ありません。高品質で低価格の自動車を販売すれば誰でも理解してくれます。しかし、金融業やサービス業では説明が必要となります。そこで、先生がおっしゃったように、我が国は製造業からサービス業にシフトする必要があるのですが、日本人には不利かもしれません。英語運用能力を高めるなど、様々な対策が必要かもしれません。スティグリッツ先生の母国語は英語であるため、こういうことはご理解いただけないかもしれませんが、日本の多くの学生は中学や高校で長年にわたり英語を習っているにもかかわらずこういう状況だからです。
 第4に、金融部門におけるイノベーションについてです。スティグリッツ先生はお話の中で、技術革新について触れられました。ただ、多くの銀行の方からお話しを伺った限り、基本的なスキルや設備が不足している訳ではないようです。日本に不足しているものは何かと言えば、経験、新しい考え方、もしくは経営スキルだという話です。そこで、仮にこの分野で改善を図ることができれば、諸外国に追いつくことが可能かもしれません。

 次のページをご覧下さい。我が国の財政赤字は相当の額に達しており、GDP比で141%となっています。135%ではなく141%です。しかも、これ以上財政赤字を拡大させる訳には参りません。
 さらにこの巨額の財政赤字は、クラウディング・アウトを引き起こしています。国債を主に国内の金融機関が保有しています。短期的に効力を有する財政政策を実施する余地がまだ残っているかどうか。私の考えでは、財政政策の余地は今のところはないと思います。
 第2に、スティグリッツ先生は、一時的な消費税の減税ないし一時的な所得税の減税をご提案されていました。実証分析によると、1990年代後半、我が国では所得税減税が行われましたが、その結果、所得格差が拡大しました。また、所得税減税により、貯蓄が増え、必ずしも消費が増えた訳ではありませんでした。1997年、消費税が3%から5%に引き上げられました。その時期に何が起こったかというと、消費税の引上げ前に住宅と自動車の駆け込み需要がありました。もちろん、その他の消費財については特に変わりはありませんでしたが、一部の消費財については消費税の値上げ前にということで、駆け込み需要がありました。そこで、一時的に消費税を引き下げたとしても、再び引き上げられると、今度は消費が大幅に下がる可能性があります。したがって、我が国の消費税に関する、つまり3%から5%に引き上げた経験に基づいて、さらに5年間の消費パターンを考えてみた場合、全体で見ると変わりはないと言えます。もちろん、5%に引き上げる前と後でシフトはあったのですが、全体で言えば変化はなかったことになります。したがって、一時的減税を実施したとしても、残念ながら日本についてはあまり効果がないのではないかと思われます。
 高齢化問題ももう1つの日本の課題と言えるでしょう。
 第4に、取り組むべき構造改革が山積しています。特に農業、建設業といった部門で構造改革が必要とされています。農業と建設業は保護を受けており、需給に関しては為替レートで決定されるという環境に置かれていませんので、その結果、円高要因となっています。そこで、もう1つの政策としては、保護を受けている分野を開放することかもしれません。それによって円安が加速される可能性があります。

 最後のページは、実証分析における日本のインフレやデフレの説明変数とその関係を示したものです。このデータはニューラルネットワーク手法により時系列データを分析したものです。6番目の総需要の値が一番高く、なぜインフレやデフレになるのかという説明力が一番高い訳です。それから、8番目の輸入価格は為替レートに連動していますが、それほど値は大きくありません。現在、中国から安い製品が入ってきていますが、昔も原油価格やそれ以外のものの輸入価格の影響は受けていました。ということで、輸入価格へのインパクトはあまりない訳です。最も説明力の高い変数は総需要です。財政政策のインパクトは大幅に低下しており、金融政策が次にとり得る政策となります。1番目の期待の説明力はあまり大きくありません。これは日本がインフレからデフレに転換したためです。繰り返しになりますが、総供給及び総需要面から説明する場合には、総需要が一番重要な説明変数となります。

