【基礎からわかる】琉球王国とは?

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日本・中国との中継貿易 繁栄

 沖縄では本土の室町時代まで統一国家は存在しなかったが1429年、 尚巴志しょうはし が沖縄島を統一して琉球王国が成立した。現存する王府の辞令書は本土の中世武家文書と同じ書式で、古謡集「おもろさうし」に平仮名が用いられていることからも、当初から日本語圏にあったことがわかる。

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 政治的には中国を宗主国としており、中国皇帝から国王の地位を保障される 冊封さっぽう 関係を結ぶことで、貿易を認められた。かつて首里城正殿にかけられていたともいわれる「万国 津梁しんりょう の鐘」(1458年、沖縄県立博物館・美術館蔵)には、中国と日本、朝鮮とをつなぐ中継貿易で栄えた琉球をたたえた漢文が刻まれている。

 王国の領域は、奄美群島から八重山諸島まで拡大したが、1609年に薩摩藩の侵攻を受けてからは事実上その支配下に置かれた。中国との冊封関係も維持されたため、近世琉球は「日中両属」「幕藩体制の中の異国」と呼ばれる。このとき与論島以北の奄美群島は薩摩領となり、現在の鹿児島県にも引き継がれている。

 日中両属が解消され、琉球が名実ともに日本に組み込まれたのは明治になってからだ。明治政府は1872年に琉球を「藩」として保護国化を進め、79年には軍と警察を派遣して「琉球処分」を断行、琉球藩を解体して沖縄県を置いた。日本による一方的な併合を中国は認めず外交問題となったが、日清戦争で日本が勝利したことで決着した。

 ただ沖縄県設置後も、王国時代の封建的な土地制度や税制は明治後期まで維持され、県民の生活は引き続き苦しかった。近代化が本土と比べて遅れたことは、沖縄戦と米国統治を経て現代まで影を落としている。

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2962764 0 エンタメ・文化 2022/04/30 05:00:00 2022/04/30 05:00:00 2022/04/30 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/04/20220429-OYT1I50110-T.jpg?type=thumbnail

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