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日本・中国との中継貿易 繁栄
沖縄では本土の室町時代まで統一国家は存在しなかったが1429年、
政治的には中国を宗主国としており、中国皇帝から国王の地位を保障される
王国の領域は、奄美群島から八重山諸島まで拡大したが、1609年に薩摩藩の侵攻を受けてからは事実上その支配下に置かれた。中国との冊封関係も維持されたため、近世琉球は「日中両属」「幕藩体制の中の異国」と呼ばれる。このとき与論島以北の奄美群島は薩摩領となり、現在の鹿児島県にも引き継がれている。
日中両属が解消され、琉球が名実ともに日本に組み込まれたのは明治になってからだ。明治政府は1872年に琉球を「藩」として保護国化を進め、79年には軍と警察を派遣して「琉球処分」を断行、琉球藩を解体して沖縄県を置いた。日本による一方的な併合を中国は認めず外交問題となったが、日清戦争で日本が勝利したことで決着した。
ただ沖縄県設置後も、王国時代の封建的な土地制度や税制は明治後期まで維持され、県民の生活は引き続き苦しかった。近代化が本土と比べて遅れたことは、沖縄戦と米国統治を経て現代まで影を落としている。