 最後にデフレとインフレ、地価について簡単にコメントしたいと思います。何らかの経済状況に直面すると、どの人でも同じことを心配します。例えば1980年代後半に人々は、地価が急上昇し、地価が下がれば経済状況はよくなり力強さが持続するのではないかと言っていました。ところが、今では地価の下落が問題になっているのです。また、1970年代と1980年代にインフレの問題がありました。人々はインフレが止まれば全ての問題が解決すると言っていました。今でも同じことが当てはまるのかもしれません。我々はデフレ克服のために構造改革やその他の政策による改革を必要としています以上で、私のコメントを終わらせて頂きます。ありがとうございました。
 これから、皆様からご質問を頂きたいと思います。今日はたくさんの方に来ていただいていますが、本日は外国為替等分科会の第4回の会合ということでもありますので、委員の方からまずご質問を頂きまして、その後で委員以外の方からご質問を頂きたいと思います。では南条委員、どうぞ。

【南条委員 】
 スティグリッツ先生には、世界銀行に勤務されていた時、ときどき日本においでになった際、いろいろ無遠慮なご質問をしましたが、いつもやさしくにこやかにご返事頂いたので、今回もそういうことを期待しております。
 2つありますが、1つは、紙幣の増刷の話です。黒田さんも先程おっしゃったように、日本の場合、特に中央銀行がそういうことを専管しており、それを政府がするのはなかなか難しいところがあります。
 読売新聞が従来から言っているのは、むしろ無利子無記名の国債を発行したらどうかということです。それを一定程度、緊急事態だからするということで、その額を一定にとどめて、それをずっとロールオーバーしていけば、利子が増えないから負担も増えません。これも恒久的に発行しうるし、抑制もかかります。そうすると、おっしゃっていた政府が紙幣を増刷するのと同じことでないかと思うのですが、これについてどうお考えでしょうか。
 もう1点は、先生は最近、繰り返し円安を言っていらっしゃいます。確かに理論的には円安の必要性はかなり多くの人が日本でも言っていますし、うちの新聞でもそういうことを言っています。では、どうやって円安を実現するのかということが一番肝心なところです。僕は黒田さんにも賛成だし、現実的に見てもスムージング・オペレーションはいつもやっていることだし、一定程度可能です。しかし、政策意図を込めて一定方向に為替を誘導することは、今の世の中ではほとんど不可能ではないかと言われています。1兆ドルも2兆ドルも毎日取引がある中で、介入できる額はごく僅かです。
 プラザ合意のときは、みんなに「為替相場の水準を修正しなければいけない」というコンセンサスがあったから動いたけれども、現実の今の時点で見ても、あるいはしばらく先を見ても、アメリカが特に大統領選挙前で、ブッシュとしてはイラクが終わって今度は父ブッシュが失敗してしまった景気の問題に取り組まなければいけません。そういう中で、形式的には「ドル高」といっても、実態的にはドル安にしなければ、特に輸出関連企業から反発が出てしまいます。そのような事情の下では、みんなでドル高・円安にしようというコンセンサスを得ることは不可能だと思うのです。そうすると、観念的に円安が望ましいと言っても、実態としてとても今、不可能な状態だと思います。それでもなおかつ円安が実現する可能性があるのかどうか、もし円安にしようとしたらどのような手があるのかということをお聞きしたいと思います。

