CHANGE / DIVERSITY & INCLUSION

あなたはどう呼ばれたい? 多様性時代の代名詞考察。

多くの言語・文化圏で、第三者を指す代名詞は性別に従うが、誰もが「He」や「She」というバイナリージェンダー(男女二択)とは限らない。ジェンダーとは実に多様で、ときに非常に流動的なものだからだ。多様性の時代、こうした代名詞にもアップデートが迫られている。

ニューヨークを拠点に活動する俳優でモデルのボビー・サルボア・メネズ。昨年1月、インディアからボビーに改名した。Photo: Molly Matalon

アメリカの俳優兼モデルのボビー・サルボア・メネズは、性別を区別しないジェンダーニュートラルな代名詞を使い始めるため、まず友人たちに、自身を三人称代名詞である「They/Them」で呼ぶように頼んだ。次に、そのリクエストをインスタグラムのプロフィール欄にも追加。その後、2019年1月に現在のボビーに改名し、家族や同僚にも、メールで同様のお願いを送った。この時、メールの署名蘭には「代名詞:They/Them」と追加した。

メネズは、特に年配の親族に「She」から「They」への切り替えを理解してもらうために、必ずこう説明しているという。

「より親密な真の人間関係を築きたい。だから、勇気を出して伝えたのです」

友人や家族はボビーのリクエスト通り、代名詞を正しく使ってくれるようになった。けれど、他の人はそう簡単にはいかない。メネズはこう肩をすくめる。

「その日に着ている服や髪型によって、代名詞は変わります。つまり私は、毎日性別を間違われているというわけです。間違える人の多くは顔見知りでないことがほとんどですが、中には、職場の同僚が誤って『She』と使うことも。こうした経験が積み重なると、正直、精神的に疲れてしまうこともありますね」

「ちょっと待って。誰のことを話しているの?」

脚本家、パフォーマーとして活躍するアムル・アルカディ。Photo: Lelia Scarfiotti

ロンドンに拠点を置く脚本家でありパフォーマーのアムル・アルカディ(『Unicorn: Memoir of A Muslim DragQueen(ユニコーン:イスラム教徒のドラァグクイーンの回顧録)』の著者)にも同様の経験があるようだ。女性でも男性でもないノンバイナリーの立場を取るアルカディは、ほぼ毎日、代名詞を間違われているという。

「確かに、出生時の性別は男性です。でも、私は男性ではないので、代名詞に『They/Them』を使っています。言葉で言い表すのは難しいけれど、やはり、誰かに男性だと思われるといい気持ちはしません。私が思う自分とはあまりにかけ離れていて、『ちょっと待って。あなたは私の本質を見ていない。誰のことを話しているの?』って思うんです」

これまでずっと、男らしく振る舞うことができなかった一人として、アルカディは「They/Them」の代名詞を使った会話を耳にすると、まるで「リラックス効果のあるエッセンシャルオイルを入れた湯船に身を沈めるような」気持ちになるという。アルカディの話を聞いていると、相手の代名詞を正しく使うことは、単に形式的な礼儀というだけでなく、相手の本質を認め、男女二択の性別に該当しない人を受け入れるメッセージにもなるのだとわかる。

世界各国の「代名詞」事情。

『クィア・アイ』の美容担当、ジョナサン・ヴァン・ネスは、昨年、HIV陽性であることを公表した。Photo: Shutterstock

スウェーデンでは、随分と前からジェンダーニュートラルな代名詞が使われている。1960年代に、スウェーデンの言語学者たちは性別が不明な場合に使用する代名詞として、「Hen」(男性を指す「Han」や女性を指す「Hon」の代わり)を新たに開発したのだ。長い時間をかけて「Hen」は徐々に一般に浸透し、2015年にはスウェーデン語辞書に登録された。しかし、世界のほかの地域では、ジェンダーニュートラルな代名詞の普及は今始まったばかりか、これからという段階だ。

イギリスとアメリカでは、2015年に一部の新聞に「They」が導入された。しかし、アメリカ英語辞典の『ウェブスター辞典』が、ノンバイナリーの人を指す「単数の三人称代名詞」として「They」を追加したのは、2019年9月のことだ。

その後の2019年12月には、「They」の検索数が前年比313%まで急増、その年の流行語にも選ばれた。歌手のサム・スミスや大人気リアリティ番組『クィア・アイ』のジョナサン・ヴァン・ネス、ドラマ『POSE/ポーズ』のインディア・ムーアといったセレブたちが、こぞって2019年にノンバイナリーであることを公表したことを考えれば、当然の結果だ。

ヨーロッパ全体では、ジェンダーニュートラルな代名詞の使用に対する意識は高まっている。ドイツのハノーファー市は2019年1月に、すべての公式の場でジェンダーニュートラルな代名詞を用いることを決定した。

公用語に男性名詞と女性名詞が存在するフランスでは、男性形の優位性が性差別を助長するとして、フェミニストたちが長きにわたって文法の変更を要求してきた。フランス国立学術団体のアカデミー・フランセーズはこの要求を拒否しているが、トランスジェンダーのコミュニティは、ジェンダーニュートラルなフランス語の代名詞として「Iel」を使用している。

