いいところのボンボン……いや、そこまでお坊ちゃまじゃないですけどね。子ども時代は中高一貫校に通って、目標は「安定した職業に就くこと」。そのレールに乗って、大学まで進んでたんです。

――大学では軽音楽部に所属。入部に来た阿木さんを一目見て「あ、嫁が来た!」と見初めた話は有名だ。

 阿木の僕の最初の印象は「蚊トンボのような男」だったって。最初のデートのとき、渋谷で待ち合わせてお茶を飲みに行ったんです。そのとき「ビルの下で風に吹かれて、たなびいている」と思ったって(笑)。当時175センチで体重50キロくらい。本当にひょろひょろでしたよ。

 おやじも僕のことを「ひょうろく玉」と言ってた。どういう意味だかわからなかったけど、フラフラと頼りない、という意味なのかな。いまで言う「草食系男子」だったんでしょうか。

 阿木は最初、まったくピンとこなかったみたいですけどね。1年間はクラブのみんなで団体行動をしてたんですが、ついに我慢ができなくなって「渋谷で会いましょう」と。大学2年から付き合い始めました。

 最初から「俺たち、結婚することになってるから」って彼女に言ったんです。好みのタイプだった以前に「あ、今世でやっと巡り合えたな」と思ったんですよね。きっとこの人とは前世、前々世でも出会ってる。でも添えなかった。その運命がようやく巡って「うわ! きたあ!」って感覚が濃厚にあった。「これはもう神様が決めたことだから」って言い続けてました。向こうはずっと「そうかしら?」って顔でしたけど、会うたびに「結婚しよう、しよう」って言うから最後には両方の親が「ソロソロ」と言いだしたんだよね。

――軽音部時代から、阿木さんの書く詞に曲をつける共同作業は始まっていた。だが、大学を卒業した二人は、しばらく別の仕事に就く。

 僕は曲を書きたいと思っていて、大学を卒業するまでの3年間で「1日1曲書く」というノルマを自分に課したんです。瞬間的に曲を書ける人間じゃなきゃプロになれない、と思っていた。

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