【吉野部会長 】
 では、先にいくつかご質問を受けたいと思います。岩田先生からお願いします。

【日本銀行 岩田副総裁 】
 ありがとうございます。2点ほど英語でコメントをさせて頂きます。
 最初のコメントは、グローバリゼーションに関するものです。スティグリッツ先生は資料の17ページにおいて、世界の所得のかなりの部分が外貨準備として死蔵されてしまっているとおっしゃいました。これは本当なのでしょうか。もし本当であれば、このようなデフレバイアスをどのように修正したらよいのでしょうか。 日本も含めたアジア諸国は、ドルの形で外貨準備を大量に蓄積しておりますが、私の意見では、これは家計部門や非金融法人部門が預貯金や現金を蓄積しているのと同じようなものです。家計はかなりの額の金融資産を預貯金の形で保有しており、企業もフリーキャッシュ・フローを増やしています。しかし、これが実際に投資に回っていないことが大きな問題です。日本経済がデフレ傾向にあることから、このような形でマネーが保有されているのです。スティグリッツ博士は、各国の通貨当局が外貨準備を積み上げていることは、同様の事象であると指摘された訳です。
 しかし、私の解釈では、この外貨準備の蓄積は、為替レートの上昇を防止する政策の結果であるように思われます。日本とその他のアジア諸国は、自国通貨の急激な増価を防止するために、外国為替市場に介入し、外貨準備を蓄積しているのです。こう考えますと、スティグリッツ博士の仮説は、実効的なドル安(実効的なドル高)が、デフレ(インフレ)をもたらしているか否かといったお話に読み替えることができます。博士はアメリカ人であり世界的な好況につながるとしてドル安を好まれると思います。ですから博士のご意見にはそういう意味で若干のバイアスがあるのではないかと思います。いずれにせよ、以上が最初のコメントです。
 2番目のコメントとしまして、財務省が政府紙幣の発行を行うというご提案についてですが、これは日銀にとっては重要な問題です。私は日銀の副総裁になってからまだ1か月しか経過していませんが、私の立場からこのご提言には反論したいと思います。スティグリッツ博士が指摘されたように、1930年代のスウェーデン、アメリカ、日本から学ぶべき経験や教訓はたくさんあると思います。1930年代の日本では、高橋是清大蔵大臣が、日銀の国債直接引受による拡張的な財政政策を実施しました。中央銀行が財政支出をファイナンスするこの政策は大変強力なものでした。しかし、後の軍事政権下でインフレ及び政府の財政支出の制御不能という事態を導いてしまったのです。現行の財政法では、日銀が直接国債を引き受けることは禁止されています。私は、これは民主主義社会において大変重要なポイントであると思います。つまり、政府の各部門は果たすべき役割をそれぞれ有しているのです。中央銀行の独立性もこのことに関係しているのです。
 私の見解はこのような教訓に基づいたものです。政府が自由に紙幣を発行し、租税政策と財政政策も行うと、歳出に対するコントロールを失ってしまうと思います。これは極めて重要な問題で、貨幣への信認を維持するうえで問題が出てくるのです。アルゼンチンの場合、地方政府が独自に紙幣を発行したために、一体何が起こったでしょうか。金融政策と中央銀行に対する信頼が失われてしまいました。日本では明治時代、大正時代に7回にわたって政府は紙幣を発行していますが、結果的には日銀により吸収され、貨幣の発行に取って代わられただけでした。そして贋金の流通と金融市場の混乱を生じさせただけでした。したがって、政府が直接紙幣を発行することによって、政府の歳出をまかなうという提言は良い提言とは思えません。
 より小さな論点として、通貨発行益の分配の問題があります。現在のシステムにおいては、日本銀行が通貨発行益を有し、それは政府に納付されなければならないが、その一定割合は、日本銀行の金融政策及びマクロ・プルーデンス政策のために用いられています。最近、日本銀行は邦銀が莫大な株式資産を保有しているという現実を踏まえて実施した銀行保有株買取りなど、マクロ・プルーデンス政策を発動しています。金融システムの安定化のために、日本銀行は銀行保有株を買い取るというマクロ・プルーデンス政策を実施しているのです。この政策措置を遂行するために、我々はリスクを取っています。或いはABCPの買取りオペを行うことは、中央銀行による民間債券の直接購入に等しいのです。これは、我々がクレジットリスクを取っていることになります。したがって、こういったリスクに備えて、日本銀行はより多くの準備金を保有する必要があります。これは政府、中央銀行のどちらが通貨発行益を保有すべきかという微妙ではありますが重要な問題も含んでいるのです。