スペインでは、ジェンダーニュートラルな代名詞として「Les」が使用されはじめたほか、男性を指す単数の三人称代名詞「Él」と女性を指す「Ella」の代わりに、「Elle」という代名詞も登場。さらに2018 年には、カルメン・カルボ副首相が、スペイン憲法の文言を男性形ではなくジェダーニュートラルな表現に書き換えることを要請するなど、本気の改革が続いている。これに影響されてか、その他のスペイン語圏でも、ジェンダーニュートラルな代名詞を言語に取り入れる草の根運動が活発化している。

そして、アメリカの一部のヒスパニック系コミュニティ(クィアが中心)では、ラテン系女性「ラティーナ」とラテン系男性「ラティーノ」をジェンダーニュートラルな「ラティンクス」に置き替える動きが進んでいる。

前出のアルカディはアラビア語を話すが、こうした変化がアラビア語にももたらされるには、まだ時間がかかると感じている。

「アラブの言語は、男女二択の性別に大きく依存しています。例えばアラビア語は、主格が男性か女性かによって動詞が変化するのです。だから、私の家族が私の代名詞を言語学的に理解できるとは思えません。もちろん、家族にジェンダーニュートラルな代名詞を使うよう求めたことすらありません。こうした言語が、アラブでの性的流動性への理解に大きく影響しているのは確かでしょう」

言語は絶えず進化する。

『タイム』誌が選ぶ2019年の「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれたインディア・ムーアも、トランス・ノンバイナリー(トランスジェンダーであり、ジェンダーが確定していないこと)であることを公表している。Photo: Shutterstock

認識は広がっているとはいえ、ジェンダーニュートラルな代名詞を誰もがすぐに理解できるとは考えにくいとアルカディは指摘する。

「慈善活動で高齢者のケアに従事したことがあるのですが、数人にこの代名詞を説明しようとしたところ、まったく理解してもらえませんでした。皆、悪気はなかったので不快に思うことはありませんでしたが、説明するのをやめてしまいました」

イギリスの右派ジャーナリストたちのあいだには、ジェンダーニュートラルな代名詞の使用に激しく反対する者もいる。アルカディは、こうした態度を「単なる不寛容」と一掃する。しかし、同じ状況はアメリカでも起こっている。『ニューヨークタイムズ』紙が代名詞「They」の使用を呼びかける「It’s Time for “They”(『They』を使う時代がきた)」という記事を掲載した際、多くの反対意見が寄せられたのだ。

ワシントン大学の言語学者、カービー・コンロッド博士の見解はこうだ。

「あなたがその変化に関与せずとも、言語は自然に変化していくもの。単数ノンバイナリーを指す『They』は、すでに変化の渦中にあります。使うかどうかはあなた次第ですが、自分の決定を他者に強いることはできません。周りの人たちがその変化を受け入れることに対して、反対派が不満を言うのはナンセンスです」

オックスフォード英語辞典の専門家も、コンロッド博士と同じ態度だ。単数代名詞としての「They」の使用を擁護しており、言語の不可逆的変化と捉えている。

しかしメネズは、代名詞「They/Them」の使用に対する文法的な議論には我慢ならないと、憤りを露わにする。

「さまざまな言語研究から、性別がわからない相手や架空の人物について話すときに、一般的に『They/Them』が使用されていることがわかっています。すでに日常的に使っているのに、それがオフィシャルな場で議論されはじめると、とたんに公然と使うことに不安を感じてしまうのです。使い方を誤ることで誰かを傷つけたくないという気持ちはわかりますが、だから(『They/Them』の使用は)ナンセンスだという意見に飛躍してしまうのはおかしい。文法を理由にする人もいますが、そもそも文法は、歴史的に見ても常に進化するもの。筋が通りません」

多様性に対する寛容。

イギリス出身のミュージシャン、サム・スミスは、LGBTQ+コミュニティをエンパワーする存在だ。Photo: Shutterstock

変化は避けらないし、正しい代名詞の使用は重要だ。ならば、代名詞を上手に使用できるようになるにはどうすれば良いのか?

「実践あるのみ」と話すのはコンロッド博士だ。

「間違った代名詞を使うことは、名前を間違えることと似ています。間違いを指摘されたら、素直に耳を傾ければいい。代名詞について積極的かつ慎重に選択することは、相手を一人の人として大切に考えていることを示すことのできる、すばらしい方法なのです」

それは、個人間のコミュニケーションのレベルだけでなく、政治的な声明にもなりえると博士は続ける。

「ノンバイナリーを指す代名詞『they』を取り入れることは、あまりに単純化された男女二択システム以外の方法を実現したいという、あなたの進歩的な考え方を広く伝える優れた方法でもあるのです」

人は誰でもミスを犯すし、完璧な人など存在しないという立場から、メネズも同意する。

「トランスジェンダーの人であっても、代名詞を間違えることはあるわけです。でも、それを正しく使おうと努力する価値は大いにある。どんな言語を選んで使うのかという決定は、私たちの考え方にも大きな影響を及ぼします。そのことを再認識し、人と性別との関連を見直すチャンスです」

リスペクトが重要だと説くのはアルカディだ。

「ジェンダーニュートラルな代名詞を用いることは、私たちが多様性に対して寛容で、あらゆる個性を受け入れる弾力ある社会であることの証明でもあるのです」

Text: Amelia Abraham