高橋由伸 縮まらなかった松井との距離「次元が違うというのかな」

[ 2013年1月3日 09:28 ]

主軸として巨人を引っ張った松井(左)と高橋由

 日米通算507本塁打を放った希代のスラッガー・松井秀喜氏(38)が引退した。松井氏と関係の深かった人たちが思い出を語る「WE LOVE ゴジラ」、第1回は巨人の高橋由伸外野手(37)。

 移動の車中だった。高橋由は知人から連絡を受け、松井に引退の可能性があることを知った。「そうなんだ…」。背もたれに身を預けると、それ以上の言葉は見当たらなかった。

 初対面は97年12月。直前のドラフトで巨人を逆指名して迎えた慶大4年時に対談企画で実現した。学年は1つ違いだが、高卒でプロに進んだ松井は3年目には巨人の4番も経験するなど、すでにプロの世界で不動の地位を築いていた。「凄く緊張した。とても1つ上に見えなかった。体も大きかったし、おっさんみたいだった」。学ラン姿の高橋由はその威圧感に衝撃を覚えた。

 同じ左の外野手でともに非凡な打撃センスを持つ。外野練習中の自分の真上を何球も、連続でピンポン球のように打球が通過する。「やっぱりパワーが凄かった。常に見ていたけど、こういうのを次元が違うというのかなって思ったよ」。天才と言われた男があきれるほどのパワーだった。バットを借りたこともあったが「細くてノックバットみたいだった」というパワーヒッター仕様。試合では使えなかった。

 入団2年目の99年に本塁打王争いを繰り広げながら、高橋由は負傷離脱の影響で34本止まり。タイトルは逃したが、42発の松井は貫禄を示した。翌年、2度目の本塁打王を獲得した松井は日本最後のシーズンの02年には史上8人目の50本塁打を記録した。「松井さんには年々、差をつけられていった感じがする。入ったときの方がまだ、近くに感じたかな」。同年オフにメジャー挑戦。追いかけた背中は縮まることなく離れていった。

 巨人で一緒に過ごしたのはわずか5年間。ヤンキース移籍が決まった松井からは「そういうことだから」の一言で選手会長を引き継いだ。

 渡米後も年に1度は連絡を取り続け、昨季もシーズン前に会話を交わした。「いつも一緒。昔話とか、たわいもない話だよね。今かけても出ないでしょ。忙しいと思うし」。引退表明後はまだ電話を手にしていない。「お疲れさまでした」と声をかけるのはもう少し先のことになりそうだ。

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2013年1月3日のニュース