【吉野部会長 】
 ではスティグリッツ博士、以上の質問にお答え頂けますでしょうか。その後で追加質問をお受けします。

【スティグリッツ教授 】
 最初に、黒田参与が指摘された信用か貨幣かという点についてコメントします。銀行のバランスシート上、マネーサプライと信用量が等しいという事実が、この分野における長年にわたる混乱の原因の一つです。回帰分析を行えば、この2つの数字は同じものになってしまうので、何が原動力になっているかを特定することは難しくなってしまいます。我々が主張している理論では、信用供給に焦点を当てた訳です。例えばベースマネーが増加したとしても、信用供給に直接反映されない訳です。この点こそ日本が抱えている問題の1つなのかもしれません。通貨当局はベースマネーをコントロールしていますが、直接的には信用供給をコントロールしていません。最終的にはこの2つは同じかもしれませんが、何をコントロールしているかという点が重要だと思います。同時に、信用供給に焦点を当てることによって、財務省短期証券の利子率と企業の借入金利のスプレッドを変数として取り上げることになりました。このスプレッドの変動は非常に大きいものです。アメリカが犯した誤りは信用供給ではなく、財務省短期証券の利子率を重要視したことでした。そして、2000年11月にFedは金融引締政策を行い、通貨供給量を縮小したのですが、その背景にはインフレ圧力への危惧がありました。Fedの予測能力に問題があることはさておき、基本的な問題としては、企業が支払っている金利はすでに実際には急上昇していたのです。経済にとって実質的な意味をもっている金利はすでに上昇していたのです。そして、Fedが財務省短期証券の利子率を引き上げたことによってさらに金利が上昇しました。これが諸悪の根源でした。経済の重大な局面においてスプレッドが変動する際には、これを内生変数として見るべきだという点を指摘しておきたいと思います。
 2番目は、金融政策と負債管理のかねあいについてのご指摘に対するコメントをいたします。基本的な考え方として申し上げたいのは、金融政策の目標はマクロ経済の安定化であり、完全雇用を実現すべきです。これを実現する政策手段が適正な政策手段であります。ですから、19世紀のビルズオンリー・ドクトリンは、現代の中央銀行と関連はなく、何が適正な政策手段の組み合わせなのか、より幅広い見地から検討して頂きたいと思います。その意味では、もし投資に影響を及ぼす利子率が中長期金利であるとすれば、介入によって中長期金利を引き下げることができれば、介入は適正な政策手段となります。ですから、この政策手段に関しては、ある程度偏見をもった、すでに決まった見方をしてはならないと思います。
 次に、為替市場への介入と、金融市場に影響をもたらすような金融政策のどちらが適切かという問題についてコメントしたいと思います。通貨の減価をどうやって実現したらいいのかという難しい問題についてですが、私が指摘したように、為替レートは経済の中で決定される内政変数です。それでも、いくつか為替相場に影響を及ぼしうる政策手段があります。例えば、デフレを封じ込めてインフレに転換させることができるとマーケットを説得できれば、それは通貨の減価に結びつく訳です。ですから、デフレからインフレへの転換に成功する政策にはこのような効果があります。インフレ・ターゲットが政策手段になると主張する方も一部にいらっしゃいます。インフレ期待を形成させることができるかどうか。私は、インフレ期待を形成することは不可能であり、インフレにだけ焦点を当てるという政策はまちがっていると思います。私の意見では、金融政策は全てのマクロ経済政策目的を達成するために行われるべきです。例えば、米国における政策目的は雇用・経済成長・物価安定です。
 現状において、インフレ期待を形成することが可能になるような政策手段が存在するならば、検討に値すると思います。もう1つの事例として、為替市場への介入に、その他の国々の政治経済がどういう対応をとるかということですが、特にアメリカがどういう対応をとるだろうかということです。政権によって強みと弱みは異なると思います。1つのメリットとして、政権として少なくとも原則的に市場の力を重要視している政権が存在しているメリットは、為替市場に介入することによって特定の為替レートに誘導することができるとは信じていないということです。その政策が今後変更されるかどうかは別問題ですが、政府の公式の立場として介入は行わないことを一定の政策として打ち出しています。
