この国を何とかしたい。しかし政治家になりたいとは思えない。尊敬の対象であるべき政治家という職業が日本ではそうなっていない。政治家とはどういう仕事なのか? それでも政治家になりたい人間の精神構造は? 精神科医・斎藤環がその精神構造を鋭く切った!
Text: Kosuke Kawakami @ deluxe continental
承認欲求と自己実現欲求から政治家を目指す若者たち
「愛されたい」「必要とされたい」「尊敬されたい」……最近の若い人は、そんな『承認欲求』だけが肥大化しているように思います。とにかく誰かに承認されたい。一番分かりやすいのは、SNSやTwitterで「いいね!」ボタンを押してもらったり、フォローしてもらったりという欲求です。その数が増えれば増えるほど、自分が周りから承認されているように感じられる。政治家にとっての票の数も同じようなものなのではないでしょうか。
政治家を目指す若者たちは、この承認欲求と自己実現欲求のふたつで動いているように思えてなりません。自己実現といっても「大勢から承認される価値を実現、実行すること」という程度。決して大きな理念に基づいたものではないでしょう。
私は、これまで地方議員、国会議員とさまざまな政治家に会ってきました。彼らに共通するのは、どんな場所でも、どんな相手でも、とにかく自分の話しかしないということです。常に公に向けて話す習慣がついているから、1対1の親密な会話が成立しない。目の前の相手に対して、繊細に配慮することができない。逆にだからこそ、いつも笑顔で、相手の目をじっと見ながら、両手で握手するというまともな人間では考えられないような鈍感な行動が平気でできるのです。
ガサツで、押しが強く、明らかに後から植え込まれた強い自己肯定感を持っている。こういった特徴は、自己啓発セミナーを受けた人と共通しています。それは、ほとんどの政治家が“選挙”という洗脳過程を経て、そのポジションを得ているからなのです。
2007年に公開された『選挙』という想田和弘監督のドキュメンタリー映画は、日本のドブ板選挙の実情を描いたもので、国内外で大きな反響がありました。映画のなかに出てくるのは、自民党の地方市議候補。街中に顔写真が大きく載ったポスターを張り、選挙カーで自分の名前を連呼する。有権者の帰宅時間に合わせて駅前に立ち、「おかえりなさい」を繰り返す。日本では見慣れた光景ですが、外国では、異文化を扱ったコメディ映画として観られていたようです。
人格崩壊と羞恥プレーを経て政治家が生まれる
マニフェストという言葉が登場して、多少はマシになったのかもしれませんが、日本の政治はいまだにこのドブ板選挙に支配されています。『選挙』のなかにも登場しますが、一度立候補すると、周りには選挙のプロのような人たちが現れて、さまざまな指示を出します。どの有力者に挨拶に行け、どこそこの運動会に顔を出せ、妻のことは家内と呼べ、立っているものは電柱にもお辞儀せよ……。当選するためだと言われて、普通の神経では耐えられないようなくだらないことをどんどんやらされる。
こうしてそれまで持っていた美意識やプライドを叩き潰され、立候補前の人格が崩壊したら、次はおなじみの名前の連呼です。大勢の人の前で自分の名前を叫び続けるという羞恥プレー。この過程は丸っきり、カルトや自己啓発セミナーの洗脳と同じなのです。
しかもそうして洗脳された先に待っているのは、「当選」という承認の甘い蜜。最初はこういったシステムに疑問を持っていた候補者も一度これを越えてしまうと、みんなそこにハマっていく。万歳三唱をし、ダルマに目を書き込み、支援者の前で涙を流しながらお礼を言う。そこには、美意識のカケラもありません。こうやって、理念や美意識が欠如した、ガサツな政治家が生まれるのです。
さらに当選してからも、洗脳は続きます。本来なら勉強を重ね、政策を考えるべき時間も、党からの指示で選挙区の会合や冠婚葬祭に回されます。選挙が終わった瞬間に次の選挙活動が始まっているわけです。
こんな状況では、いつまでたっても日本に尊敬できるような、あるいは子どもたちが憧れるような政治家は生まれようもありません。謙虚さと卑屈さを履き違え、駅前で土下座せんばかりに頭を垂れている政治家を見て、子どもたちが「あんなふうになりたい」と思うわけがないでしょう。
もちろん選挙民の側にも問題があります。結局、日本人はヤンキー的なものに心を惹かれるのです。選挙は祭で、政策だなんだというよりも「がんばってるヤツがエライ」。そんな日本を支配する気合主義が変わらない限り、日本の政治も変わりようがない。
今、本当に必要なのは、選挙制度の根本的な改革。名前を連呼するだけのドブ板候補者は、カッコ悪い。そんな当たり前の美意識が選挙結果に反映されるようにならない限り、いつまでも承認欲求だけが強く、理念も美意識もない政治家ばかりが跋扈する。このままでは、この国の未来は暗いままかもしれません。
斎藤 環 精神科医・評論家
1961年生まれ、岩手県出身。筑波大学大学院医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院診療部長。専門は思春期・青年期の精神病理学。「ひきこもり」問題の治療・支援活動を行う他、言論活動も行う。著書多数。近著に『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』(角川書店)。