 世界のすべての国々が立ち向かわなければならない非常に困難な問題が存在します。つまり、世界には変動相場制を採用していない国があります。中国はドルペッグ制という固定相場制を採用しています。そして、ドルの対ユーロレートが下がっているということは、人民元は他の国の通貨に対して安くなっているということです。すぐ隣の大国の通貨が安くなっているのであれば、日本としてはどういう為替政策をとったらよいのでしょうか。明確な答えはありませんが、問題を抱えているということは確かです。アルゼンチンが抱えていた問題は、隣国のブラジルが変動相場制を採用していたにもかかわらず、固定相場制を採用していた点にありました。このように異なる為替相場制を採用することは、世界経済にとって大きなチャレンジとなります。そして、ひとつ認識しなければならない重要な点は、政策を様々な異なる角度から見ることができるということです。韓国は、自国の政策を東アジア危機後に、韓国として外貨準備を積み増ししているととらえました。世界経済の不安定化を受けて、外貨準備を蓄積するという副産物の1つとして、韓国のウォン安も起こりました。
 日本も自ら決定を行い、外貨準備を管理して、外貨準備を積み増ししたいということは、プルーデンシャル政策として、これは為替レートに対しての副作用ですが、それはあくまでも偶然だったと主張することができる訳です。その他、類似するような例はいくらでも挙げることができると思います。為替市場への介入という言葉が適切かどうかは分かりませんが、先程お話しした介入というのは、ターゲットが絞られることでより大きな効果を上げることができるかもしれません。そして、為替レートを標準にするということで、マクロ経済上の効果も大きいことが期待できる訳です。ですから、ターゲットを設定する方が有利なようにも思います。
 次に、吉野先生がご指摘された点についてコメントしたいと思います。大変よい質問をして頂いたと思っています。金融・財政政策以外のその他の政策で実施できる余地があるものは何かと問いかけていらっしゃいます。それこそ重要な問題である訳です。我々としてはできるだけ広い視点から経済政策について検討しなければなりません。3点ほど思いつくことがあります。第一の政策は、世界経済が不安定になってきていることから、外貨準備高を増加させるという政策です。第二の政策は、銀行システムに係る規制政策で、私も強調しました。第三の政策は、政府による直接の信用供給です。最近では、米国政府は融資案件の25%に関与しています。自由経済とは申しますが、それは単なるレトリックに過ぎません。現実には、政府による保証もしくは公的部門からの貸付が、全貸付等の25%を占めている訳です。すべて連邦政府が何らかの形でかかわっているのです。明らかに日本でも、例えば中小企業を対象として、もう少し積極的な信用供給を政府が行うことができると思います。これも政策例のひとつだと思います。
 吉野先生が指摘された第2の重要な点についてですが、財政赤字だけで必ずしも政府に対するインパクトを測定するのは十分ではありません。アメリカの視点からご説明しますと、ブッシュ政権は、大幅な財政赤字を作り出しました。誰も想像できないほどの赤字額を計上した訳です。そこで、例えば10年の期間での推移で見てみると、2年間で5兆ドル、さらに2兆ドル分の財政赤字が提案されています。この5兆ドルの財政赤字は、アメリカ経済にとって刺激効果はほとんどありませんでした。大統領は富裕層にお金が回り富裕層が消費すれば景気は刺激されるだろうと考えて今般の減税政策を立案しました。このようなひどい政策を実現させるために大統領は懸命に働き、この減税政策は発動されることになったのです。
 そこで重要なのは、政府支出の使い方です。政府支出は、使途によっては景気刺激策として最も効果があることがあります。これは「支出に見合う価値」と呼ばれているものです。よく冗談で申し上げるのですが、数学では最大化するところを最小化したり、最小化するところを最大化するという誤りを常に犯しています。大統領は、「支出に見合う価値」を最大化させずに最小化してしまった訳です。そこで考えなければならないのは、政府支出の使い道です。1つ考えなければならないことがあります。つまり、日本が抱えている構造問題を解決するような政府支出は可能なのかということです。皆さんが認識されているように、総需要問題と構造問題には関連性がある訳です。財政を効果的に配分すれば構造改革を促進させることができます。そこで、例えば民間部門の投資を増加させることに財政赤字を充てると民間投資は増加し、IS曲線を上方にシフトさせることができます。それも効果的な財政政策の一例です。
 吉野先生が指摘された3つ目の点について簡単にコメントしたいと思いますが、吉野先生が指摘されたとおり、一時的な消費税引き下げでは異時点間の代替効果により消費は単に別の時期に移るだけとなります。異時点間の代替効果と呼ばれているものです。ある期から別の期に代替されただけです。しかし、重要な問題は、どれだけの規模の減税を実施すれば経済を再生させることができるのか、ということです。この点こそ議論の対象となる点だと考えています。恒久減税は不可能であると人々が認識しているときに、景気を刺激しうる政策は果たして存在するかどうか、この点については、私自身常に悩んでいる点でもあります。
 日本の制度的枠組みでは政府が紙幣を発行するのは難しいと多くの方が指摘されました。それに対しては2つの答え方があるかと思います。第一の答えとして、では、制度を変えなさいと。変革も難しいとは思います。IMFも、よく痛みを伴う選択が必要だと言っていますが、これがその痛みを伴う選択の1つかもしれません。政府が紙幣を発行することができるようにすると、特に日銀にとっての痛みが一番大きいのではないかと思います。
 ご指摘頂いた制度面の問題点、例えば中央銀行の独立性、また政府が紙幣を勝手に発行すればインフレにつながるのではないかというリスク、それらはいずれも重要な問題です。このようなご質問も出るだろうと予想しながらコメントしていました。つまり、日銀の独立性の有無にかかわりなく、私としては財務省が自制することなく今日から紙幣の印刷機を動かし始めるとは思っていません。そういう可能性はないと思っています。一般論として今の世の中を見てみると、独立性のある中央銀行があれば経済のパフォーマンスが良くなるという証拠はほとんどありません。日銀の方にとっては今のコメントは失礼だったとは思いますが、実際に重要であるマクロ経済上の課題、例えば経済成長、失業、あるいはフィリップス曲線の失業とインフレのトレード・オフ、つまり、インフレを安定水準に保つための代償となる失業率の水準において、中央銀行の独立性があるかどうかであまり変わりはないのです。しかし、中央銀行の独立性に意味があるとすれば、僅かな効果ですが、独立性を保っている中央銀行はインフレを下げることには少しは成功しているという点です。だからといって、経済成長率が上昇するとか、失業率が下がるとか、他の重要な変数には何の影響もありません。そこで、中央銀行の独立性というアイデアはあまりにも過大評価されているのではないかと思います。特に中央銀行自身が過大評価していると思います。
 さらに、財務省が紙幣を過剰に増発してしまうのではないかという懸念に対して、2点ほど補足したいと思います。第一に、非民主主義国家とは異なり、民主主義社会ではこのような制御できないようなインフレは選挙により牽制されます。国民はそれを求めてはいません。そういう意味で、民主的なプロセスを私は信頼しており、牽制機能が働くものと確信していますし、実際、多くの民主主義国家ではそういう問題はほとんど起こっていません。
 第2に、仮に民主主義の機能をあまり信頼していないとしても、政府の行動に対して制約をかけることは可能です。例えば政府は紙幣を発行する権限を有するけれども、失業率やデフレ率に見合った割合でしか発行できないようにすることは可能です。制約を課すことで牽制する方法はいくつかあります。勝手に政府がどんどん紙幣を増発するのではないかという不安が存在する場合には、制約をかけることは可能だと思います。
 最後の点になりますが、政府紙幣の発行ができないというのであれば、それに代わる機能を果たす政府債券を発行することです。無利子の永久債は結局紙幣に極めて近い訳です。無利子の永久債を発行すれば、紙幣同様に流通します。これはにせ金ではありません。代替的な紙幣とでも言いましょうか。これによって問題を解決することも出来ます。
 世界の外貨準備制度について私が言及したことについて大変興味深い質問がありましたので、ごく簡単にお答えしたいと思います。これは昔からある問題です。実際、ケインズもIMF設立当時に心配していた課題でした。これは重要な問題で、しかも長い間解決されずにいる問題です。IMF設立時にケインズは経常収支の黒字を計上した国に対して課税するべきであると提案しています。なぜかというと、今日と同様に、当時も世界的に総需要が不足しているという懸念があったからです。この認識は正しかったと私は考えているのですが、ケインズは、仮に各国が毎年外貨準備高を積み上げて、お金を使わないとなれば、世界的に総需要が不足してしまうと考えた訳です。外貨準備高を積み上げるということは、お金を使わないということなので、総需要は不足します。そこで、ケインズは経常収支黒字国に対する課税を提案した訳です。
 ジョージ・ソロスも私も、それから他に何人もの人も言っていますし、ケインズも言っていた代替的なメカニズムがひとつあります。それはグローバルなグリーンバックを発行するということです。グリーンバックでもイエローバックでも何色でも構いません。グリーンバックという単語を使って恐縮ですが、ともかく世界で通用する特別引出権(SDR)を創るというアイデアです。つまり、毎年自動的に新たにSDRを設けるということです。そのSDRの規模は大体のところ、外貨準備高として埋蔵されている金額に相当するものとします。このアイデアにおいて興味深い点は、このSDRはグローバルな公共財(例えば開発公共財、世界的な環境公共財、世界的な公衆衛生公共財)のファイナンスに充てることができるということです。最終的には外貨準備高として埋蔵されるでしょうが、途上国のために発行します。グローバルなマネーサプライを増やすような効果が期待できますし、グローバル経済におけるデフレバイアスを相殺できる可能性があります。

【吉野部会長 】
 では、他の方の質問をお受けします。関さんと熊谷さん、お願いします。

【関委員 】
 黒田参与、そのほかの日本側の政策立案者が、中国の人民元の切り上げを求めています。スティグリッツ教授にお伺いしたいのですが、中国の人民元が切り上がれば日本のデフレは解消されるとお考えでしょうか。吉野先生が提示された数字によると、極めて限定的な効果しか有しないと言うことでしたが。

【熊谷委員 】
 2点あります。1点目は、今の関さんのご質問とも重なりますが、日本ですと今、中国に対する関心が非常に強く、デフレの大きな原因が中国にあるのではないかという議論があります。今後、長期的に中国がどういう形で発展を遂げていき、それが日米をはじめとする世界経済にどういう影響を与えるのか。それから、先生は現実の問題から理論をつなげていらっしゃる部分がありますので、中国の発展が今後の先生の理論の展開にどのような影響を与えていくかということについてコメントを伺いたいと思います。
 2点目は、先程お答えいただいた部分とも重なりますが、私は先生の円安に誘導すべきだというご意見に完全に賛成です。そうすべきであるし、またできると考えています。ただ、日本の中ではこれに対する批判が大きくいって4つぐらいあります。
 まず1点目は、先程お答えいただいた点で、本当にそんなことができて、アメリカやアジアが許すのかということです。これについてはお答えいただいたので省略します。
 2点目は、日本の経済に対して為替を動かすことの効果が落ちているのではないかという議論があります。経済モデルなどで見ると、大体1割円安だとGDPが0.6ぐらい上がるという計算ですが、日本の輸出の競争力がハイテクを中心にかなり落ちていて、それから海外に展開して逆輸入が増えることによって、実はかなり円安の効果が薄いのではないかという議論です。
 3点目は、円安にもっていってしまうと、いわゆるキャピタルフライトのようなことが起きて、トリプル安的な状況になり、そうなると、例えば銀行が多額の債権をもっているので、結果的には数兆円の損失が出てしまうのではないかという議論です。
 4つ目は、より本質的な問題として、円安にもっていくことが今の産業構造をそのまま温存することになってしまうということです。先生のお話ですと、まず経済を立て直して、それから構造改革をすべきだということだと思いますが、それが実はモラルハザードが起きたり、先送りが起きてしまって、現実には円安にもっていってから構造改革しようとしてもできないという懸念があります。そこを一体的に、構造改革をしながら円安の方向にもっていかなくてはいけないのではないかという議論です。
 以上、4つぐらいの円安の反対論というか、懐疑論について簡単なコメントをちょうだいしたいと思います。

【吉野部会長 】
 予定した時間が差し迫っておりますので、簡単にお答えいただければ幸いです。

【スティグリッツ教授 】
 まず中国に関する質問についてですが、確かに世界中のあらゆる人々にとって中国は注目に値する国になっていると思います。中国は経済大国ながらまだ発展途上の段階ではありますが、中国が現在、経済の再構築に取り組んでおり、共産主義体制から市場経済体制へ移行しているということは評価しなければなりません。中国は途上国であるがゆえにセーフティ・ネットが整備されていません。失業保険制度はありませんし年金制度は充実していません。中国が有する唯一の社会プログラムは完全雇用ないしは可能な限りの雇用を確保するということです。私の見解では、中国の為替政策は社会保証政策の一環として実施されていると思います。若干特異な政策手段ではありますが、為替政策が多くの雇用を創出し、社会的・政治的な安定の維持に役だってきたということです。社会的・政治的な安定が中国の体制を支えるために必要不可欠であるということから考えると、中国当局は今後、人民元を切り上げることは行わないと思います。

 東アジア危機の時でさえ、人民元の切り上げを行わなかったということは注目に値します。中国は安定を重要視していたからです。つまり、中国は安定が最も重要であると考えていると思います。例えば、人民元が過小評価されている場合に為替レートは上昇すべきかと聞かれれば、通常の市場力を考えると確かにその通りだと言えます。様々な圧力によっていずれ何らかの形で変更が加えられることになるであろうと私は考えていますが、今日の中国の社会的・政治的な状況を考えれば、切り上げは非常に難しいでしょう。
 人民元が切り上がったとしても、日本の問題は解決されないということは、吉野先生の統計分析によって裏付けられていると思います。もちろん、人民元が高くなれば日本にとってはより有利な状況になりますが、問題の抜本的な解決にはつながりません。中国が世界全体に投げかけているチャレンジの1つは、中国が広範囲な製造業において比較優位をもっているということです。この10年から15年の間に比較優位の理論は大きく変わってきました。多くの国が経済の再構築に取り組まなければいけないということで、これはグローバルな次元での出来事と言えます。中国は150年間に渡って抑圧されてきたのですが、もはや抑圧されていないと言えるかもしれません。解釈の仕方はいろいろあるでしょうが、これは大きな変化であり、世界中に問題を投げかけており、非常に興味深いことでもあります。世界中に問題を投げかけています。メキシコはNAFTAの結成後、国境沿いの製造業の育成に非常に熱心に取り組みましたが、そこで創出された雇用のほとんどは中国に奪われつつあります。すべてではないにしても、大きな損失となっています。現在、メキシコではNAFTAの結成は果たしてよかったのだろうかと自問されています。メキシコはNAFTA結成後数年間は恩恵を受けましたが、政府の補助金を受けたアメリカからの農産物が大量に流入し、貧困層が打撃を受ける一方、製造業は中国に負けてしまっているという状況です。このように、この問題はグローバルな広がりを持っています。
 中国は製造業において比較優位をもっている反面、比較優位をもっていない分野もあります。中国が比較優位をもっていない分野は、主にサービス部門を含む非貿易財です。日本のサービス部門が国際競争をする際に英語が障害となっているのは分かりましたが、日本経済には大規模なサービス部門があるものの非効率で、生産性は必ずしも高くありません。皆さんもコメントの中で強調されておられたとおり、日本としては、構造問題の一部、すなわち、サービス部門も含めた非貿易部門の生産性を向上させることが、中国の世界市場への参入に示される新たなるグローバルバランスに対する適切な対応となるものと思います。
 最後の問題についてですが、円安の影響に対してさまざまな懸念が表明されました。私が強調しようとしてきた点は、日本の状況は純債務国である東南アジア諸国とは違うということです。東南アジア諸国の通貨が減価すれば、債務が膨らみ、バランスシートが悪化してしまいます。他方、日本は長期に渡り黒字を続けてきたことで純債権国となっていることから、円安にはむしろバランスシートを改善させる効果を期待できます。個々の企業によって事情は異なるかもしれませんが、全体的に見ると円安にはバランスシートに対してプラス効果を期待できます。
 また、資本逃避のリスクがあるという点も指摘されました。これはもちろん念頭に置かなければならない問題ですが、この問題に関する私自身の観察や意見では、タイミングよく調整できなかった場合に危機が発生するケースが多いと言えます。これは来日した一人のアメリカ人の見解ですが、日本の物価は非常に高く、来日するたびに非常に貧しくなったように思うものです。このような現象の解釈の仕方として、標準的な購買力平価で見た場合に円が過大評価されていると解釈することができます。もしそうだとしたら、長期的には為替レートは調整されます。そこで問題となるのは、政府債務のGDP比が180〜250%まで上昇し大幅な調整が行われるまで待つつもりか、それとも秩序ある調整過程に直ちに着手する方がいいのかということだと思います。
 円が過大評価されていると信じるに足る理由があると考えていますが、仮にそうだとしたら、強力なマクロ経済効果があることから現段階において円安に向けた調整に着手すべきです。もちろんこれだけではデフレ問題を解決することはできず、マクロ経済戦略の一環として他の政策手段も講じる必要があります。繰り返しになりますが、万能薬のような単独の政策は存在しません。複数の政策手段が必要となります。しかし、円安への誘導は、デフレから脱却し景気を回復させる戦略の一部となるものと考えています。

【吉野部会長 】
 どうもありがとうございました。もっと続けたいのですが、すでに10分間超過しています。
 今日はスティグリッツ先生、黒田参与に来て頂き、非常に活発な議論をさせていただきました。どうもうありがとうございました。それでは、これで今日の会を閉会させて頂きます。皆様、ご参集ありがとうございました。
 


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